城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆対談者
淡々とまた飄々と動画は展開していますが
私は何度もこの動画の持つ日本史上の歴史
的建造物に潜在している幾何学論に鳥肌が
たつ思いで繰り返しビイスタ論を見てます。
◆長谷川
ありがとうございます。厚く御礼致します。
◆質問者
このような城郭研究家としてまるで100年も
進歩している城郭幾何学理論の長谷川先生
の講座は一体何処で開催されているのです?
是非受講したいと常に願っていますが先生
の講座は全くインターネットで検索しても
ヒットしないのですが?
◆長谷川
上記事業所で平日開催されます。次回は
令和3年7月29日10時開催で参加費500円。
◆本格城郭見学者様
長谷川先生!令和3年7月17日やはり私は
ウッデイパル城郭オーラムに参加致します
投稿を拝見していて研究家としてのキレ味
発想や着想、そう言う城郭研究家としての
トータライズ(総合的)力量に感嘆致します。
17日の10砦見学これは絶対行きたいです。
◆長谷川
無理しないで良いですよ!マイペースで!
▼玄蕃尾城 航空写真 ビイスタ工法 長谷川博美 論説
▼安土城 ビイスタ工法 長谷川博美 論説
◆対談者
田畑余呉城郭研究会理事と能楽鑑賞に行った
時に脇から見物しましょうと言われて驚いた。
◆長谷川
当然です。田畑さんは脇と正の意味つまり
正と副の見所の関係を良く知られ含蓄ある
人なのですよ。能楽もその見所、つまりは
ビューポイント能を鑑賞する見所があります。
見頃と言う日本語は梅を鑑賞する季節や時節
を言います。見所とは見学する場面や場所を
能楽では言います。もっとも日本建築でこの
能楽の橋掛かりの角度に注意する事、直角に
橋掛かりを設計していない日本の文化伝統に
注意しましよう。また能舞台では主客と対面
する鏡板や鏡の間と言う楽屋にも注目します。
▼坂本城 下坂本東南時付近調査図 長谷川博美調査図
『兼見卿記』には坂本城に天守と小2天守が存在したと
ある。大小2天守は湖岸に存在したのではなく比叡山を
監視する山を意識して作られていたのではないですか?
▼坂本城ビスタ工法 模索図 長谷川博美
▼この中世城郭「岩崎山城/近江八幡市」にも2櫓がある。
◆長谷川
能楽堂や能舞台の伝統「橋かかり」にも注目
したい。つまり日本の伝統文化、斜めに橋が
特に設計されている事です。
◆彦根犬上様
敵の前を
敵の右を
敵の左を
三方から攻撃する縄張を何と言いますか?
◆長谷川
睨み「にらみ」と言います。彦根城も中堀
にもし佐和山側から攻撃された場合を想定
して「にらみ」の縄張りを計画しています。
また合戦になると城を守る側はワザと城下
町を焼き払う「自焼作戦」と言う苦肉の策
を展開した京極高次の大津籠城戦が有名。
『柴田合戦記』には(信長亡き後、羽柴秀吉軍は)
終に甲ノ丸に攻め詰める。丸の内には大石を以て
磊(らい)を積み上ぐ、其の墻(かき)数仭(じん)なり。
晋の平公造るところの九層台に比して、天守九重
に上げ、石の柱を鉄の扉重々に構へ、精兵三百余
楯(たて)籠り、これを防ぐ。城内閑地なく、五歩
に一楼、十歩に一閣、廊下斜に連なり、天守高く
聳(そび)ゆ。と記されていますが事実かは不明で
終に甲ノ丸に攻め詰める。丸の内には大石を以て
磊(らい)を積み上ぐ、其の墻(かき)数仭(じん)なり。
晋の平公造るところの九層台に比して、天守九重
に上げ、石の柱を鉄の扉重々に構へ、精兵三百余
楯(たて)籠り、これを防ぐ。城内閑地なく、五歩
に一楼、十歩に一閣、廊下斜に連なり、天守高く
聳(そび)ゆ。と記されていますが事実かは不明で
この文書で注目した部分は「廊下斜に連なり」な
のです。大天守と小天守を廊下で斜めに連結する
築城様式とは一体何かと?▼米子城大小天守写真
▼近江佐和山城『澤山城』なども天守と小天守は斜めに配置
◆対談者
余呉城郭研究会では正式に「横矢掛かり」と
表現しています。また城郭では正面や対面に
ある石垣を鏡石とも言います。能楽では鏡面
鏡の間が存在致します。
◆長谷川
江戸時代の城郭測量でも基本点「正座」と
二次基本点「開地」があります。二局です。
▼安土城も複数の測量点がある。
▼羽柴秀吉の山崎山城も
▼羽柴秀長と秀吉の田上山城も
◆対談者
彦根城の臨池閣の見学の時も納得しました。
膳所城の設計でも然り、梅の花の鑑賞見所!
◆長谷川
もっと日本文化の基本を学習考察しましよう。
なぜ?ひしやげた織部焼の様な文化が日本に
存在するのか?日本人が根本的に忘れている
のは「菱」菱形の文化です。甲斐武田氏の武田
菱、財閥の三菱のロゴマークや食品の菱餅餅は
日本の「ひしやげ」文化を代表する幾何学です。
勿論佐々木京極の使う四つ目菱もの文化です。
◆対談者
しかしね。安土城天主石蔵平面形状と言い!
天正4年期ですよね?
◆長谷川
この安土城の石蔵の基本設計こそ日本の菱
の文化、並行四辺形の文化そのものですよ。
◆対談者
伝前田利家別所山陣城と言い!
天正11年期です
長谷川
これはまさしく幾何学そのものだ!
◆対談者
文禄慶長の役の豊臣秀保の陣城と言い!
非常に不整形 !織部焼の様に何か変?
◆長谷川
豊臣秀保の城郭の中心線を求めてみる。
◆長谷川
当然ですよ。あの太閤秀吉の夢の跡の
肥前名築城文化、幾何学そのものです。
ビイスタ工法を使っています。
◆対談者
もう常に、ひしゃげた歪な文化を感じる。
◆長谷川
これは当時の幾何学なんだと割り切って
冷静に分析した方が学問と言えませんか?
規矩術「きくじつ」ともよ呼ばれる曲尺
を用いた分度器つまり東洋的タンジェント
角度割り出し手法です。
忘れ去られた倭国の日本の菱の文化です。
◆長谷川
これが豊臣秀保の陣所
◆長谷川
是が秀保の陣所の中心線 簡単に読み取れ導きだせます。
◆長谷川
是が秀保陣所の縄打線 ふふふふ なかなかの幾何学です。
◆長谷川
此れが五世紀の豪族館の実態。
三つ寺Ⅰ遺跡
◆長谷川
これが三世紀の平原弥生古墳の
葬送儀礼殿の平面図 対角線に注目です。
◆長谷川
時代は違えど現代日本人が今忘れて
しまっている倭国や日本国の幾何学
ではないですか?よくよく日本文化
の流れを一度考え直してみましょう。
◆長谷川
作事は建築の分野を言うつまり建物
普請は地形や土地の整形を言う分野
日本には作事と普請が著しく対極に
古来より併用されている文化の流れ
がある。両者には工事の安全と成就
を祈願する呪術が存在したと思われ
城郭遺跡の陣形は機能論だけの向学
だけでは説明がつかないと思われる。
◆対談者
長谷川先生!丹波黒井城の縄張理論が
素晴らしかったです。流石すごいです。
◆長谷川
そうですか?私にはごく平凡で普通の事。
◆対談者
いいえ!長谷川先生の放射状縄張理論
が爆発的な人気と注目を集めてますよ!
城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆長谷川
それない!私は実力はあるが人気無い!
絶対にそんな事は有り得ないはずです!
◆対談者
天正11年1583年の賎ケ岳合戦の北国軍
柴田勝家方の前線総大将北陸の鬼玄蕃
こと佐久間玄蕃盛政の陣城、行市山砦
のビスタ工法、放射線縄張を御教示下
さい!
◆支持者
チョト待って下さい!我々の城郭先生
である長谷川先生は私達だけの先生で
すよ。長谷川先生の説は講演にしろ城
見学しろ全部ヘボな他人に丸パクリさ
れてます。長谷川先生は日本城郭研究
史上稀有の存在の研究家だと私達は思
っているんですよ!
◆対談者
とにかく長谷川先生は日本で一番人気
の無い先生かも?しかし一番斬新で新
しい研究視点を持っ人である事は確実。
◆長谷川
先ずイメージ湧かない人の為推定復元
図を見て下さい。放射状の縄張は存在
するかも知れません。
◆長谷川
次に私の計測した平面図、尺間方で計測。
◆長谷川
次に放射状線を北国街道側から入れます。
美しい放射状線と図面の下には織豊城郭
を示す形状の桝形状虎口もうかがえます。
◆長谷川
その形状は職豊城郭の宇佐山城本丸の
枡形虎口に、非常に類似しております。
▼滋賀県大津市の宇佐山城の本丸と枡形
▼滋賀県長浜市余呉町行市山砦と比較を!
◆長谷川
次に他の集結点を模索します。
◆対談者
あっこれは楽しい!少女時代のアヤトリ
を思い出します!柔軟に脳活出来ます。
◆長谷川 難しく考えない!柔軟思考を!
◆長谷川
そうです。アヤトリを難解な言葉表現
すれば「幾何学」と言います。シロトリ
とは「城取」と書いて築城の意味です。
柔らかく、柔思考で城址観察致します。
▼再度御覧下さい。
◆対談者
余呉城郭研究会で、このビスタ理論は
普通の学習として私達は学びましたが
他の城郭の会は、この手法を学びます?
◆長谷川
全く学ばれません!全く無視状態です!
城郭遺跡研究が文系の学芸員を中心に
発展してきた経緯があり遺跡の設計論
は一般に語られ検討する機会が少ない。
◆対談者
我々余呉城郭研究会は日本全国の人々
が気付かない事を普通に勉強してます!
◆長谷川
それは良い事です。あなた達は人間で
はなく現地の古城からこの技術を学ばれ
ました。偉大なのは賢明な参加者様達。
◆長谷川
更に曲輪内も曲輪の外も放射状に縄張さ
れてます。また城郭中心軸も判明します。
◆対談者
長谷川先生!ヤッパ、あなたはスゴイ!
◆長谷川
スゴイのは当時の設計伎術者と言えます。
是を知ろうとされる人と、全く無視する
人の城郭の見解はj全く異なり城郭研究が
深化、進化するかは一重に皆様一般の方
の感心に、関わってくる事になります。
◆対談者
次に伝前田利家と前田利長の陣城とされ
る別所山砦の放射線状縄張の解説宜しく!
◆長谷川
難しくて簡単に出来ませんが!模索的に
検討してみましよう。先ず復元イラスト
長谷川
次に平面図です。
◆対談者
もうなんか草野球の球場みたいです!
◆長谷川
良い発想ですよ!野球場は幾何学的に設計
されてます。城址も設計され計画されます。
偉い人がそんなの自然と地形だと言われた
瞬間から人間の脳は自ら考える事を停止し
ます。
◆長谷川
次に平面図から扇の中心線を求めてみます。
◆対談者
すげえ~!古田織部の織部焼の対角線理論みたいです!
◆長谷川
あなたの発想は素晴らしいです!室町の
茶湯の文化から生まれて来た織部焼文化
是を武将古田織部が大成させますが当時
の戦国武将古田織部自身も様々な武将も
幾何学を心得て方円の縄を駆使し陣城や
城郭を設計していた事が想像されます。
当時の文化の底流や、社会状況が貴方の
発言にはカルチャー文化を投影する素晴
しい力量が含まれてるのです!天晴だ!
◆長谷川
さて前田又左衛門の縄張の冴え力量をば
続けて考察して行きます。放射線は意外
にも多数この別所山陣にも存在致します。
◆長谷川
ここにも放射線の起点がある。
◆長谷川
ここにも放射線の起点がある。
そしてそれらを総合的に考察
すると緻密入念な設計工学の
存在が見えて来る。又左衛門は
なかなか槍も算盤も使う株式会社、
前田工務店の社長と言える技量や
器量と人物鑑定できます。太閤
秀吉がその又左衛門の才気を洞察
していた事に、驚きます。やはり
加賀宰相と呼ばれる人だけの事は
充分に解る戦国陣城と言えましよ
う。2020/02/17 長谷川博美記す。
あれがとう
ございます。
2名様
ありがとうございます。
良いね!
一名様
素晴しい
洞察力
です。