◆ベテラン様
長谷川さんの幾何学論
城郭ビイスタ論動画が
3400回も視聴されてる
事に異常さを感じる!
長谷川さんは城を楽し
んでおられない「楽」
ではなく「学」です!
◆対談者
器に盛られた旬の物
を頂いて味覚を賞味
する事も日本食文化
とも言えますtaste
味わいですが一方で
その器の造詣自体を
深く精神的に鑑賞を
する事も重要だと私
は思います。織部焼
にも様々な工夫設計
が成されいて日本の
器の文化として親し
み楽しむ事が織部焼
を鑑賞する楽しみ。
◆長谷川
山科本願寺も日本の幾何学
文化の通過点として捉える
事が寺院城郭を鑑賞する為
の和の心ではないですか?
山科本願寺を巨大な幾何学
の「織部焼」のような日本
文化論として考えましよう
器「うつわ」は食品を入れ
る容器、曲輪は人々を戦乱
から守る「くるわ」です。
◆山本様【匿名】
長谷川先生の城郭ビイスタ論
動画が巷間で大変な話題です
京都の山科本願寺城址は平城
で1世紀前に近代城郭の要素を
含むと『中世城郭辞典』には
「城郭史上、特筆すべき城郭
跡といえる」と解説されてま
す。城郭研究史上重要な城な
のですか?
▼山科本願寺城 主要部
◆長谷川【著者】
山科本願寺城は(1532年)の
『経厚法印日記』に「山科
本願寺ノ城ヲワルトテ」と
記録され六角氏と法華宗が
落城させています。縄張は
100年進んだ横矢の配置で
近世城郭縄張の基礎が既に
萌芽している優れた縄張の
寺院城郭と言えます。山科
本願寺の創築自体は天文10
年1478年1月29日に開始さ
れています。
◆山本様【匿名】
蓮如さんが布教活動された
代表的な場所は何処です?
◆長谷川
堅田、吉崎、山科、石山何れも
天険の要害と水陸の交通の要衝
に選地して築城しておられる事
を考えると城郭を作る然るべき
要害の地を「見立て」選び取る
センスは日本城郭史においても
稀有の資質を持ち合わせた人で
地勢経営学の達人とも言える人
築城の事を「経始」と言います。
◆山本様【匿名】
大坂城は大坂石山本願寺の跡に
羽柴秀吉が自らの根城とし築城
しますが先生のビイスタ分析に
よりますと中央型ビイスタ工法
との事で私個人は大変驚きます。
▼天正大坂城
◆長谷川
織田信長の永禄6年1563年築城
小牧山城も中央ビイスタ型です
◆山本様
山科本願寺城は(1532年)
落城していますが中央に
ビイスタ工法が存在しま
すか?
◆長谷川
天文期に既に横矢配置や巧妙
な曲輪配置が存在する事自体
が非常に驚くべき事と思います
◆長谷川
家相学 方位学 四神相応
に計画された寺院城郭でも
あり正しく法城に相応しい
縄張設計がなされています。
▼ 仏城 曼荼羅 参考資料
◆山本様
この優れた幾何学や測量術
を保持していた縄張技能集
団は真宗教団自体ですか?
◆長谷川
山科本願寺自体の縄張を
実施した人名を私は知り
ません。山科本願寺後身
の石山本願寺では天文21
年1553年松田三郎入道と
呼ばれる加賀の国の城作
りが招聘されて築城され
ていますから山科本願寺
も加賀の国の職能集団が
縄張を担当した可能性が
あると私は考えています。
◆山本様
天正4年段階で織田信長は
安土城に扇型の縄張を採用
した事は長谷川先生の研究
で既に全国に知れ渡ったて
います。山科本願寺城にも
扇型ビイスタ工法は存在す
るのですか?
▼安土城 扇型ビイスタ工法
◆長谷川
見事な扇型ビイスタが安土と
同じく方位軸「北」を中心に
読み取れる事が可能です。
◆長谷川
航空写真で分析しますと御本寺
内寺内、外寺内、蓮如も生活し
た南殿も含めて扇型ビイスタで
縄張された本願寺の都市計画が
読み取れます。
◆一般様
長谷川先生!これだけ大論
を解説出来る城郭研究家は
日本国屈指の城郭研究家だ
◆長谷川
私は残念なから
著書一冊も無し
仕事は一切無し
支持者全く無し
肩書も勿論無し
◆対談者
重複型ビイスタ工法は存在
しますか?
◆長谷川
南と東から存在致します。
◆長谷川
また北から南に向けた様々な
ビイスタ工法も存在致します。
特に下図赤線放射状ビイスタ
は御本寺を中心とする扇型の
寺内通路とも密接に関連して
います。
◆対談者
小ビイスタ、緻密ビイスタは
存在しますか?
◆対談者
扇型やクサビ型ビイスタ存在
致します。
◆長谷川
方角を変えると様々な
大小のビイスタ工法が
存在に気付きます。
◆長谷川
西から東へのビイスタも
見事なものがあります。
以下ウイッキペデイアより引用
文明10年(1478年)から
造営され、約6年間で建設
されたと言われている。
山科盆地の中央より西側に
あり、四ノ宮川と山科川
(旧音羽川)の合流地点で、
当時は山城宇治郡に属する。
この地域は東海道から宇治
街道へ抜ける分岐点、交通
の要所であった。
山科本願寺がどのような寺院、城郭であっ
たかについて、天文元年(1532年)8月24日
『二木水』の条では
四、五代に及び富貴、栄華を誇る。寺中は
広大無辺、荘厳ただ仏の国の如しと云々、
在家また洛中に異ならざるなり、居住の者
おのおの富貴、よつて家々随分の美麗を嗜む