◆参加者
米原学びあいステーシヨンでの
長谷川先生の講義は従来にない
柔軟性あふれる講座が好調です。
◆対談者
犬山城天守閣の楼閣ビイスタの
解説に斬新さを私は感じました。
◆長谷川
私自身取り立てて斬新な講座と
考えておりません。柔軟にもの
事を考える事が新しい発見や研
究の進化に繋がると私は思いま
す。
▼山科本願寺城の縄張
▼安土城の縄張
◆質問者
京都西本願寺様の楼閣「飛雲閣」
に楼閣ビイスタ工法は存在しま
すか?
◆長谷川
左右対称を定型とする特殊な
楼閣「アンシンメトリカル」
な三重の楼閣と認識してまし
たが日本人の美の琴線に響く
安定したビイスタ「建築」で
あり日本語で言う「見栄え」
を考慮した優美な楼閣である
事が読取れると私は思います。
◆質問者
奇妙な質問をし申し訳ありま
せんが、地上から上へと設計
された建築見栄えやバランス
整合性ある整いの設計思想は
飛雲閣には存在するのですか?
◆長谷川
一見アンバラスな外観に感じる
飛雲閣ですが練りに練った楼閣
の見栄えは流石に用意周到なる
構図に裏打ちされた建造物です
西本願寺飛雲閣黄鶴台から寛永
五年三月から寛永六年八月迄の
墨書が発見され高台院屋敷すな
わち秀吉の京都新城の遺構だと
する説も最近は存在致します。
◆長谷川
一般の大工は図面道理手本通り
に建築物を作れば良いしかし人
が建物を見る角度を考慮する事
はケース、バイ、ケースであり
工匠や棟梁と呼ばれる人々は型
から脱したアーテステック芸術
的優美な建物を設計するアート
感覚を身に着けているものです
大工さんではなくデサイナー!
▼飛雲閣の家相 長谷川加筆
◆質問者
飛雲閣の語意や意味は何です?
◆長谷川
中世「山」は比叡山の隠語で
「松」は内裏、皇室の隠語で
「雲」は皇居、内裏に昇殿が
許された高位高官の事、殿上
人を「雲客」と言いますので
身分高き人のみ登閣許された
風流や茶事の為の建築名と私
は考えています飛雲閣黄鶴台
と言う地名の台」は古くから
東洋の府都に設置された為政
の為の国見櫓の意味があろう
かと私は個人的に思います。
百科事典マイペディア「飛雲閣」引用
飛雲閣【ひうんかく】
◆質問者
徳川幕府により京都仙道御所寛永4
年(1627)年後水野尾天皇御退位に伴
う仙道御所建設では御所の平面設計
「縄張」にはビイスタ工法が活用さ
れたのでしょうか?
▼創建当時の仙道御所
◆長谷川
私にはこの件に関して正確に答え
られません、ビイスタ工法の研究
課題とし試論的に考察させて頂き
ます、複数のクサビ型ビイスタで
縄張した可能性があると思います
▼安土城表門複数門のビイスタ
◆長谷川
仙道御所は天皇が退位された後
の上皇や法王が居住される殿舎
を言います創建当初の仙道御所
▼山科本願寺のクサビ型ビイスタ 長谷川分析
◆質問者
現代の京都仙道御所の南池近辺
が小堀遠州の作庭と巷間で言わ
れてますが、南池近辺には庭園
ビイスタが存在しますか?
◆長谷川
小堀遠州や片桐石州の家系
は近江浅井家の被官として
出発しております。浅井氏
居城小谷城は文献『信長
公記』では天正3年まで
羽柴秀吉が居住していた
記録あり小谷城ビイスタ
も時に考え併せましょう。
▼小谷城ビイスタ工法
▼尾張 小牧山城の複数ビイスタ
◆一般者
ビイスタ論ってスゴイ理論です!
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