◆古墳フアン男性
いやいや長谷川先生の仁徳陵
古墳群のビイスタ配置図見て
私は腰抜かしました。私全く
規矩術やビイスタ工法の知識
ないですから 仁徳陵古墳群
の最初ビイスタ配置図見を見て
これは学問じやなくて幻想図
と?最初判断いたしましたが
これだけ陸地測量的に古墳群
が整合性をともなって築造さ
れた事を深慮すると古代日本
測量技術の高度さを看過して
はならないなと痛感しました
併せて城郭ビイスタ動画など
も見させてもらっております
私数学の教師していましたか
ら集合理論を想起させる古墳
配置と感じました一方の腺群
に属する古墳と位置決め配置
や古墳の属性が重複している
AとBは別物でなく(A+B)概念
AはBに含まれBもAに含ま
れる異種が相互重複し合つて
構成される高度理論だと思う
◆女性古代フアン
確かに指摘され始めて
認識する遺跡設計配置
さて奈良纏向古墳群の
古墳群のビイスタとは
現実に存在するですか?
▼長谷川 過去講座記録
◆長谷川
この様に特徴的な纏向
古墳群は放射測量手法
を駆使し古墳群の縄張
を展開しております。
直弧紋を思わせる設計
が存在したと思います。
◆質問者
『魏志倭人伝』には邪馬台国には
伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮
の四臣が記されていますが纏向古墳
の4墳墓は彼ら大臣の墓でしょうか?
◆長谷川
年代が確定されてもしも
4墳から文字記録が確認
されれば上記4臣の墳墓
の可能性や邪馬台国候補
地とも言えますが現在の
ところ不確定と言えます。
◆一般者
仁徳天皇陵古墳にしても
纏向古墳群のビイスタも
倭人、和人の伝統的測量
文化だと着想すると感慨
深いものがありますが?
◆長谷川
纏向古墳群も複雑な幾何学
的縄張設計を駆使して成り
立っております。
◆質問者
纏向遺跡群とはビイスタ
工法で作られていますか?
◆長谷川
宮殿配置自体ビイスタ工法
◆質問者
纏向に王都を定めた記録とは?
◆長谷川
『古事記』『日本書紀』には、
崇神天皇は三輪山西南麓の磯城
・纒向に宮を構えたとあります
▼纏向古墳群全体のビイスタ配置
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