城郭 長谷川博美 基本記録

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衝撃!織田信長安土城VS武田勝頼新府城と甲江和与

2022-06-14 04:13:45 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

衝撃!織田信長安土城VS武田勝頼新府城と甲江和与

◆質問者

城郭ビイスタ論は甲斐勝沼氏館にも存在しますか?

勝沼は武田氏一族城館だと聞いておりますが如何?

 

◆長谷川

一期に完成した城郭ではありませんので一概に言え

ませんが整然とした複数のビイスタが工法が存在。

▼先ず楔型ビイスタ工法が読取れます。

◆一般者

これは驚きました。初めて聞く令和の最新の城郭

分析手法のひとつ楔型ビイスタ工法の典型ですね!

◆長谷川

西郭、東郭、北郭が増設された時期には中央ビイスタ

を用いて勝沼館の全体を統括していたようです。また

別の角度からも放射状ビイスタ工法が多現的に読み取

ます。下図東郭の土塁幅がネクタイの様な形状になっ

ている事はビイスタ工法の拘束を受け事を意味します。

 

◆長谷川

勝沼氏館は多数の幾何学測量により縄張されている。

 

◆質問者

長谷川先生は城郭ビイスタ論ばかり普段

見学会や歴史講座でされているのですか?

 

◆長谷川

いいえ!ビイスタ論は避けています。レジュメ資料

に掲載する事はあります。まさか?ビイスタ論動画

が2800人も視聴されるとは私の予想外の事でした!

 

◆質問者

この投稿は城好きの人に向け投稿されたものですか?

 

◆長谷川

いいえ。純粋な心の持ち主様に向けて投稿してます。

真心を持って素朴に純真に城跡を見学される方々に。

 

◆質問者

長谷川先生の城郭ビイスタ論動画拝見させて頂きま

した。私が衝撃を受けた事は、織田信長の安土城の

形状が「扇型」と解説されている事に私個人は衝撃

を強く受けました。何故ならば戦前戦後を通し歴史

学者や高名な城郭研究家は一切安土城がビイスタで

縄張設計されているなどの解説を述べておられない

事です。しかし私は最近の先生の投稿を深慮勘案し

た結果城郭平面幾何学が最重要項目だと悟りました。

これは新しき学問の地平と視座が確実に存在します。

城郭ビイスタ論の動画は必ずや2800を突破致します。

何故なら城郭ビイスタ論こそ令和の画期的城郭研究!

 

▼安土城の城郭と家臣団屋敷のビイスタ工法図

▼安土城主要部 城郭部の扇型城郭ビイスタ工法

◆長谷川

大仰な言葉や過分の賛辞はお断り致します。私は肩書

も著書なく日本国において全く無名凡愚の城郭研究家

従ってこの投稿も全く営利や利潤を目的と致しません。

 

◆取材者

『甲江和与』という文言御存じかと思います。先生は

名古屋米原で文献『信長公記』講座が大変に評価が高

かった。しかも日本の城郭縄張研究の奥義のビイスタ

を研究され『城郭ビイスタ論』は城ブームが続く日本

国において青天の霹靂の如き衝撃を与えております。

 

『甲江和与』つまり甲州/甲斐の武田勝頼と江州/近江

の織田信長の両者が雌雄を決する長篠合戦よりも和睦

を前提とした和平交渉を模索していた現実があります。

つまり近江織田信長の安土城と甲斐武田勝頼の新府城

には同時代の城郭として何がしかの共通根が城郭平面

構造として存在したか?長谷川先生に御教示願いたい。

 

◆対談者

つまり信長の安土城にも勝頼の新府城にも城郭ビイスタ

が存在したのか収財したい!特ダネ記事を長谷川先生か

ら確保したい訳でしょう?私達は先生の特異性に数年前

から気付いて歴史や城址を深く楽しく学んできました!

 

◆長谷川

先ず

安土城は天正4年に起工され天正7年に完成しました

織田信長は天正10年6月に本能寺の変で亡くなります。

武田勝頼は江州安土城の織田信長と和議『甲江和与』

も模索しますが天正10年1583年3月に天目山において

自害しております。新府城は『長国寺殿御事跡稿』

天正9年正月21日に武田家臣の真田昌行幸が国衆に

人足動員を命じたものとされ『武州文書』には、

同年9月に一応の城の普請は完了したとされ。武田

方の穴山信君の新府築城献策は天正8年7月説もあり

ます。新府城の北側防塁も天正壬午の乱時に徳川家

が構築したものとの説もあります。

 

◆質問者

甲斐新府城の本丸は何故正方形に縄張されてないの?

 

◆長谷川

素晴らしい城郭の縄張の本質を質問する人です。

正方形正四角形ならば方眼紙状グリッドで設計

された構築物と言えます。放射状グリッド基準

腺で設計縄張されていたらば放射グリッドです。

甲斐新府城は扇型城郭ビイスタ工法の縄張です。

同時代に存在した信長の安土城と勝頼の新府城

双方を平面幾何学的に比較研究する事も大切!

この縄張に『甲江和与』の着想も存在したか?

 

▼武田勝頼 新府城  ビイスタ工法

相横矢をかける出構もビイスタ工法を使った縄張     ▼           ▼

                                                             ▲大手の馬出もビイスタ工法で作られています。

◆反論者

新府城の大手枡形と馬出がビイスタ工法で出来る

証拠を提示して貰えませんか?私そんな事を習っ

た事は一度もないんですよ。チャンとした証拠を?

 

◆長谷川

私は城を人間の先生から学んでおりません。私の

城の先生は城自体です。図書館にも講演や講座で

教えてくれない事に気付く事が人の気付力です。

新府城大手枡形馬出に整合性あるビイスタ工法

が読み取れます。丸覚えの暗記は誰でも出来る

城の縄張を看破する力量を身に着けましょうね。

 

◆長谷川

2は中央ビイスタに相当する縄張です。

その他の13456も複数のビイスタ工法。

◆長谷川

中央ビイスタ工法は安土城天主台に存在

 

 

◆長谷川

池田恒興の小里城にも存在します。

◆長谷川

新府城は

巨視的に検討すると南北に長大な相対型ビイスタ

工法が読み取れ武田氏の驚くべき広大な城郭構造。

この構想が徳川期のものか武田時代のものか不明。

 

▼安土城の様々なビイスタ工法

 

城をどこから見ても誰もが驚く四方正面の見栄え

のする城!甲斐の国の新しい府庁が新府城です。

 

◆質問者

上総坂田城のようなV+V=wビイスタ工法は

新府城に存在致しますか?

◆長谷川

   青 赤

新府城AとBの出構えがwビイスタと言えます。

よく観察しますと緑色の曲輪馬出もビイスタ

で設計されていますからトリプルビイスタと

も深堀すれば解釈で来ます。

 

◆質問者

新府城の武田勝頼は天正10年に滅亡します。

安土城の織田信長も天正10年本能寺で自害。

天正11年の典型的織豊系ビスタ工法の城は?

◆長谷川

柴田勝家の超巨大城郭内中尾山城こと

玄番尾城の壮大なビイスタ工法ですよ。

 

◆質問者

今回のテーマは安土城VS新府城

織田信長VS武田勝頼です安土城

にトリプルビイスタありますか?

◆長谷川

滋賀県の発掘調査で安土城大手口に日本の古都

を模倣インスパイアされたような三門形式の門

城門が確認されています。各門は小規模な楔型

のビイスタを駆使して三か所のビイスタ工法が

私個人は存在したと考察致します。今回は天正

10年頃の織田、武田、柴田の城を紹介しました。

 

◆質問者

並立式ビイスタ工法や側面ビイスタ工法の手法

は日本測量文化の根源としてそのルーツとは?

 

◆長谷川

温故知新、大和の手原廃寺が見事な並行ビイスタ

工法を駆使した荘厳な寺院建築プラニングです。

 


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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-06-13 10:05:56
この投稿は素人レベルの投稿とは思えません。城郭が築城された当時の時代の職人や武将のレベルで縄張について言及されている事に鳥肌が立つほどです。本当に凄い内容です。
返信する
Unknown (Unknown)
2022-06-13 18:17:53
城の縄張の概念が従来とは全く異なる新手法で研究されていて一種の異文化に触れたよ様なカルチヤ―ショツクを受けました。しかし文面を吟味して読み進むと確かに正論です。私の知らない城郭の世界観ここにある事に驚いています。
返信する
Unknown (Unknown)
2022-06-14 16:00:37
最初は奇妙な城郭論説だと思いました。しかしこれは私のとんでもない誤認でした。城郭ビイスタは正統派の論説です。城の縄張の本質や根本を生まれて初めて知りました。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2022-06-14 16:01:36
各位様の御賛同と御理解に深く感謝を申し上げま。
返信する

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