11/6(火)9℃
おはようございます。
湯来では、朝霧がタチアガってます。
日の出前は特に霧が深くて、街路灯が冒頭のように見えてました。
少し小高い場所に上れば、日の出と共に「雲海」が見えてるんじゃないかと思います。
目覚めのおさんぽドライブ、楽しんでみませんか?
あっ、寒さ対策をお忘れなく
久しぶりに湯来に伝わる民話「虫送り」です。
むかし、稲の害虫を防ぐには、夜、木や草を燃やして、虫を集め焼き殺す以外に方法はありませんでした。
麦谷では、夏のはじめ、虫送りと言う行事を行っていました。
「いつ、いつには虫送りをするけぇ、頼みます」
と言うお触れが回ると、各農家では日が暮れると自分の家の田の近くで、松明(たいまつ:松の木の芯や、松の木を切った株が10年近く経つと芯だけになる。「肥え松」とも言う)に火を付けて、田の中を下へ下へと下がって行く村人がそれぞれ集まるので長い火の列になります。
そして、人々は、
「さいとうべっとう、さねもり、根虫、葉虫、さざえ虫(よろい虫)を送ろうよ」
「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫を送ろうよ」
と口々に叫んで、矢田ヶ原の河原まで行き、各自の松明を集めて焼いていました。
また、所によっては、峠まで長い列をつくって行き、山の上まで虫送りをしていました。
なぜ、斉藤別当実盛・・・・・と言われていたか・・・、
それは、
『 昔、斉藤別当実盛が、戦で不利になり逃げ出しました。そして、田んぼの中に隠れていました。「わしが他の中に隠れていることを誰にも言うな」と仲間に言いました。
ところが、仲間の人達がみな捕らえられましたが、斉藤別当だけは見つかりませんでした。そこで、
「隠れている所を言ったら命だけは助けてやる」
命が惜しくなった仲間の一人が、告げ口をしましたので、実盛はついに捕らえられました。無念に思った実盛は、
「将来、稲の虫となって祟ってやる」と言い残して死んでいきました 』
その言い伝えにより、
「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫送ろうよ」
と言って、虫送りをしたそうです。
地元の人さえ今は語り継がれること無く、風化してしまった虫送り行事。湯来の民話は平成5年、今から約20年前に地域の古老から聞き取った民話を元に語らせていただいてます。
祭りの時に御輿を担ぐときのお囃子ことば。
”やぁ~~れぇ、・・・・・・・、よいせ、そこせ。やれ・・・・”
ご存知の方はコメント書き込みをお願いします。
次回の湯来に伝わる民話は「峠の水」です。お楽しみに。
今日は「お見合い記念日」。
1947(昭和22)年、結婚紹介雑誌『希望』が東京の多摩川河畔で集団お見合いを開催したことを記念して制定されてます。戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加されたようですが、今の時代の結婚年齢からするとあわ・30・40までは”婚期を逃した”とは言えない気がしますがいかがでしょう?私の知人にも未だに独身貴族を満喫しているのが数人いるし、”したい”と思わない限り、自分自身の時間や生活パターンを変える気も無いようだし、自由奔放を謳歌できるのは若くて健康な時だけだと思うんですけど・・・・、病気や心が折れそうな時にヘルプできる人が近くにいたら支えになると思うんですけど・・・・、私の考えって古臭いのかなぁ
もう一つ「アパート記念日」
1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパート、「上野倶楽部」が完成しました。5階建て70室の建物だったそうです。
木造三階建てくらいはよく見かけますけど、五階建てになると見たことも聞いたことも今までは無く、イメージは掻き立てられるんですが、強度や音を考えるとどんな木造家屋だったんだろうかと気になり始めました。
まぁ、寺社仏閣のような日本伝統技術を酷使すれば、耐震基準が無かった時代でもあり、狭い敷地を上に上に居場所を求めたスタートができたんでしょうね。
今の建築基準法では何階まで木造建築が許可されるんでしょう?
わかる方、書き込みをお願いします。
今日も元気で、楽しく、有意義な一日になりますように
おはようございます。
湯来では、朝霧がタチアガってます。
日の出前は特に霧が深くて、街路灯が冒頭のように見えてました。
少し小高い場所に上れば、日の出と共に「雲海」が見えてるんじゃないかと思います。
目覚めのおさんぽドライブ、楽しんでみませんか?
あっ、寒さ対策をお忘れなく
久しぶりに湯来に伝わる民話「虫送り」です。
むかし、稲の害虫を防ぐには、夜、木や草を燃やして、虫を集め焼き殺す以外に方法はありませんでした。
麦谷では、夏のはじめ、虫送りと言う行事を行っていました。
「いつ、いつには虫送りをするけぇ、頼みます」
と言うお触れが回ると、各農家では日が暮れると自分の家の田の近くで、松明(たいまつ:松の木の芯や、松の木を切った株が10年近く経つと芯だけになる。「肥え松」とも言う)に火を付けて、田の中を下へ下へと下がって行く村人がそれぞれ集まるので長い火の列になります。
そして、人々は、
「さいとうべっとう、さねもり、根虫、葉虫、さざえ虫(よろい虫)を送ろうよ」
「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫を送ろうよ」
と口々に叫んで、矢田ヶ原の河原まで行き、各自の松明を集めて焼いていました。
また、所によっては、峠まで長い列をつくって行き、山の上まで虫送りをしていました。
なぜ、斉藤別当実盛・・・・・と言われていたか・・・、
それは、
『 昔、斉藤別当実盛が、戦で不利になり逃げ出しました。そして、田んぼの中に隠れていました。「わしが他の中に隠れていることを誰にも言うな」と仲間に言いました。
ところが、仲間の人達がみな捕らえられましたが、斉藤別当だけは見つかりませんでした。そこで、
「隠れている所を言ったら命だけは助けてやる」
命が惜しくなった仲間の一人が、告げ口をしましたので、実盛はついに捕らえられました。無念に思った実盛は、
「将来、稲の虫となって祟ってやる」と言い残して死んでいきました 』
その言い伝えにより、
「斉藤別当実盛、根虫、葉虫、さざえ虫送ろうよ」
と言って、虫送りをしたそうです。
地元の人さえ今は語り継がれること無く、風化してしまった虫送り行事。湯来の民話は平成5年、今から約20年前に地域の古老から聞き取った民話を元に語らせていただいてます。
祭りの時に御輿を担ぐときのお囃子ことば。
”やぁ~~れぇ、・・・・・・・、よいせ、そこせ。やれ・・・・”
ご存知の方はコメント書き込みをお願いします。
次回の湯来に伝わる民話は「峠の水」です。お楽しみに。
今日は「お見合い記念日」。
1947(昭和22)年、結婚紹介雑誌『希望』が東京の多摩川河畔で集団お見合いを開催したことを記念して制定されてます。戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加されたようですが、今の時代の結婚年齢からするとあわ・30・40までは”婚期を逃した”とは言えない気がしますがいかがでしょう?私の知人にも未だに独身貴族を満喫しているのが数人いるし、”したい”と思わない限り、自分自身の時間や生活パターンを変える気も無いようだし、自由奔放を謳歌できるのは若くて健康な時だけだと思うんですけど・・・・、病気や心が折れそうな時にヘルプできる人が近くにいたら支えになると思うんですけど・・・・、私の考えって古臭いのかなぁ
もう一つ「アパート記念日」
1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパート、「上野倶楽部」が完成しました。5階建て70室の建物だったそうです。
木造三階建てくらいはよく見かけますけど、五階建てになると見たことも聞いたことも今までは無く、イメージは掻き立てられるんですが、強度や音を考えるとどんな木造家屋だったんだろうかと気になり始めました。
まぁ、寺社仏閣のような日本伝統技術を酷使すれば、耐震基準が無かった時代でもあり、狭い敷地を上に上に居場所を求めたスタートができたんでしょうね。
今の建築基準法では何階まで木造建築が許可されるんでしょう?
わかる方、書き込みをお願いします。
今日も元気で、楽しく、有意義な一日になりますように