報道は、2022年度に統合する高校の名称が決まったとするものだ。湯本高校と遠野高校の統合後の名称は仮称となるが「いわき湯本高校」とするという。
福島県教育委員会が公表している資料によると、統合後の高校は、「大学進学から就職まで、生徒の幅広い進路希望に応える学校」で、
「 地域の抱える課題を発見し、他と協力しながら解決策を見いだすような学習活動をとおして、地域を支える核となって活躍する、社会に貢献できる人材を育てる学校」と位置づけられ、
幅広い進路希望に応えるために、4年制大学への進学をめざす「アカデミックコース」と、
看護系の専門学校及び大学等の上級学校への進学や公務員、一般企業就職をめざす「スペシャリストコース」を設けるのだという。
県教委は各校における特色ある教育を位置づけているが、いわき湯本高校には、地域の保健・医療人材を育てることを目的に、保健・医療コースをもうけ、アカデミックコースとスペシャリストコースの教育を通して、保健・医療系の進路希望をもつ生徒を対象に、外部講師による講演会や保健・医療現場の見学などの体験学習を田と押して、「医療従事者としての人間性、職業観」を高めるとしている。
定員は240名で6学級、2022年4月の統合時には、統合本校舎(現湯本高校校舎)と統合校遠野校舎(現遠野高校)を設置し、遠野校舎では統合までに遠野高校に入学した生徒が学ぶようにするという。つまり、2022年度の遠野校舎では2年生と3年生が学び、23年度には3年生が学び、卒業後、遠野校舎は廃止することになるようだ。
報道を読みながら思った。私自身は、湯本高校と遠野高校の統合には反対する立場だ。以前のブログにもその理由を書いているが、最大の理由は、遠野高校が本紙の高等学校教育の特別な位置づけを持っていると認識しているからだ。
もともと遠野高校は、遠野、田人など地元の熱烈な要望に押されて、磐城農業高校の分校だったものが格上げされ、県立普通科高校として新設された。当初は周辺地域の子ども達が、時間と通学費用をかけて通学しなくても学業を積み上げることができる高校としての役割を果たしたものと思われる。しかし、時の経過とともに、その役割を変えた。現在は、困難を抱えた子ども達であっても、立地地域という特性も踏まえて、安心して学び、進路を確定しながら卒業していくことを達成する高校としての役割を果たしているようだ。
少子化の中で入学生が減少している。80人2学級の募集をしても1学級分の生徒しかいない。そのような学校ではあっても、卒業した生徒達が、本市をはじめとした未来の担い手の一員となっていることを考えると、このような位置にある高校の重要性は本市にとってかけがえのないものなのではないだろうか。
しかし、少子化による生徒の減少、そして、おそらくは人口減少を背景にした公共施設の再編という国の方針を背景に、遠野高校の統合が進んでしまっている。一般的な公共施設の再編という問題と、多様な教育を担う施設の一つの廃止という問題を、同一のレベルで語るこの高校の統廃合は本市にとって、未来を開く方向になるのか、大いに疑問が湧いてくる。
市議会議員に落選し、とりあえずは自宅で様々な家事を担いながら過ごしている。昨年の秋頃か、遠野高校の体操服を着用した生徒達が自宅前の道路を走って通り過ぎた。女子は3km(かな)、男子は5km(かな)の校内マラソンの練習だ。自宅前を通る時には「こんにちは」など声をかけると、息をあげながら声を返してくれたりした。授業にかかわらず、遠野高生達の動向に地域の住民達が気持ちをよせていた。バスの時刻表が変更された際には、発車時刻に間に合うために走る生徒達の姿を見て、時間と停車場所に関して要望する声が聞こえてたりもした。
中山間地における高校の廃止は、こうした面から考えても大きな影響があるだろう。同時に気にかかるのは、本市の子ども達に対する教育の問題だ。理解力の高い子ども達から普通の子ども達まで、その性格・性質を踏まえながら、丁寧に教育ができる環境を、新しい高校のあり方は提供できるのだろうか。この面では、今回の高校の統廃合では大いに疑問が残る。
県教委の統合方針の公表後、その対象になった高校で設置された懇談会では、湯本高校と遠野高校の学力の面での統合への疑問や、地域への影響に関する疑問などが出されていたという。その疑問や問題点はどのように解決されているのだろうか。
遠野地区で生徒達が学んでいる姿を見ることがある私から見れば、この問題の解決を測ることは難しく、結局、遠野高校が果たしている高校教育の役割を外に置いて議論が進んでいるようにしか思えない。先日、遠野和紙の材料作り等の体験学習に生徒達がやってきた。いっしょに作業をする場面があったが、彼らから見ればジジ、ババの世代となる私たちのアドバイスに耳を傾けながら一生懸命作業に取り組んでいた。帰り際に、コウゾの枝といっしょに蒸し上げたサツマイモをお土産に手渡すと、うれしそうに手にする若者の姿に、こちらが和みをいただいた。感謝の一言しかない。
県教委の対応は、統合は決まった方針であり、統合のあり方に関する意見には耳を傾けるが、統合の是非は検討外というものだったと聞く。当初、統合後は現湯本高校に遠野高校在学の生徒分に1クラスを用意する形で統合する案があったと聞く。遠野高校在学生が卒業するまで遠野校舎を存続させると変更されているのは、懇談会等で出された疑問をかわして統合に向かうためのものであろう。しかし、ここには遠野高校が本市で果たす教育上の役割というものが、どこに引き継がれていくのかは含まれていないようにしか思えない。統合は決まったものとして、前に進もうとする県教委のやり方でいいのだろうか。
どこかでしっかり議論をしてもらいたいものだ。
福島県教育委員会が公表している資料によると、統合後の高校は、「大学進学から就職まで、生徒の幅広い進路希望に応える学校」で、
「 地域の抱える課題を発見し、他と協力しながら解決策を見いだすような学習活動をとおして、地域を支える核となって活躍する、社会に貢献できる人材を育てる学校」と位置づけられ、
幅広い進路希望に応えるために、4年制大学への進学をめざす「アカデミックコース」と、
看護系の専門学校及び大学等の上級学校への進学や公務員、一般企業就職をめざす「スペシャリストコース」を設けるのだという。
県教委は各校における特色ある教育を位置づけているが、いわき湯本高校には、地域の保健・医療人材を育てることを目的に、保健・医療コースをもうけ、アカデミックコースとスペシャリストコースの教育を通して、保健・医療系の進路希望をもつ生徒を対象に、外部講師による講演会や保健・医療現場の見学などの体験学習を田と押して、「医療従事者としての人間性、職業観」を高めるとしている。
定員は240名で6学級、2022年4月の統合時には、統合本校舎(現湯本高校校舎)と統合校遠野校舎(現遠野高校)を設置し、遠野校舎では統合までに遠野高校に入学した生徒が学ぶようにするという。つまり、2022年度の遠野校舎では2年生と3年生が学び、23年度には3年生が学び、卒業後、遠野校舎は廃止することになるようだ。
報道を読みながら思った。私自身は、湯本高校と遠野高校の統合には反対する立場だ。以前のブログにもその理由を書いているが、最大の理由は、遠野高校が本紙の高等学校教育の特別な位置づけを持っていると認識しているからだ。
もともと遠野高校は、遠野、田人など地元の熱烈な要望に押されて、磐城農業高校の分校だったものが格上げされ、県立普通科高校として新設された。当初は周辺地域の子ども達が、時間と通学費用をかけて通学しなくても学業を積み上げることができる高校としての役割を果たしたものと思われる。しかし、時の経過とともに、その役割を変えた。現在は、困難を抱えた子ども達であっても、立地地域という特性も踏まえて、安心して学び、進路を確定しながら卒業していくことを達成する高校としての役割を果たしているようだ。
少子化の中で入学生が減少している。80人2学級の募集をしても1学級分の生徒しかいない。そのような学校ではあっても、卒業した生徒達が、本市をはじめとした未来の担い手の一員となっていることを考えると、このような位置にある高校の重要性は本市にとってかけがえのないものなのではないだろうか。
しかし、少子化による生徒の減少、そして、おそらくは人口減少を背景にした公共施設の再編という国の方針を背景に、遠野高校の統合が進んでしまっている。一般的な公共施設の再編という問題と、多様な教育を担う施設の一つの廃止という問題を、同一のレベルで語るこの高校の統廃合は本市にとって、未来を開く方向になるのか、大いに疑問が湧いてくる。
市議会議員に落選し、とりあえずは自宅で様々な家事を担いながら過ごしている。昨年の秋頃か、遠野高校の体操服を着用した生徒達が自宅前の道路を走って通り過ぎた。女子は3km(かな)、男子は5km(かな)の校内マラソンの練習だ。自宅前を通る時には「こんにちは」など声をかけると、息をあげながら声を返してくれたりした。授業にかかわらず、遠野高生達の動向に地域の住民達が気持ちをよせていた。バスの時刻表が変更された際には、発車時刻に間に合うために走る生徒達の姿を見て、時間と停車場所に関して要望する声が聞こえてたりもした。
中山間地における高校の廃止は、こうした面から考えても大きな影響があるだろう。同時に気にかかるのは、本市の子ども達に対する教育の問題だ。理解力の高い子ども達から普通の子ども達まで、その性格・性質を踏まえながら、丁寧に教育ができる環境を、新しい高校のあり方は提供できるのだろうか。この面では、今回の高校の統廃合では大いに疑問が残る。
県教委の統合方針の公表後、その対象になった高校で設置された懇談会では、湯本高校と遠野高校の学力の面での統合への疑問や、地域への影響に関する疑問などが出されていたという。その疑問や問題点はどのように解決されているのだろうか。
遠野地区で生徒達が学んでいる姿を見ることがある私から見れば、この問題の解決を測ることは難しく、結局、遠野高校が果たしている高校教育の役割を外に置いて議論が進んでいるようにしか思えない。先日、遠野和紙の材料作り等の体験学習に生徒達がやってきた。いっしょに作業をする場面があったが、彼らから見ればジジ、ババの世代となる私たちのアドバイスに耳を傾けながら一生懸命作業に取り組んでいた。帰り際に、コウゾの枝といっしょに蒸し上げたサツマイモをお土産に手渡すと、うれしそうに手にする若者の姿に、こちらが和みをいただいた。感謝の一言しかない。
県教委の対応は、統合は決まった方針であり、統合のあり方に関する意見には耳を傾けるが、統合の是非は検討外というものだったと聞く。当初、統合後は現湯本高校に遠野高校在学の生徒分に1クラスを用意する形で統合する案があったと聞く。遠野高校在学生が卒業するまで遠野校舎を存続させると変更されているのは、懇談会等で出された疑問をかわして統合に向かうためのものであろう。しかし、ここには遠野高校が本市で果たす教育上の役割というものが、どこに引き継がれていくのかは含まれていないようにしか思えない。統合は決まったものとして、前に進もうとする県教委のやり方でいいのだろうか。
どこかでしっかり議論をしてもらいたいものだ。
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