名前:松林 真理子
こんにちは。
株式会社本物研究所の松林真理子です。
このたびの東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また、被災された皆さまに謹んで心よりお見舞い申し上げます。
余震や放射能汚染・・・
都内でも水の放射能汚染問題にスーパーやコンビニから水が消えてきています。
当たり前にあったものが当たり前でなくなる
電気が使えること、水をいただけること、食事をいただけることは
どれもが当たり前ではありませんでした。
計画停電が一部実施されています。
帰宅中、今日電気はつくのかな・・・と考えたりしました。
帰宅して、「あぁ電気がついた」とほっとする半面、電気がつかず過ごされている方々をおもいました。
どれだけ当たり前に思っていたかと私自身を省みています。
そして、今までいただいていた情報をどれだけ受け取って行動していたのだろう・・・とおもいました。
今、町中で節電しています。出来ることをしたい、という人が沢山いらっしゃいます。
人と人とがより繋がり合おうとしているように感じます。
私は、船井が申しておりますように、必ず日本人はこのピンチをのりきれる、と信じています。
本当に多くの情報が流れています。
どのように自分自身をいかして過ごしていくのかが問われているように思います。
いま変わらなくて、いつ変わるの?
いまやらなくて、いつやるの? とそんな言葉が私の中で響きます。
きっと『船井幸雄.com』をご覧の皆様は多くの情報や知識を持たれていると思います。
情報や知識は選択することを可能にしてくれると思います。
私たちが何を選択していくのかがとても重要だと感じています。
最後に先日、弊社スタッフの横濱朋子の社員コラムにある
横濱の師匠のアドバイスに勇気と誠実さを感じ、とても共感いたしましたので、
転載させてください。
「いま大切なこと。
それは『自分で考える』ことです。
情報は材料であって、まだ食べるべき『料理』にはなっていないのです。
食べるのは自分ですが、料理するのも、また自分であるべきなのです。
仮に誰かが作ってくれたおいしい料理も、食べるのは自分ですよね。
どんな情報も料理も、口にいれて味わうのは自分です。
よく味わって、本当に自分で飲み込むべきかいなかを自分で判断してほしいと思っています。
テレビや新聞の情報は素材であり材料です。
料理して食べるのは自分であり、飲み込むかいなかを決めるのもまた自分であるべきだと私は思っています。」
ただ起きていることに流されるのではなく、私自身が私たちの未来をつくっていく
そんな勇気が出てきます。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
<転載終わり>
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松林さんの記事を読んで、昨日の私の記事と同じことを言われているなと感じました。「今やらなくて、いつやるの?」と松林さんも感じていたのですね。シンクロです。
それから、『今大切なことは、「自分で考えること」だ。』とも言われています。昨日の高橋義則さんと同じことを言われています。これもシンクロです。
中矢代表や大石先生は「自立」が大事であると言われています。同じことだと思います。誰かがやってくれるだろうという「あんたにお任せ」という気持ちは、戦後60年の間に育ってしまった、と高島ヤスさんは言われています。
宗教にも「あんたにお任せ」で思考停止状態というところがあります。私は学生時代から社会人になりたての頃の5年間は、キリスト教の信者でした。結構徹底的にやりました。学校が白金だったので、目黒駅頭で伝道を毎日やりました。学内でもバンバン伝道しました。長老派(プレスビテイリアン)というキリスト教主義の学校だとはいえ、歩いている学生に、「聖書に関心はありませんか?」というのは勇気がいるものですし、イヤなものです。誰だっていきなり「聖書に関心はありませんか」などと言われれば、うさん臭いなと思うに決まっています。でもそれが「神のみ旨」だといわれれば、そうですかと思考停止でやるわけです。そこには「自分で考える」という作業は入っていません。「命令」→「実行」という流れです。やだなぁ、やりたくないなぁという自分との葛藤はありますが、何故伝道をするのか、何故キリスト教を布教するのか、本当にキリスト教で人を救うことができるのか、などについては考えることはありませんでしたし、教団自体がそういう雰囲気でした。その思考停止での実行が、究極はオウムみたいになるのだろうな、と考えたこともあります。恐ろしいことです。
日本のある巨大仏教系の宗教団体などの信者の方も、思考停止+実行だと思います。何人かと話したことがありますが、思考停止しているなと思いました。
共産党の党員や民生の人とも100回以上話したことがありますが、科学的社会主義という名の宗教だと思いました(マルクスレーニン主義を科学的社会主義という名称に、日本共産党が都合よく改えました)。科学的社会主義を盲信しているように思えました。私は民生たちと論戦するために、科学的社会主義やマルクスの「共産党宣言」、「資本論」などをかなり読みましたが、まともな理論だとは思えない部分が多々ありました。
例えば、弁証法的唯物論の中で事例としてあげられている中に、卵の話しがあります。卵の黄身と白身は対立と闘争をすることによって、ヒヨコが生まれるというのです。マルキシズムの根幹は、対立物の闘争と統一による発展の法則という理論(詭弁)ですから、何でも闘争させるわけです。卵の黄身と白身が闘争する結果、ヒヨコが生まれると考える人は、普通ではいないと思います。黄身はヒヨコの本体ですから、ヒヨコになるよう細胞分裂するし、白身はそれを助けるために栄養を与え、振動から守るためのクッションの役目をしているのが真実ではないでしょうか。ヒヨコにかえるという目的のために、黄身と白身が協力するという関係が真実だと思います。
そんな無理やり捏造した共産主義という理論を宗教のように盲信すれば、1917年のロシア革命にまで発展させることができるわけです。中国革命やキューバ、ハンガリー、ベトナム、チェコなどがそれに続き共産化されたのは、歴史上の事実ですので、Wikipediaに書いてある通りです。
副島隆彦氏が「ザ・フナイ」の連載記事の中で、何度もこの思考停止について言及しています。共産主義だけでなく、ニュートンやアインシュタインの理論すら宗教化していると言われています。ニュートンやアインシュタインの理論には間違いがたくさんあるにもかかわらず、科学者と言われる大学の教授などはアインシュタインを教祖とし、「相対性理論は絶対である」という宗教の信者になっていると批判されています。
宗教団体や共産主義、科学者だけでなく、全てに亘って思考停止状態はあると思います。テレビや新聞が言っていることは全て正しい、栄養の三要素の管理栄養学は正しい、ビッグバン理論は正しい、日本は中国よりは開放された国だなどなど、頭ごなしに信じていると思います。発展させるために疑う作業もしない。ただひたすら盲信するだけ。
翻って、日月神示を私は信じてそして実践しているわけですが、それも同じことだと思います。日月神示に書いてあることは正しいと信じることはよいとしても、自分で考えるという作業は入れないとまずいと思っています。日月神示では宗教化するなと何度も書かれています。宗教化してはだめだといわれています。日月神示に対しても疑う姿勢を持つ必要はあると思います。(日本人には苦手な見方だとは思いますが。)中矢代表はいつもそのように言われています。
日月神示は相当レベルの高い道ですので、宗教化すれば、大本教のようになってしまうのだと思います。大本がダメだというのではなく、当時は立派なお役だったけれども、時代に合わなくなったということか、或いは使命を終えたのかも知れません。
今必要なものは、宗教ではなく、自分で考えることだと思います。日月神示はその良いヒント集だと思います。よりよく生きるためのマニュアルかも知れません。『完訳 日月神示』は何度も読んでますが、それを一旦自分で考えて、そして実践していきたいと思います。今日も一日、何事にも研究と発展的批判精神をもってやりたいと思います。