メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

シティ・オブ・ゴッド

2006-06-09 22:29:17 | 映画
「シティ・オブ・ゴッド」(CITY OF GOD,CIDATE OF DEUS(ポルトガル語) 、2002年 ブラジル、130分)
監督:フェルナンド・メイレレス
この監督そして撮影:セザール・シャローンの前作「ナイロビの蜂」(2005)を見ていなければ、この作品を見ることはなかっただろう。
 
1960年代後半のリオデジャネイロ、貧民のために作られた居住地区、このシティ・オブ・ゴッドすなわち「神の街」と呼ばれるところで、低いアングルで細長い刃物が砥がれ、鶏が捕まえられ、斬られ割かれ、、、こういうの見るのは苦手だと思うと、すーっと画面展開、調子よいリズムに乗った音とカメラの動き、逃げる鶏、その目線で動くカメラ、そして親分の命令で逃げる鶏を追う子供達、カメラは俯瞰もあわせ多様な動きになる。
 
ここだけでもうその先を見ていける、いきたい気になる。
物語は、こういう子供達が簡単にピストルを手に入れはずみでなんでもしてしまう世界で、友達だった数人がその後、麻薬売人、やくざなどになり、そして語り手となっているカメラマン志望の子とさまざまにからみあい、殺し合い、やりきれない話が続いていく。これ本当?と何度も思う。
 
しかし作り手は子供達に特に感情移入するわけでもなく、この社会のありかたに対して抗議をするわけでもない。
時に場面を選び、丁寧にセンスと技術と手立てをつくすことにより、アクセントをつけ、見るものに提示する。冒頭のようなカメラワークとフラッシュ・バック多用のテンポいい編集。
 
それは「ナイロビの蜂」に通じるものである。
「神の街」とは「(これも)神が創りたもうた街」であるのか。このように子供達が育っていくことが神の意思であるというのだろうか。だから軽いタッチで作っていくことが批評になっているということも出来るが、「ナイロビの蜂」までそうではないから、これはやはりより多くの人に映画としてみてもらう手法なのかもしれない。映画はそうなってから始まるといえなくもない。映画は本質的に娯楽であるという考えは、一見そうでない映画人も持っているようだ。
   
メイレレスはTVコマーシャル出身でもあるらしい。そう言われれば納得がいく。これをブラジルで作った後、欧米から引く手あまただったというが当然である。
  
街を取り仕切る地位までのし上がったが相対的にはちょっと人のいい若者がそこから足を洗う時のお祭り騒ぎ、音楽とストロボフラッシュ、そしてその中でのドラマの進行、これほど見事な映像は最近ない。
 
「ドミノ」のトニー・スコットもやはり乾いたタッチでテンポが早かったが、こちらのストーリーでは「神は不在」であった。

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