メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

R. シュトラウス「カプリッチョ」

2021-10-14 14:46:35 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」
指揮:クリスティアン・ティーレマン、演出:イェンス・ダニエル・ヘルツォーク
カミッラ・ニールント(伯爵夫人マドレーヌ)、クリストフ・ポール(マドレーヌの兄)、ダニエル・ベーレ(作曲家フラマン)、ニコライ・ボルチェフ(詩人オリヴィエ)ゲオルク・ツェッペンフェルト(演出家)、クリスタ・マイア(女優)
ドレスデン国立歌劇場 2021年8月4,6,8日 無観客上演で収録 2021年8月NHKBSP

シュトラウス最後のオペラで、これと「最後の四つの歌」、「メタモルフォ―ゼン(変容)」が最晩年の作品である。

ちょっと変わった作品で上演されることは少ないようだが、そのわりには映像で見る機会がこれまで何回かあって、メトロポリタン(2011)パリオペラ座(2004)(いずれもマドレーヌはルネ・フレミング)、それと今回思い出したのだがフェリシティ・ロットが主役のものをレーザー・ディスクで見た記憶がある。何かとてもソフィスティケイテッドで、よかった。
 
伯爵夫人で未亡人のマドレーヌ、誕生日に舞台が企画されていて、マドレーヌに言い寄っている作曲家と詩人が我こそはと競い、また劇場支配人の演出家は彼なりの主張をする。マドレーヌの兄と女優とのからみもあって、一見ごたごたしながら進むのだが、そこはシュトラウスと彼に協力してこれを作ったクレメンス・クラウスのおかげだろうか、幕の切れ間のない2時間半が飽きさせずに進んでいく。
 
結末は途中で暗示されるけれど、今回気がついたのは、演出家にシュトラウスの本音がカリカチュアのように出てきていて、この人のオペラ、音楽人生の余裕ある総括といったらよいか。
 
主役のカミッラ・ニールントは先日の「ばらの騎士」で感心した通り、ただマルシャリンと比べるとこのマドレーヌはそう達観していないので、それが出たらとは思う。最期のところの演出、確か台本では鏡に映る自分を未来の老いと見るのだが、ここでは風貌の似た女性を暗い照明で出していた。
その他の歌手たちはいずれも安心して楽しめた。
 
演出は初演の戦時中を想定した衣装、装置らしいが、やはり世紀末の方が、とは思う。
指揮のティーレマン、このところシュトラウスは手の内に入った気持ちよく聴けるものとなっていた。
 
ところで序奏の弦楽六重奏は大好きで独立して演奏されることもあり、何度も聴いている。今回はテンポがはやくさらっとしているなと感じたが、オペラが進行していくと、実はここで使われたフレーズが形を変え、いろいろ複雑に組み合わされて出てきていること(素晴らしい)に気がつき、オペラ全曲の序奏としてはこれでいいのだと納得した。
 
それにしても、シュトラウスという人、時代と人間を深く描きつくすということでは「影のない女」、作曲家自身の美しいカリカチュアとして「カプリッチョ」、内心の後悔の韜晦的表出として「メタモルフォーゼン」、なんという堂々たる一生だろうか。


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