メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

嫌われ松子の一生

2006-06-16 21:22:11 | 映画
「嫌われ松子の一生」(2006年東宝、130分)
監督:中島哲也、原作:山田宗樹「嫌われ松子の一生」
 
「下妻物語」で楽しませてくれた中島哲也である。
これは基本的にミュージカル仕立てであり、松子とはほとんど面識のない甥の笙(瑛太)を通して物語が語られるが、この形が日本のミュージカルとして無理なく入っていけるものになったひとつの要素とも考えられる。
  
松子は昭和22年福岡県生まれ、よく出てくる福岡のデパートはCGだがうまい使い方である。私も小学生になる前後に小倉にいたから何度か博多に行った時に訪れていたかもしれない。
 
音楽は周りで自然に演奏されていると思うと、いつのまにか物語りのキャスト本人が歌っているというように導入が巧みである。それぞれの時代の雰囲気とマッチした既存の曲、新曲、そして松子が教師であったことからくるのか賛美歌の使い方もぴたりとはまっている。
BONNIE PINK、AIなどの歌もいい。女刑務所の場面などは「シカゴ」を意識したかもしれないがこっちのほうが上だろう。
 
下妻と同様、画面の切り替え、テンポは快調、ごみだらけで汚い部屋の場面も多いが、逆光をうまく使っている。
次から次へと出てくる松子の男、多くはヒモだが、配役がいずれもぴたりでよい。なかでも伊勢谷友介がいい。
終盤もうすこし編集で冗長度をなくして10分くらい短く出来たらもっとよかっただろう。
また原作との対応でどうなのかはよくわからないが、結末(松子の死)の描き方は監督も苦労したのではないか。これは「下妻物語」の任侠道的カタルシスというわけにはいかない。
 
中谷美紀、この転落するほど悲しくも面白く生きられた松子を演じ、調子はいいが最後まで悪くなりきらず、教師崩れも残っているのは見事。歌のバランス感もいい。

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ワーグナー「悪の響き」

2006-06-13 21:33:11 | オーケストラ
クナッパーツブッシュ/ワーグナー名演集(DECCA)
(神々の黄昏、パルシファル、ワルキューレ、トリスタンとイゾルデ)
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)指揮 ウイーン・フィルハーモニー
 
LPでよく聴いた後、擦り切れて処分したのだが、先日タワーレコードで1000円盤(国内)を見つけ、久しぶりに聴いた。
やはりこの世界に入りだしたときのものであり、ひとつひとつの細部がずしりと来る。その後いろいろな演奏を聴いた後でも、やはり格別だ。
 
最初の神々の黄昏、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」、ここには人間が持うどうしようもない悪、罪、それはこの楽劇でギービッヒ一族ばかりでなく、ジークフリートそのもののつまり人間の中に潜む悪、世界の意思に潜む悪、そういう悪を雄弁に表現する響きがある。
それをこの洗練されたウイーン・フィルでこのように出して見せたクナッパーツブッシュ、見事というしかない。このオケだと通常もっときれいごとになってしまう。
 
この人、気難しいという逸話が多く、演奏も晦渋というイメージを持っていたのだが、これは当時から別であった。1962年「パルシファル」のバイロイト・ライブ録音も最近はじめて廉価版CDで聴いたが、ブーレーズ、カラヤンと比べても充分明快なものである。
 
ワルキューレ最後の「魔の炎の音楽」(独唱ジョージ・ロンドン)も、充分にその後を予言する響き、トリスタンとイゾルデの「愛の死」(独唱ビルギット・ニルソン)、男は本当に女にはかなわないということをこれほど実感させるものはなく、最後の部分の息の長さは大変なものである。
 
1950年代後半の初期ステレオ録音。このころのDECCAは本当にいい仕事をしている。日本で最初キングから出たこれら、最近どうしてか、出てくる数が少ないのは残念だ。

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オーレル・ニコレと十勝沖地震

2006-06-11 22:39:57 | 音楽一般
日フィルのブルックナーのところで他の曲の独奏者として出ていたオーレル・ニコレに触れたが、そのあとこれまで気になっていたことを確認したくなった。
 
1960年代は日本でフルートがはやり、ランパル、ジュリアス・ベーカーなどが人気であった。そのほかにも、現代ものが得意なガッゼルローニ、そしてこのオーレル・ニコレもそのちょっと硬質な音とすっきりした音楽のつくりで人気があった。確かカラヤンがベルリンフィルの常任になったときにはそこの首席で、このポジションは後にゴールウェイ、ツェラーなど名手が継いだのではなかったか。
 
ニコレはだから随分何度も日本に来ており、私も1970年前後数回聴いている。そのうちどれか、日比谷公会堂での演奏中に大きな地震が起こった。確か震源地は北海道、それも十勝だったはずである。
 
1970年ころからは、コンサート、映画、展覧会、読書など、感想は書かないが日付と名前など最小限の客観的な事実のメモをとっている。それを探してみたがこの件は出てこない。残っているチケットも違うときのようである。
 
そこでネット上で調べてみた。まず「十勝沖地震」。最近は2003年9月26日が数多く扱われているが、その前の大きなものとして1968年5月16日のものがあった。本震は午前9時48分であるが、それとほぼ同じ規模の最大余震は午後7時39分とある。
 
これにほぼ間違いないのであるが、この日にニコレのコンサートが確かに行われたという記録が欲しい。
いろいろと検索していたら、ようやく「日比谷公会堂 その50年の歩み」(昭和55年2月発行)という資料の一部「来日外国演奏家名簿(抄)」というものがあった。(クラシック・ニュース)
ここで1968年5月16日、確かにオーレル・ニコレのコンサートという記録(記述はそれだけ)がある。
 
記憶が正しければオール・バッハのプログラムで、小林道夫がチェンバロの伴奏をしていた。7時39分ということは、7時に開始してから2曲目の後半あたりだろう。地震が起こったとき客席は少しざわざわし、ニコレも何かなという顔をして少し上を向き、揺れている照明器具を見ていたが、演奏にはまったく影響せずそのまま曲の最後まで続けた。
これはニコレにとっても強い印象を残したのだろう。確か後日、地震の見舞いにと何らかの寄付をしたはずだ。
 
  
ようやく喉の痞えが降りた、38年前のアリバイ。

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シティ・オブ・ゴッド

2006-06-09 22:29:17 | 映画
「シティ・オブ・ゴッド」(CITY OF GOD,CIDATE OF DEUS(ポルトガル語) 、2002年 ブラジル、130分)
監督:フェルナンド・メイレレス
この監督そして撮影:セザール・シャローンの前作「ナイロビの蜂」(2005)を見ていなければ、この作品を見ることはなかっただろう。
 
1960年代後半のリオデジャネイロ、貧民のために作られた居住地区、このシティ・オブ・ゴッドすなわち「神の街」と呼ばれるところで、低いアングルで細長い刃物が砥がれ、鶏が捕まえられ、斬られ割かれ、、、こういうの見るのは苦手だと思うと、すーっと画面展開、調子よいリズムに乗った音とカメラの動き、逃げる鶏、その目線で動くカメラ、そして親分の命令で逃げる鶏を追う子供達、カメラは俯瞰もあわせ多様な動きになる。
 
ここだけでもうその先を見ていける、いきたい気になる。
物語は、こういう子供達が簡単にピストルを手に入れはずみでなんでもしてしまう世界で、友達だった数人がその後、麻薬売人、やくざなどになり、そして語り手となっているカメラマン志望の子とさまざまにからみあい、殺し合い、やりきれない話が続いていく。これ本当?と何度も思う。
 
しかし作り手は子供達に特に感情移入するわけでもなく、この社会のありかたに対して抗議をするわけでもない。
時に場面を選び、丁寧にセンスと技術と手立てをつくすことにより、アクセントをつけ、見るものに提示する。冒頭のようなカメラワークとフラッシュ・バック多用のテンポいい編集。
 
それは「ナイロビの蜂」に通じるものである。
「神の街」とは「(これも)神が創りたもうた街」であるのか。このように子供達が育っていくことが神の意思であるというのだろうか。だから軽いタッチで作っていくことが批評になっているということも出来るが、「ナイロビの蜂」までそうではないから、これはやはりより多くの人に映画としてみてもらう手法なのかもしれない。映画はそうなってから始まるといえなくもない。映画は本質的に娯楽であるという考えは、一見そうでない映画人も持っているようだ。
   
メイレレスはTVコマーシャル出身でもあるらしい。そう言われれば納得がいく。これをブラジルで作った後、欧米から引く手あまただったというが当然である。
  
街を取り仕切る地位までのし上がったが相対的にはちょっと人のいい若者がそこから足を洗う時のお祭り騒ぎ、音楽とストロボフラッシュ、そしてその中でのドラマの進行、これほど見事な映像は最近ない。
 
「ドミノ」のトニー・スコットもやはり乾いたタッチでテンポが早かったが、こちらのストーリーでは「神は不在」であった。

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カルティエ現代美術財団コレクション展

2006-06-08 23:21:17 | 美術
カルティエ現代美術財団コレクション展(4月22日~7月2日 東京都現代美術館)
 
現代美術はなかなか捉えにくいと言っていると、そのままになってしまう。これはいいかもしれないと直感が働いたセレクションになるべく多く身をゆだねるしかない。
 
さて今回は楽しかった。現代美術になんとなく持っていた表現のどぎつさも、鋭さも、また理解の拒否も、極端ではなく、良かったら見てくださいという開放感、軽さがあった。
 
しかしそれでも、見る前と見た後には確実に違う何かが残る。
印象的なものをすべて挙げることは出来ないほどだがいくつか。
 
ロン・ミュエク「イン・ベッド」:現実の何倍ものサイズの横たわる女、しかも皮膚、眼、毛髪など、異様にそのものであることの驚き。
 
デニス・オッペンハイム「テーブル・ピース」:長いテーブル、両端の白人、黒人、その会話音の妙。
 
トニー・アウスラー「ミラー・メイズ(死んだ目が生きている)」:このようなものがあったか。
 
マーク・ニューソン「ケルヴィン40」:これ作者が作りたかった飛行機の実物大模型みたいなもの。SNECMAという現実にあるエンジン会社の名前も書いてある。
 
アルタヴァスト・ペレジシャン「我々の世紀」:人類の空への、宇宙への憧れが現実の試みになり、その期待の高まり、喜び、苦しみ、悲惨、人間と機械が、断片的な映像のモンタージュ、フラッシュバックなど、ライムライトをはじめとする印象的な音楽もあり、30分大変な迫力である。このようなものがあったこと自体が驚きだ。
描かれているものが何かは、「ライト・スタッフ」、「アポロ13」を見ていればおよそわかるが、作者がいたソ連のフィルムが当然多い。1990年ころにはこのようなものの利用が相当可能だったのだろうか、以前からそうだったのだろうか。
 
他にボクシングの短いシーンを繰り返しながら、現場にいるような感じを出す強い音をともなった映像作品。長く見ていると心臓にこたえそうだが。
 
なお、全体にアフリカをはじめとするエスニックなものの色は確実に多い。ピカソの時代から長く続いているのだろうか。
 
昨日の朝日新聞夕刊に出ていた高階秀爾氏の紹介記事で今日行って見る気になった。こういうものを書くとこの人はうまい。

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