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ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

貯金を切り崩すなら、皆まで

2017-11-23 | 雑念
世界一周の布石

クリスマスから正月とイベントの全てをベトナム入りする事が確定した。

このままいくと「結構ベトナムに住んでいる人」というイメージが付き纏いそうである。

別にいいけど。

1/12には帰国して次の春休みベトナム(早けりゃ2月上旬)までの3週間をどこか海外に旅をしようかと考えている。

第一候補が南米。

どうやら南米への航空券は15万程度。
行けなくもない安宿をバックパッカーすれば南米の旅を40万以下に抑えられると踏んでいる。

それならばと念願のマチュピチュへ行きたかったが、インカ道トレッキングするには60万ほどかかるらしい。(どうやら桁数を読み間違えて6,7万らしい)

しかも保全のために歩いて自由にとはいかないようだ。さすが観光資源!

それでも南米熱は別に冷める事もなく、定番ではない旅も素敵やろ!というラテンの血が騒ぎ立てる。

しかしそれでも日本の確定申告が深刻な問題(シャレ)。今年はエゲツない源泉徴収をされたので経費を計上してキャッシュバックも必要になる。

そう考えると「世界一周」はとてつもない企画、計画、覚悟、調整が必要になる。

その最初の壁にぶち当たっているだけだ。こんな事でヘコタレていてはいけない。

ベトナムの仕事は全て地球の旅の旅費に当ててやる。

こりゃ、貯金も何もなくなるな。

体験学習における「振り返り」の真髄はコレだ!

2017-11-22 | 雑念
チームビルディングにおける「振り返り」について、とても感銘を受けた。

活動中の参加者をとにかく注意深く見る」というのだ。

結構昔からその言葉も聞いた事があって、その理由と重要性を見出せずにいた。

最近、振り返りについて色々思うところがあって、自分自身の実践の中から少しずつ感覚的なものをつかみつつあった。

それが言葉として表現されていたので、僕とリンクしたのだ。

「参加者を注意深く見る」

これに尽きる。
僕も本当に最近はこの一点に落ち着き始めていたのだ。

周りのファシリテーターには様々な手法やテクニックを本や講習会で得た情報が飛び交っている。

例えば、

枠組みをある程度参加者に与えて、目標設定させ自己評価させる方法。

ルールと心得を事前に伝えて学びの方向性を説明してから活動をして、質問する方法。

とにかく円座にさせ、常套句やスキルやキャラで参加者の自己開示を促す方法。

他にも様々な「振り返り」とか「リフレクション」「ディブリーフィング」やら星の数ほどある。


しかし

しかしだ!

僕が実践から得た振り返りの方法は、ファシリテーターが活動中の参加者を注意深く見ることで、人間として好奇心をもって「聞きたい事を聞く」

「聞きたい事を聞く」

これが真髄なのだと思う。

全ては「ファシリテーターの好奇心」なのだ。


逆に、しっくりいかない振り返りの時間とは

何かを学ばせたいから、この質問の方がいいかな?とか「チームって大切だと気付きました」とか「協力がどうの」とか「コミュニケーションが…」と答えさせるような質問をする事で参加者を凍りつかせているのだ。

実際、振り返りで悩むファシリテーターは多く、結局、「振り返りの質問には正解がある」という思い込みが違和感となっているのだ。

正解がファシリテーターの中にあると考えている時点で、ファシリテーターではないのだ。


そして「ファシリテーターが消えていく」という、かつての僕の思い込みさえも思い上がりだった。

ファシリテーターという人間が、参加者の心の中から消える事は出来ない。そんな無駄なエネルギーを使う必要がない。

それならば「自分という人間」をさらけ出して、「僕はさっきあなたのあの表情が気になったんだけど、何か辛かったの?」とシンプルに思った事を聞く方がよっぽど学びにつながっていくのだ。

よっぽど?

いや、その方が学びにつながる。

いや、改めて、そうでなければいけないとさえ考えている。

僕という人間が、あなたという人間に好奇心を持って質問する。これが「振り返り」の真髄であり、日常に帰ってからもその人が考えるきっかけを作る瞬間なのだと思う。

そして更に、
僕というファシリテーターの味や色は異質であり一部である。つまり多種多様な人間に影響を受けて、人の成長に少しのスパイスとなればいい。

あと付け加えるならば、
その「好奇心」をトレーニングで研ぎ澄ましておく必要がある。

些細な変化や違和感に気づいたり、独特な切り口で物事を捉える視点。多くの人の意見に左右されない独創性が学びや気づきのトリガーになる。

そしてその事を知っている事。

僕は当然、完璧な人間ではない事を重々承知だし、尊敬する先輩ファシリテーターを数多く知っている。

でも僕が僕のファシリテーションに自信を持てるのは、僕の好奇心と独創性が他のファシリテーターと異なる事を知っているから。

万能ではない事も知りつつ、存在意義も知っているのだ。

僕はそしてまた好奇心を持って未来の青少年へ、聞きたい事を聞くために、活動を注意深く見守る。

ボランティアのリスク

2017-11-22 | 雑念
僕が何故「ボランティア」が好きじゃないのか。

思いついたから書く。

まず誰かを助けるという行為は当たり前の行為である。困っている人を助けたいと思うことも人としてなんの不思議もない。

僕が嫌いなのは大学生などの青少年対象のもの。
高齢者対象のものはどーでもいい。それはそれで勝手にやってもらえば構わない。

しかし未来ある大学生を対象に将来の不安を抱えて迷っている人達の心を1つの当たり前の行為で埋め尽くす「選択肢の排除の可能性」を感じるから嫌いなのだという事がわかった。

高校生まで受験勉強や記憶力テストや点数至上主義の教育、人生の平均点を教える薄っぺらい教育を受けてきた学生が将来の不安を感じるのは当たり前である。

その彼らに自ら考える事を封じ込め、「ボランティア素晴らしい」を埋め込んで労働力を搾取する構図が恐ろしくシステマティックである事に映画「マトリックス」を思わせるのだ。

人生を豊かにする生き方や考え方を同時に提案して、ボランティア養成を行なっているならまだマシ。

だから経済活動、インターン、ビジネス、お金の流れを丁寧に学ぶ事ができる団体や組織が大学生にアプローチすることの方が健全であると思う。

僕は10数年前から野外教育活動の業界に触れてきたが、ほぼボランティア活動で大学生を利用している団体を目の当たりにしてきた。

やっぱり大学生という未来の地球を担う彼らに様々な選択肢を提示できる大人が素晴らしいと思う。

ボランティア活動だけが素晴らしいわけではない。他にも人のために生きる方法は数多(あまた)あるのだ。

今現在のボランティア活動は変化しているのかもしれないが、これを読んだ大学生がボランティア活動に参加しようと考えていたならば、ぜひその体験とは別に様々な生き方に触れる事をオススメしたい。

人のために生きる事は素晴らしいと思うが、その生き方はボランティア活動だけではない事を知っていてほしい。

結構な団体を敵に回す事になりそうな発言なので、投稿するのをためらったが、結局僕のこの文章の真意を理解できないから青少年育成としてのボランティアの位置付けも考えずに若者を利用しているのだろう。

ある意味この文章を読んで腹がたつという事は、図星だという事だと言える。

若者育成について議論ができない独裁的な団体であると言える。

是非、若者達に多くの選択肢を与えられる大人達になりましょうよ!

世界一のツリーがあるのに。

2017-11-21 | 雑念
雪降ったよ、雪!

ということで、急遽スタッドレスタイヤに履き替える段取りを早める事となりそうで。

面倒くさいですな。
休みが半日潰れますから。

雪が降ったという事はクリスマスだという事である。神戸にはルミナリエというイルミネーションが輝く催しがある。

毎年人の波が押し寄せて神戸の街の一角は大渋滞する。わざわざそんな人混みへ行かなくともいいのにと言いながら風物詩を見逃したくないという事で足を運ぶのだ。

そんな僕も今年は世界一のツリーがお目見えするというので見てみたいと思っている。メリケンパークに植樹された本物の木らしい。

神戸開港150周年記念

世界一ツリーの記事(産経ニュースの外部ページ)

どうやら富山県から運んだらしい。

新モン好きの僕としては見てみたい。

でも行く人、、、絶対1人で行ってはいけない場所だ。涙で木がにじむ。

と言うわけで神戸開港150周年記念に僕と世界一ツリーを見にいく人募集してます。これはあまりに恥ずかしいのでFacebookには投稿しない事とします。

当然、1人が嫌なだけなので男子でも可とします。カップルに挟まれながら世界一ツリーを見て語りましょうよ。


僕のファシリテーションの全て教えます②

2017-11-20 | 雑念
ホクトマンの「僕のファシリテーション全部教えます」のコーナー

【ONとOFF】

プログラム中をON、休憩や終わった後をOFFとするならば、ONとOFFの境目がなくなればいい。

だから僕はフレーミングは極力したくない。
「フレーミング」とは、例えば「今からこういう活動をしますよ!」とか「"理想のチームってなんだと思う?"」などファシリテーターが質問により、学びの大枠を無意識、あるいは意識的に示唆する事だと考えている(ホクトマンの見方)。

僕が提供するプログラムの大半がワクワクドキドキの先が見えない体験の中にFUNとチャレンジが隠れているので、フレーミングすればするほどそのワクワクは消えていくと思う。

半分くらいの参加者は戸惑いと疑問が身体を動かそうとせず固まる。大人になればなるほど動けなくなる。質問攻めをするのも大人か勉強のできる子供達。無邪気な人間性に溢れた人はすぐに適応できる。

僕はそれがパラダイム(思い込み)が表面化している状態だと思う。動く事ができる人と動けなる自分は何が異なるのか?その事に気づく事ができれば何かを考えるきっかけになるのでは?と。

チャレンジする時の躊躇い、初めましての恐怖、動けないトラウマ、それらは全て自分の中の勝手な思い込みではないかと。

ここは哲学の領域なので、多くの異なる人たちとレベルの高い話をしたいところ。

兎にも角にもONとOFFの境目を無くすため、フラットな語り口調で指導するようにしている。

面白いことを言ったら笑い、人を傷つけるようだと悲しみ、共感するなら繋がっていく。

僕自身の人間性を見てもらう。
参加者と少しずつ繋がっていくプロセスが大好き。いきなり仲良くならなくてもいい。

早けりゃいいというわけではない。

でもONとOFFの境目がなくなると、体験の中で気づいたことを普段に活かしやすくなるのではないかという想いだ。

だからONとOFFをならしていく。

初めましてのファシリテーターがそこにいるんだから、ONとOFFの境目があるのは当たり前。そこをナチュラルでキュートな語りで、まるで昔からの友達と話しているような感覚を目指したいと思う。

その空気を作る事ができれば、本来の参加者の本質や個人の成長につながりやすいのでは?と。

僕のファシリテーションは長寿テレビ番組のMCさんま、たけし、所で言うならば所さんを目指したい。

チカラを抜いてナチュラルで楽しそう。

そんな雰囲気になればいいなと思う。