11年前の今日、私は佐賀にいました。
携帯電話がつながらない!
まさか大地震が来ていたなんて知りませんでしたから、ソフトバンクに電話しようと思っていました。
その翌日、長崎に行き、きっと困難な帰京になるに違いない!と覚悟していたらすんなりと帰れました。
私が生涯、忘れようったって忘れられない出来事でした。
テレビでは毎日毎日、津波の様子が流れていました。
約ひと月、私は食欲不振と不眠症に悩まされました。
不眠症はそのまま継続していました。
まさに疑似被災者になったのです。
私ですらこうでしたから被災者のかたはどんなでしたでしょう。
まだまだご遺体もわからないままのかたもいらっしゃいます。
避難所で暮らす人もいます。でも、どうしてあんなに明るく乗り越えることができるのでしょう。
ほんとにほんとにすごいです。
先日、「ドライブ・マイ・カー」を観ました。
どんな亡くなり方をしても残った者はいつも自分を責めるのです。
「あの時、ああしていれば、あの人は亡くならなかった」と。
村上春樹は苦手!
私は食べず嫌いなところがあり、彼の本を読まずに苦手意識を持っていました。
これから映画を見る人には先入観を持たせてはいけませんが、家福さん演じる西島秀俊さんの演技が光っていました。
困った性壁を持つ妻。しかし、愛するが故に見て見ないフリをしていた夫。失いたくないが故に知らないフリをしていた夫。
妻の急逝で傷ついていた彼には更なる深い傷が…。
喪失感と自分への責め苦。
そして、「正しく傷つく」ことの大事さに気づいたとき、彼の悟りにも似た絞り出すような嗚咽。
3.11の津波で妻の手を握り必死で助けようとした夫がいました。しかし、津波は無残にも妻を流していきました。彼はずっと心に傷を負ってしまったのです。「自分が見捨ててしまったのではないか!」と。
いつでも残された者は、大なり小なり何かを背負う。
話は映画に戻りますが、チェーホフの戯曲と家福の心の声が織りなすカタチで繰り広げられます。
あえて異国の人の入り混じった舞台進行に、国は違っても人は深層心理にはそれほどの違いはないことを感じながら食い入るように見ていました。
ウクライナは戦争。
両親を見失ったのか?
国境を超える人々の中に幼い子どもが泣きじゃくりながらひとり歩く。こんなことが今現実に起こっているなんて!
地獄です。