背中の丸い、ひ孫がいる大阪のおばあちゃん。
このおばあちゃんがなかなか名物おばあちゃん。
大阪弁で辛辣な言葉でラップを歌う。
すごいやん。このおばあちゃん
90歳くらい?
いえいえ
何と
な、な、な〜んと
私と同い年ではあ〜りませんか。
タキミカで〜す。
という正真正銘の筋肉自慢のおばあちゃんが本を出したら、アッという間に10万部とか。
しかし、私は憧れないのです。この方には…
97歳で現役の看護師さんがいるそうです。いくつになっても人のお世話ができる。そんな人に私は憧れます。
国立以外は大学じゃない…みたいな傾向があった父親。
私は女子校でした。
小中学は劣等生。
高校進級から俄かに燃え出し、勉強一途に…。
いつも主席でしたから大学受験を甘く見て一校しか受けず失敗。
父は私立大学なら二部(夜学)にせよ!と言いました。
私は反発して昼は短期大学、夜は専門学校を同時進行させたのです。
結論は夜通っていた会計実務の方が役に立ちました。
さて、立教大学は、創始者、ウィリアムズ主教の「道を伝えて己を伝えず」という姿勢に貫かれています。
その理念は、見せかけや名声のための善行を嫌い、生涯、真の信仰者としての道を貫いた生き方こそ人間をあらゆる束縛から解放し、自由に真理を求めることができる…とか。
池袋キャンパスには、ウィリアムズ主教像が設置されています。それを見て私は一目惚れしたのです。
コートが裏になっていました。つまり、表がダメになったら裏を着る。
清貧の人だったのです。
さて、ひとことでキリスト教といっても私のようにカトリックもあればプロテスタントもあります。
一体どっちなんでしょう?
という疑問が出てきました。
カトリックとプロテスタントの真ん中だそうです。
それもいいですね。中道です。
私は死んだら築地本願寺に入りますから、最後まで中道。
池袋は私のお庭のような場所。
この雑踏の中に、素晴らしいキャンパスが私をおいで!おいで!と、呼んでくれていました。
立教大学や立教大学院出身の人は何かと便宜を図ってくれるようですが、私はよそ者。
そんなよそ者を引っ張ってくれたのはなんだったのでしょう。
夫のLINEのトークには、もう送れなくなりました。自分で考え、自分のために、自分の好きな道に進みなさい…と夫が導いてくれたに違いありません。
単位の取り方も遠い昔のことで忘れてしまいました。
私が通うのはセカンド大学ですが、若い学生さんたちと一緒に学ぶ場もあります。
セカンド大学の入学式はあのステキなチャペルで行われるのです。
私は遊びのない人生を歩んで来ましたから、今更自由に旅行をしたりする遊びに慣れていません。
何が一番心安らぐのか?と問うたとき、やはり私には学びしかなかったのです。
最後の磨きをかけるのだ!と昨日書きましたが、磨かなくては、あちらに行った時に夫に会えません。
夫は、多分あちらでかなり高みに行っているはず。
こうして、私は目に見えないものの力も借りて、もう少し人生を生かされてもいいかな!と思い始めました。
その基盤はやはりヨーガです。ヨーガに出会えなかったら私は道を踏み違えていたかもしれません。