島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

帰郷⑤〜石田城跡〜

2018-10-26 13:01:19 | 観光・施設
福江港ターミナルに帰ってきました。
忘れないうちにお土産を買って、車の中に保管しておいて、今度は歩いて福江市内を観光して回ります。
歴史資料館などもあるので行ってみたのですが、入館料がかかるみたいです。
ガッツリ観光ならお金も出すのですが、そこまででもないし・・・。
はじめに行った資料館は料金2〜300円で良心的だったのですが、次の資料館が600円以上と高額の値段!
大人二人で千円以上するじゃないか!? ヤメヤメw
そんな感じで歩き回っていると、立派な石垣が見えてきました。(表紙写真)

ここは長崎県指定の史跡「石田城(福江城)跡」です。
「五島藩主五島氏は江戸時代初期、それまでの居城であった江川城を焼失して以来、久しく石田陣屋(石田城の前身)で過ごしていた。
 幕末になり、五島近海に外国船(いわゆる黒船)が出没し始めると、五島藩は幕府に築城願いを出したが、約半世紀の間築城許可が下りなかった。しかし幕府はついに嘉永二年(1849年)、「海岸防衛を厳重にせよ」と築城許可を下す。
 14年の歳月と工費2万両を使って、文久三年(1863年)に福江城は完成した。石田の浜にちなみ石田城と通称される。
 城郭は、東西160間(約291m)、周囲740間(約1346m)、本丸、二の丸、三の丸からなり、築城当時は三方を海で囲まれた海城であった。
 石垣は、いわゆる野面積みで自然石を積み上げている。海防目的で築城された城らしく、各郭の要所には石火矢台場が設けられている。
 表門と裏門には櫓門が建てられていたが、今はその礎石だけが残っている。
 かつては、城の石垣は外海に面し、波が打ち寄せ、潮風に吹かれる松が風情をそえていた。」(現地解説板より)
ちなみに日本で最後に築城されたお城らしい。
今現在、敷地内には五島高校が建っています。
橋のもとに歴代の五島藩主の名前が記されていたのですが、初代は「宇久」姓!
途中で五島家に姓を改めていますが、改姓されていなければ五島ではなく宇久島だったのか!?
石田城跡から南西方向にさらに歩くと、

武家屋敷通りに出ます。
お城と武家屋敷って島原の城下と似たようなつくりになっていますね。
本当ならば、この武家屋敷通りを歩いて行った先にある「山本二三美術館」(今年7月開館した)を見学したかったのですが、連れが「歩き疲れた」と言い出したために散策はここで断念。
フェリーターミナルに引き返し、車に乗って今晩の宿に移動しました。
コメント
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