知己とは「ちき」と読み、「自分のことをよく理解してくれている人。親友」という意味である。古代中国の「刺客列伝」が原典である。「この世に二人とない知己を得る」とか、「十年の知己のごとくうちとける」といった具合に使われる。類義語として、「知り合い、友だち」があげられるが、それらよりさらに体温の高い交わりをさす。したがって類義の言葉としてもっとも適切なのは知音(ちいん)であろうか。これも、由来は中国で、春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという故事から来ている。
のっけから講釈をたれてしまったが、国語の時間ではない。年の瀬となると、ついあれやこれやと様々なシーンが頭を過ぎるのである。今年の回想モードに突入している。もとより現実の生活は依然と進行し、足元はいつもざわついている。ありがたいことに2005年も邂逅に恵まれ、さらに新たな知遇を得るばかりか、懇親の度合いを高めさせてもらっている。
パソコンという道具が誼(よしみ)を結ばせてくれる訳だが、ただPCに不慣れであるというだけの、一角(ひとかど)の、精彩な、異才な…という形容詞がつく皆さんと、わずかばかりパソコンに長じているだけの世間無知な自分とが友誼を結ぶことのできる幸せ、これを奇跡と言わず何と表現できようか。で、ぼく一人がこの果報に与(あずかって)ってばかりではもったいないと、年に何度か、集いを持っている。いつも突発的で、自然発生的に起きる宴だが、気のいい皆さんのお人柄もあって、楽しく、意義深い時間を分かち合うことができる。で、今年も今日がその日であった。探究心旺盛な女性陣のリクエストに応え、鳥羽のホテルマリテーム海幸園・樹風花に遠征し、歓談のひとときを過ごした。季節の牡蠣料理をメインにした豪勢な食事に舌鼓を打ち、ルーマニアダンスを鑑賞し、ゴージャスなお風呂で気分を新たにした。文字通り年を忘れるひと時ではあったが、英俊と才媛同士の融合に止まらず金襴の交わりの契機となれば幸いである。例によって記念写真を撮り忘れるというお間抜け加減だが、皆さんがお風呂を楽しんでいる間に撮影したのが残った。
教室に戻ってから、mogeさんとI先生とで、Best of Nitty Gritty Dirt Band のDVDを鑑賞しながら、しばし余韻を楽しんだ。明日から新たな週の始まりである。