お弁当屋さんでカツ丼を頼んだそうな。家に帰り、食べようと蓋を開けたところ、豚カツは当然にしても、何とちくわの天ぷらが一切れ乗っかている。こんな場合、
「オマケだな」
とありがたく思い、モクモクといただくのが普通である。
ところが、
「もしかして、お店の人、ぼくに好意を持ってくれているのでは…」
と、ドキドキと心ときめかす場合がある。これを「さっとん流」と呼ぶらしい。いわゆるポジティブ・シンキングである。
嘘ではない、さっとんの友だちにぼくが、
「コンビニでショートホープ買ったらさぁ、お店の若い娘がぼくにホープのキーホルダーを手渡してくれたんよ、これってもしかして…」
と自慢した途端、
「何言っとんのん、それやったら、さっとんやないかいさぁ」
と、突っ込みが入った。これはもう定理として確立している、と感心した訳だが、彼によれば、ぼくだって立派なさっとん流派らしい。
実は、ぼくもそのさっとんのカツ丼の話は彼自身から直に聞いている。ただ、ぼくの場合、同じものを頼んだとき、海老天が2尾もついていたものだから、悪くて言えなかったのである。
愛すべし、さっとん。ぼくには彼のこんなところがたまらない。いい奴なのだ。自分の心の持ちようなのだから、誰にも迷惑はかからない。今度お店に行っても、彼はドキドキ、ニコニコとご機嫌だから、相手の人だって気分悪かろうはずがない。周りのみんながみんな、明るくなる。
もし、
「俺たちに明日はない」
と宣告されるようなことがあったら、
「だったら俺たちには今日があるじゃないか」
と開き直ればよいし、
「お前にしては馬鹿なことをしたなぁ」
と叱られたとしても、
「そっかぁ、今までのぼくは賢かったんやな」
と確認できるというものだ。そうだ、さっとん流は素晴らしい、さっとん流を流行らせよう。
畏友K氏といえば、立派な紳士であり、人格者である。ぼくの周りの人はどなたも、まるでぼくのようだ、と同意してくれるであろう。その彼は、教室の近くにあるスーパー(赤いカゴのとこね)がお気に入りだと言う。
「なぜ?」
と訪ねれば、レジーの女性たちはみな丁寧で、お釣りを渡してくれる際、受け取ろうと差し出す掌(てのひら)からこぼれぬよう包むようにして渡してくれるという。それは自分の右手をおっ被せて握り返してしまいたい衝動にかられるほど、可憐で心優しい仕草なんだそうだ。
さっそく、ぼくも行ってみた。歯ブラシと乾電池が切れていたので…。で、お釣りをもらおうと手を軽く差し伸べてから、ハタと気づいた。K氏だって、さっとん流ではないのか? ぼくはソソクサと釣り銭を受け取って、帰った。危うくネタにされかかっていたようだ。