講師として少学6年生の授業を終え、ブルーグラスの師匠のお宅にお邪魔した。ロビーの窓辺から太平洋が広がっている。眺望は素晴らしい。よく晴れ、水面は凪ぎ、水平線にタンカーや大型貨物船が何隻も浮かんで…、じっと眺めていると思わず秋眠に誘われそうである。ゆったりと歓談しながら見つめていると、ふだんは瞬間の点でしかとらえられない船体が視界の端から端まで静かに移ろい消え行く様を追っていることに気づく。どの船も大きく見え、海辺から航路はそう遠くないことが分かる。だが、海は広い、広がっている。
朝の目覚めとともにこんな海を眺めることができたら、どんなに素敵だろう。そして、それが毎朝のことだとしたら、どんな人間に育つのだろう。答えは隣でぼそっと語りかける友のシャイな横顔である。静かで、寛容で、どこまでも深いまなざし、時に弾まない会話も心地よい。お互いの息吹を感じるだけで安らぐ世界がそこにある。ブルーグラッサーに悪い人はいないという確信をさらに強くする。
ジミー・マーチンさんが亡くなった、フィドルのバッサ・クレメンツさんも…。師匠のもたらす情報には哀しみが漂う。寂寥感はただ死人を数えるからでなく、その才能と演奏が二度と甦らないことから生じるのである。余人のはるかに及ばない、もの凄い技術がまた消えてしまった。今しか聴けない音がある。何故かせっかちになりそうだ。
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