たとえオウムがアレフと名を変えたとして、ぼくは君らがしたことは忘れない。正しく言うと、"ぼくたちは"か。まして、幾多の事実に煙幕を張るどころか煙に巻いた男が別団体の長に納まろうと、疑いのまなざしを注ぎ続ける。犠牲者およびその家族のすべての原状復帰、長い長い時間が戻り、元通り健康回復が叶った、としても、である。
罪のない女子中学生を下校時に拉致するという悪行に加担した疑惑の拭えない団体が、別団体と合併しても、真実を晒せと訴え続ける。よりにもよって、その発表の日を、拉致被害者の家族同士が会見しマスメディアの注目を集めるべき時におっ被せるなんぞ、悪意以外ありえない。憤怒は新組織に受け継がれるものとする。差別なんぞと呼ばせない。
あれからぼくたちは随分待ち続けたことになる。「レジューム・チェンジ」を待つという悠長さなどとっくに失効させるほどの。自分を良民とは呼ばぬがこれでも常民のハシクレだ。こんなヘタレにだって出来ることはある。
教室に流れるブルーグラス・ミュージックは素朴な家族の愛と、神への敬虔な思いを奏でる。静穏な空気に包まれるからこそ、沸き立つ強い感情に揺さぶられる週末である。
「いつか」ではない
もはや「きっと」である
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