横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

城のためなら何でも使う

2016-10-07 09:09:56 | 旅行



姫路城内に往時の城下をジオラマにしたものが展示されていた。
内堀、中堀から外堀まで多数の侍屋敷が配置されていたようだ。






城というと天守や櫓などの建造物が注目されるが、
城郭全体の造りや石垣の様子なども興味を引くものだ。






姫路城の石垣は江戸城や大阪城などの整然とした石垣と趣を異にするものがある。

ここは姫路城の上山里下段にある石垣で秀吉が黒田官兵衛に命じて1580年ごろ築かれた。
特徴として野面石(自然石)を使用している。積み方は「布積み崩し」という古式。
石垣が低く2段にして補っている。間詰め石は河原の石を使っている。

大きな石を四角形に加工して使用するのではなく有るものをそのまま使っているという感じだ。






しかし自然石ばかりでなく備前門の脇にはきれいに加工された直方体の石が積まれている。
これは古墳に埋葬されていた石棺が築城の際に石垣に転用されたそうだ。






左脇の石垣の方形の石も古墳の石棺の一部だという。
ほかにも姫路城の石垣には古墳の石棺が積石として転用されていて、
姫路近辺の古墳がいくつも破壊されたと想像できる。






石垣にはいろんなものを利用しているのが見て取れるが、
水の一門の左手には変わったものが積まれている。
金網が被せられた白っぽいものがそれだ。






これは石臼の一部で、姥が石と呼ばれている。
伝説によれば築城に当たり秀吉は石集めに苦労していたようで、
城下で餅を焼いて売っていた年老いた女がそのことを聞き使っていた石臼を寄付した。
秀吉が喜んで使ったところ評判が広がり国中から多数の石が集まり築城が急速に進んだそうだ。






築城のためには古墳の石棺、寺の墓石や石仏などさまざまな石を使った。
その例は石垣以外にも有って、「はの門」の礎石には灯篭の基礎が転用されている。

罰当たりな城とも思えるが、安土城や郡山城などでも墓石や石像などの転用が確認されているとか。
その当時はありふれた行いだったのかもしれない。

コメント (2)
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