
先日ちょっと京都に行ったときに勧修寺と醍醐寺の桜も見てきた。
今年は桜の開花が早く、ここも残念ながら盛りを過ぎていた。
数日前なら、この観音堂と桜の取り合わせは絶景だったのだろう。
勧修寺は京都市内の西側に住んでいた者にとっては東山を越えた向こう側になり、
訪れることはなかったが名前はよく知っていた。
当時から「かんしゅうじ」と呼んでいたが、今回訪れて正式の名前は「かじゅうじ」だと初めて知った。

亀甲山勧修寺は真言宗山階派の大本山で平安時代に醍醐天皇が生母を追善して創建したそうだ。
本堂、宸殿、書院、観音堂などの伽藍と氷室池の庭園がある。

書院の「上段の間」(門跡御座所)の床の間の横にある違い棚は勧修寺棚と呼ばれている。
障壁画は江戸時代の絵師・土佐光成の筆による「龍田川紅葉図」だ。

「次の間」の障壁画は光成の父である土佐光起の筆による近江八景図だ。
琵琶湖沿岸風景、瀬田の唐橋を渡る大名行列、石山寺などが描かれている。

氷室池では季節により花菖蒲、睡蓮、蓮などが咲くそうだ。
木の上にはアオサギやコサギが営巣しているようだった。
池の向こうに藤棚も見える。

回ってみると藤の花芽がいくつもあった。満開になったら見事だろう。

近くの低い木では八重桜が満開だった。

勧修寺から醍醐道を通って地下鉄・小野駅の向こう側に行くと真言宗善通寺派大本山・随心院がある。
このあたりは小野一族が栄えた場所で、小野小町ゆかりの寺として知られている。

境内は梅の美しいところとして有名だが、もちろんその時期は過ぎている。

小野小町の化粧井戸の近くの桜は満開でクマバチが食事に来ていた。

このあたりは小野小町の屋敷跡で、ここは小野小町が化粧委をした井戸の跡とされている。
もっとも小野小町の生誕地とされる場所も墓や塚も全国あちこちにあり本当のところは分からない。