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勧修寺から随心院を経由して醍醐寺まで歩いた。
ここも例年より早く、桜の最も美しい時期は過ぎていた。
しかし勧修寺より桜の名所として有名なのと桜の種類が多くて長く楽しめるので人出が多い。
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平安時代初期に創建された真言宗醍醐派総本山・醍醐山醍醐寺は修験者の霊場として発展し、
醍醐天皇の庇護を受けて大伽藍が完成したが室町時代の戦乱で荒廃した。
その後、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を行うなど援助して今の姿につながっているようだ。
秀吉の時代にソメイヨシノはないので山桜が中心だったろうか。
総門を入ると左に三宝院、右手に霊宝館がある。さらに進んで仁王門の向こうは伽藍エリアだ。
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三宝院の唐門。醍醐の花見の翌年(1599)に造られ黒漆塗りに「菊」と「五七の桐」の紋が配置されている。
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三宝院の表書院から見える庭園は回遊も出来るように設計され奥には茶室もある。
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仁王門に向かう。この向こうに伽藍が広がる。
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木造金剛力士像は平安時代末期に大仏師勢増、仁僧によって造られた。
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醍醐寺の本尊である薬師如来座像と脇に日光・月光菩薩が安置されている金堂。
醍醐寺の本堂といえる金堂は醍醐天皇の願いで926年に創建されたが焼失し、
秀吉の命で紀州から移築され秀頼の時代に完成したそうだ。
金堂の裏には大きな桜の木が花を咲かせていた。
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不動堂や真如三昧耶堂(さんまやどう)、祖師堂などの建物が見られる。
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五重塔は平安中期(952年)に建てられ、応仁の乱により他の堂宇が焼失する中で唯一生き残った。
京都府最古の木造建築で、高さは37.4mだ。
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観音堂は昭和5年建立の旧・大講堂で、2008年に焼失した上醍醐・准胝堂の代わりに西国札所になっている。
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弁天堂に弁天池そして、隣接する無量寿苑あたりは秋の紅葉の時期が素晴らしそうだ。
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今からしばらくの間は新緑が楽しめる。
今度は上醍醐と呼ばれる醍醐山エリアを歩きたいものだ。