昨年に3球で150円のユリの球根を、八百屋から買ってプランターに植えていた。球根のサイズから花卉生産農家の産業廃棄物的な、花を咲かせて収穫した残りの球根だろうか、そんなサイズの球根だった。二つは花芽をつけず、一つに花芽がついた。そこでつぼみが小さいうちから、チッソ肥料過多に生育をさせた。葉面散布と土への供給と2段構えで強烈にやった。
花にはリン酸分とよく言われているが、花芽形成に必要なのであって花のサイズそのものにはチッソ分が効く。そのせいか草丈40センチ程度なのにかなり大きなつぼみになった。これは期待できる。
庭のアジサイには葉っぱと葉っぱの間の節間の成長を抑制するわい化剤を2回蒔いた。昨年も処理したのだが、濃度が高すぎたのか葉っぱまで萎縮したので、今年は効くギリギリの濃度で2回蒔いたのだが、少し効きが弱かったかもしれない。
花芽が出てからチッソ分の強い液体肥料を、葉面散布して投与した。アジサイは肥料が効きやすいのかこれはかなりうまくいった。例年の2倍のサイズまで大きくできた。草丈も抑制できたのでさらに大きく見える。
原理的には、葉っぱと花とは近いので、チッソ分が花のサイズの影響するということだ。アジサイだと花びらよりさらに葉っぱに近いガクなのでさらに影響が出るということになる。
しかし庭師によっては、庭にアジサイを植えてはいけないという人がいる。野放図に大きくなってしまうからだ。抑制するために毎年枝を根元から切って株元から出た枝を更新し続ける必要がある。だがその枝が充実しないと来年の花に結びつかない性質がある。だから枝の更新にこだわりすぎると花数が少なくなってしまう。かといって花数にこだわると野放図に大きくなる。今まで見た限りだと一株で直径2メーターまで広がったのを見たことがある。
そこで成長抑制剤も使ってみたのだが、今年はうまくいった。とはいえ今年もかなり枝を切り落とす必要がありそうだ。
響でワイルの「マハゴニー市の興亡」の2幕からかけてもらったのだが、その時の会話がなんとも言えない。稲作農家もいて、農政の話になったのだ。
米価が安くなって大変だという話の時に、マハゴニーでは牛2頭食べてデザートに子牛一頭を食べて死ぬ男の話になっていた。賭けボクシングで勝ち目のない相手と戦う自分に全財産を賭けて戦うシーンでは、補助金出すからこの政策に乗ってくれと言われて、しかも脅し透かしまで食らいながら参加するがそれでも借金は残る。その借金を返せないほど米価が下がった。オペラでは賭けボクシングでスッカンピンになった男に金がないから死刑という話が進んでいる。
農業生産と農政の問題と、流通業者のマージン率の高さと、消費者の問題、コーヒー農園での生産と流通の問題、が話されている最中、バックのオペラでは金のない奴は死刑という裁判が進んでいる。彼女には「金がなくなった奴と付き合った私は被害者だ」と言われて「テメーのケツはテメーで拭け!」と歌われるし、友人からは「苦楽を共にした仲間だけど、確実に負ける奴に友情だけで賭けるバカは犯罪だ」とまで言われてしまう。
農家が帰った頃には、マハゴニー市は末期的になってしまった。響の熱田さんが「金ってありゃいいってもんじゃないんです」そういった頃には、マハゴニー市は炎上してデモ隊が勝手なことを言い募って幕となった。
何が面白かったかといえば、ブレヒトの台本の裏側の会話が進んでいたわけです。これは面白かった。
マハゴニー市の話は強欲批判なのですが、それと会話が一致していたわけです。なかなかあることではありません。このドイツ語と英語のチャンポンなオペラを聴いて会話できる能力は三人ともありませんし、話題がこうなって、オチがこうなるとは。
とりあえず、ユリに対しての私の強欲は成功したようです。
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