どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日も頑張った

2017-04-26 01:27:48 | 日記

 

今日も頑張って仕事をします。朝一番に缶バッチが届いたのですがそれすら見ずに仕事です。で、写真の仕事って歩くんですね。歩きます。中腰にもなります。しゃがみます。時には寝そべっていますし、爪先立ちで立つこともあります。

足がえらいことになっています。ちょっと立ちたくない。

キジバトがウロウロしていました。

 

 

北朝鮮がミサイルを撃つかどうかで世間は賑やかなようです。ただこの問題を今ニュースで取り上げるのは、実際のところどうなのかと思います。何しろ日米共に大変都合のいいタイミングだったからです。支持率の低迷しすぎているトランプさんと、森友学園問題と共謀罪の法案問題で苦戦中の安倍内閣にとって目をそらすには最適なことだからです。

その上北朝鮮問題を大きくすることで、韓国大統領戦に圧力をかけることができます。文氏が大統領になった日には日米共にどうしようもなくなります。韓国国民に危機感を感じさせる意味合いは、確実にあります。少し前まで韓国は中国とアメリカの両天秤外交という無謀なことをやっていました。それをヤッホーと喜んでいた韓国国民に少しは現実に戻れやと、そう言い放っています。

中国ですが、緩衝地帯が欲しいから庇護しています。歴史も長期スパンでは朝貢外交でずっと続いていたことがあり歴史的庇護国です。ですが今の建国史からゆくと少し複雑です。まず金日成がソ連出身だったということ。ソ連によって養成されて北朝鮮にやってきたという経緯があります。なんでそうなったかといえば、第二次世界大戦後の分割によるものです。アメリカとソ連が世界を分割したことですね。ここで北朝鮮にソ連から送り込まれたと言ってもいいのが金日成です。さてここからニューズウイークの遠藤誉氏のコラムから。

「1949年3月にアメリカのマッカーサー(当時、連合国軍最高司令官)が、そして1950年1月にはアチソン(当時、米国務長官)が「韓国や台湾はアメリカの防衛線から除く」(アチソン宣言)と発表したため、これを好機ととらえて、金日成がスターリンの賛同を得て始めたものだ。

当時、中国の毛沢東は「戦争が始まれば、アチソン宣言などすぐにひっくり返る」として北朝鮮が戦争を始めることに断固反対した。1946年から本格化した国共内戦を戦って、1949年10月1日にようやく中華人民共和国建国に漕ぎ着けたばかりの毛沢東にとって、さらなる戦争に巻き込まれるのは「ごめんだ」ということもあった。」

ということで、ソ連と北朝鮮がアチソン宣言を好機と捉え、中国を巻き込んだのが朝鮮戦争。当時はソ連の力が強かったので中国も応じなければいけなかった。ただその後、朝鮮人で編成された人民軍出身者を粛清したり、中国がソ連と離れてゆく過程で中国を非難しまくったりと、北朝鮮は朝鮮戦争の恩義を感じていないような行動を続けます。ソ連的な共産党ではなく、中国的でもない独自の思想体系を作ることでもわかるように、独自路線を貫こうとします。

小学生の時にラジオを自作すると、必ず聞こえたのが中国と北朝鮮の電波だった。互いの悪口を言い合っていたというのが記憶にある。

それでも中国は緩衝地帯としての北朝鮮を重視していたから今まで支えてきた。でも核開発でその根拠が失われつつある。そして万景峰号のウラジオストック航路ができた。つまりここでロシアが接近している様子が見える。近代史でソ連が重要だったように、現代でもチャンスがあればロシアは朝鮮半島に近づくのだよ。

日清戦争や日露戦争当時の状況に近いのではないのかと思う。だが、だからこそ北朝鮮は今は何もしないと思う。

まあ今やトランプさんの方が危ないな。

 

 

明日は雨だ。休める。

 


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