先日、浅草寺本堂裏の広場に、「比翼檜葉(ひよくひば)」が植えられた。ところが、その広場には、代々の因縁話が隠されていた。
本堂裏に出来たホテルのネオンが目障りで、それを隠すために植樹したという。
初めに植えようとした場所には、かつて高さ110mの「スペースタワー」が建っていて、その基盤が深く残っており掘り返せなかったのだとか。
このタワーも「モダンすぎて寺の美観とそぐわない」等々でもめ、昭和42年に完成。ところが、所有会社の財政難に石油ショックがつづき、昭和48年には早くも廃業、解体されてしまったという因縁です。
まさか、40年前の苦い痕跡が再び亡霊のように現れるとは、お釈迦様でも観音様でも分からなかったのでしょう。そのため、ネオンを隠せる場所に植樹出来ず、広場の中に立てざるを得なくなったそうです。
さらに古い明治のころの裏広場には、植樹した辺りに「噴水」がありました。
明治40年の地図
中央に噴水泉、右奥に地蔵堂(六角堂)、左奥にいまはない善光寺如来堂を望む。
明治36年(1905)8月に竣工した噴水泉は、本堂の裏手にあって、噴水口には沙竭羅龍王黄龍(さがらりゅうおうこうりゅう)の像がありました。その沙竭羅龍王像は本堂前の手水舎(ちょうずや)に移され、現在もその姿を見れます。
ところで、「比翼檜葉」は、まるで仲の良い夫婦のように並んで垂れ下がる枝の様子から「比翼」なのだとか。また、幹から多くの枝が枝分かれし、小枝が長くのびて糸のように垂れ下がるところから、「糸ヒバ」ともいわれ、枝が伸びが早く、手入れが大変なヒノキ科の常緑高木です。
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本堂裏に出来たホテルのネオンが目障りで、それを隠すために植樹したという。
初めに植えようとした場所には、かつて高さ110mの「スペースタワー」が建っていて、その基盤が深く残っており掘り返せなかったのだとか。
このタワーも「モダンすぎて寺の美観とそぐわない」等々でもめ、昭和42年に完成。ところが、所有会社の財政難に石油ショックがつづき、昭和48年には早くも廃業、解体されてしまったという因縁です。
まさか、40年前の苦い痕跡が再び亡霊のように現れるとは、お釈迦様でも観音様でも分からなかったのでしょう。そのため、ネオンを隠せる場所に植樹出来ず、広場の中に立てざるを得なくなったそうです。
さらに古い明治のころの裏広場には、植樹した辺りに「噴水」がありました。
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中央に噴水泉、右奥に地蔵堂(六角堂)、左奥にいまはない善光寺如来堂を望む。
明治36年(1905)8月に竣工した噴水泉は、本堂の裏手にあって、噴水口には沙竭羅龍王黄龍(さがらりゅうおうこうりゅう)の像がありました。その沙竭羅龍王像は本堂前の手水舎(ちょうずや)に移され、現在もその姿を見れます。
ところで、「比翼檜葉」は、まるで仲の良い夫婦のように並んで垂れ下がる枝の様子から「比翼」なのだとか。また、幹から多くの枝が枝分かれし、小枝が長くのびて糸のように垂れ下がるところから、「糸ヒバ」ともいわれ、枝が伸びが早く、手入れが大変なヒノキ科の常緑高木です。
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見て良いもは隠さずだよね
仕方がないと思うネオン
浅草寺に、噴水とは意外な組み合わせです。
せいぜい、本堂前の手水舎で手をしめらすていどの
イメージしか湧きません。
因縁話を興味深く読ませていただきました。
明治40年の地図も参考になりました。
手をこまねかず、策を講ずるのも知恵ですね。
この比翼檜葉は常緑樹なので、葉が立派に繁っていく様を観察したいものです。
http://www12.ocn.ne.jp/~sakura.3/
(ムツコ゜ロウ)さん へ
本話題が、手水舎の沙竭羅龍王像にリンクするとは考えなかったです。
浅草寺の観音さまは、龍にまつわる伝説があるので、水とは切り離せないようです。
(やまあき)さん へ
巧い浅草の構図ですね。
普段、何気なく見ている日常を、このように切り取った写真に
遭遇すると、嬉しくなってしまいます。
次に撮るときの参考に盗もうとたくらんでしまうのです。