ようやく梅が咲いた
月末は、メルヘンの日。
そんな日に、関東では雪。 . . . 本文を読む
菅原道真をおまつりした神社。学問の神様として、一万二千社もの御霊分けした神社が全国にある。
三光門(重文)↑と社殿(国宝)→。
菅原道真すがわら みちざねは延喜3年(903)2月25日、無実の罪が晴れぬまま太宰府の配所で昇神し 天暦元年(947)に御神霊の慰霊と皇城鎮護の神としてこの北野の地にお祀りされた。
2月25日薨去にちなんで梅花祭ばいかさいが . . . 本文を読む
昨年末に、家から車で5分ほどの所にアメリカ資本の倉庫店が進出してきた。
天井を2~3階吹き抜けにして、とてつもなく広く 真に倉庫の中。世界で598倉庫店以上、日本で12倉庫店といい、ご覧のような店舗になっており、家庭に必要なものをすべて取り揃えられるが宣伝文句。
日本の一流電化製品も低廉で置き、食品コーナーでは試食して味見できる。大量販売を指向しているが一袋単位でも購入できる。もっとも、一袋でも . . . 本文を読む
大報恩寺だいほうおんじは、鎌倉時代の安貞元年(1227年)で義空によって創建された。本堂(釈迦堂)は応仁文明の乱などの度重なる災害にも焼けることなく残り、京都市内では最古の仏堂建築物。「千本釈迦堂」と呼ばれるのは、嵯峨の釈迦堂 (清凉寺)と区別しようと、千本通りの釈迦堂から通称されている。(千本通りの名は、平安時代に道に千本の卒塔婆を立てたとか千本の桜が植えられていたという説が残る。)
おかめ物 . . . 本文を読む
釘抜地蔵として親しまれる石像寺しゃくぞうじは、弘法大師・空海によって弘仁10(819)年に創建された。
遣唐使として唐に渡った空海は、帰国の際に石を持ち帰った。その石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願したといわれる。諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵さまということから、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「くぎぬき」の名で知られる . . . 本文を読む
テレビCMからは、ミステリアスな雰囲気を醸した「誰が殺した?」のキャッチコピーに惹かれて、観てきた。
タトゥーといえば刺青いれずみなので、芥川賞受賞の「蛇にピアス」のような ちょっとイカレタ女のイメージを抱いた通りに、タイトルロールから あたかも007のような前衛的な超ショットと音楽がフラッシュする。
一転、しずかなトーンで ものがたりは進む・・・。
人間関係がややこしいが . . . 本文を読む
雨宝院うほういんは、本隆寺の北直ぐに位置する。境内には観音堂の他に不動堂、稲荷堂、庚申堂などたくさんのお堂が建ち並び、界隈の人からは西陣聖天さんと呼ばれ親しまれている。
平安時代の弘仁12年(821)嵯峨天皇の病気平癒を弘法大師空海が祈願し、六臂の歓喜天(聖天)を安置した大聖歓喜寺が始まりとされ、境内は広大で千本通五辻まであったが、応仁の乱(1467~77)により堂宇は焼失、荒廃。天正年間(157 . . . 本文を読む
ミステリーシリーズ 1本多い指でギターをテクニカルに弾く
豊臣秀吉が六本の指であったとする説がある。
ルイス・フロイスの「日本史」豊臣秀吉編が次のように伝える。
「彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった、、、」
前田利家の談話集「国祖遺言 . . . 本文を読む
本法寺ほんぽうじは、日蓮宗京都十六本山の一つで本阿弥作光悦ほんあみこうえつの枯山水庭園「三つ巴の庭」で知られる。
光悦は、宮本武蔵吉川英治のに登場するので興味を覚えた。本阿弥家は、代々刀剣の鑑定や研磨を業とする家系。
展示館では長谷川等伯筆による「佛涅槃図」(重文:総丈約10m)の大きさには、曼荼羅図のことを識る以前だったから驚かされた。寒い中だったが、雪舟の絵も展示していて飽きなかった。
. . . 本文を読む