島根県安来市の足立美術館は、日本庭園と近代日本画を鑑賞できる。
創設者足立全康を「金儲け、社会還元、道楽、三つとも該当する」そういいながら71歳で日本一の庭園美術館を創った実業家と堺屋太一氏が評する。庭園をこよなく愛し、91歳で亡くなるまで、自分の目と足で全国から植栽の松や石を蒐集し、庭造りに情熱を傾け、枯山水庭をはじめ、5万坪におよぶ6つの庭園は、四季折々にさまざまな表情を醸出する。しかも、雨でも傘をささず濡れずに館内を回遊して鑑賞できる。
米国の日本庭園専門誌(JOJG)が「日本庭園ランキング」で、此処の庭園を初回の2003年から8年連続で「庭園日本一」に選んだ。
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松江城
2011年11月29日 | 旅
宍道湖に浮かぶ嫁が島
松江城は、関ヶ原の戦いの功績により堀尾吉晴と忠氏親子が24万石で出雲・隠岐の藩主に。
明治維新の廃城令で取り壊されるところを、買い戻され今に残る。昔のままの城とは、登楼するまでシマネ島根ー、いえ知らなかった。そして、現存する天守閣は全国に12天守あるということも教わった。国指定の重要文化財。
天守閣からは、宍道湖と嫁が島を眺められる。嫁が島は、姑にいじめられた若妻が . . . 本文を読む
出雲大社
2011年11月28日 | 旅
出雲大社の祭神の大国主大神おおくにぬしのおおかみは、神代の昔、皇室の祖先の天照大御神あまてらすおおみかみに国を譲り、この壮大な神殿に鎮まった。
『口遊くちづさみ 』(970)には、建物の大きさのベスト3を掲げ「雲太・和二・京三」と記し、「雲太」(出雲大社の神殿)が東大寺大仏殿や平安京大極殿より大きく、本殿は高さ16丈(約48m)を誇る高大なものと記されている。いまも神社建築の中では日本一を誇り、 . . . 本文を読む
尾道
2011年11月27日 | 旅
尾道おのみちのシンボル的な千光寺へは、ロープウェイで上がる。
大同元年(806)開基の千光寺は、巨岩三重岩や屏風岩・蛙岩等の奇岩が累々と立ち並ぶ。
頂上展望台からの眺めは、さすがな360゜大パノラマ。対岸は向島で、その先に因島いんのしま水軍の拠点だった因島。
千光寺本堂から瀬戸内しまなみ海道の尾道大橋を望む
俗に赤堂と呼ばれる本堂と玉の岩(または烏帽子岩)は、当山第三の巨岩。
扁額『 . . . 本文を読む
宇宙の誕生は137億年前。であれば、宇宙の歳は137億光年であるはずだ。
ところが、宇宙は光を超える速度で膨張している。
現在地球で観測できる最も古い光は137億年前、宇宙誕生の38万年後に放たれたものだ。しかし、当時の宇宙は今の1100分の1の大きさだった。当時にしたら、4300万光年の距離を旅しようとしたら、137億年かかり、その間に距離が470億光年に拡大してしまった。つまり、この光が放た . . . 本文を読む
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空飛ぶサイ
空から人
種明かしすると、空輸するサイを撮った際、写真を反転させて雲に乗るかのようなサイを繕い、悪戯心に充ちた者がサイに代わってぶら下がり「空から人」になりました。
追
この一週間ほど、コメントを返さなくて失礼しました。
不審に思われたかもしれませんが、実は17日から今日24日まで旅しています。そのためブログ訪問できません . . . 本文を読む
この季節に朝顔みたいな花が咲いていると目を近づけると西洋朝顔の名札がついていた。真っ青な空によく似合う。
ひさしぶりに出かけた県立公園の噴水は、節電も終わって勢いよく噴き出していた。
菊の展示に、アンパンマンの菊人形。「絆」の菊文字も東日本大震災の復興を願う。
柿とサルビア
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祭の年間スケジュールを一覧にしました。祭名をクリックすると詳しく説明します。
なお、日時は事前にご確認ください。
2月10~12日利賀そば祭
4月第1金土日ちんどん祭
4/末~5/5となみチューリップフェア
5月1日高岡御車山祭
1~2日福野夜高祭
3日井波よいやさ祭
3日八尾曳山祭
4日下村やんさんま祭
4~5日城端曳山
14~15日伏木けんか山
17~18日岩瀬曳山車祭
6月第1金曜・土曜津沢 . . . 本文を読む
11月末までケーブル&バスが通っている。
雪の立山でも天気に恵まれれば暖かい。雪が真っ白に覆われた方は風もなく汗かくほどだった。ただ、山の天気は変わりやすくみくりが池周辺で遭難する者もいるので、山を舐めたら危険です。 . . . 本文を読む
この写真を撮った時代は、富山に暮らしていたので、晴れのときを見計らって出かける。ケーブルの立山駅のライブ中継を見て山頂が曇か雨なのが分かる。そんなときは、空振りを避けてケーブルには乗らず引き返す。富山に住んでいるので、気安く出直すことにする。
この日は、逆で麓は曇っているが山頂は快晴という情報を得ていた。観光客はしょんぼりと元気がなく、中には眠っている者さえいた。ケーブルからバスに乗り継ぎ七曲りの濃霧の中を走っていると、一転晴れ渡った。そのとき、観客は歓声の声が湧き起こる。そのときの内心は、声に出さぬが得意満面。
絵葉書のような9月の立山でした。 . . . 本文を読む
越中在任中の佐々成政さっさ なりまさに、早百合という名の愛妾がいた。成政の愛を一身にあつめたため他の側女の妬みを買った。どこか無骨な成政は、一途に信じられるものをこの女には需もとめていた。
ある年の冬、成政と数人の従者は徳川家康に会うために越中から直接に立山を越えた世に言うさらさら越え。
生死をさまよう佐良越えの留守中、早百合は小姓岡島金一郎と密通したという知らせが届いた。日頃の成政の早百 . . . 本文を読む
源義経と弁慶が、山伏姿に身をかわし奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩が、地名「雨晴あまばらし」の由来。
弁慶が持上げたといわれるこの岩は、上代の古墳の石槨せっかくという説もある。昔、辺りが海 となっていなかったころの貴人を埋葬した古墳だが、波が上の部分をさらってしまい、石槨せっかくだけが残ったといわれている。
雨晴海岸あまばらしかいがんからは、海の向こうに雄大な立山連峰を望 . . . 本文を読む
家から2時間ほどかけて草加まで柳家小三治独演会にでかけた。
独演会は、はじめてだったが、やはり会場をなごます前座があった。務めるのは柳家一門の真打・〆治。
まくらの小三治の出だしは、メモを片手の客に落語は役立つことはないとはじめた。なるほど、生活に役立たせるより小三治の表情を見逃さぬ手控えとしたいファンの気質もわからぬではない。
大入袋をいただいたけど、縁起物なのでいつも百円しか入ってないという . . . 本文を読む