6月4日(土)ニセ博士3人組の『歴史探検ウオーク』を実施、今回のテーマは、「畝傍山周辺の天皇陵を巡り古代大和王権の謎をさぐる」でした
コースは、10時にJR王寺駅に集合ー近鉄畝傍御陵前駅ー橿原考古学付属博物館ー神武天皇陵ー綏靖天皇陵ー安寧天皇陵ー懿徳天皇陵ー橿原神宮ー近鉄畝傍御陵前駅 徒歩15000歩、約8.5kmでした。
畝傍山を博物館の方向(東側)から見ると、ピラミット状の綺麗な姿ですが山の西側からでは、ダラダラした南北に広がった丘の姿に変わります。
博物館では、縄文時代の『橿原遺跡』出土品などと、最近発見された御所市の『秋津遺跡』縄文遺跡(2500~2800年前)の完形に近いノコギリクワガタが特別展示されていました。
ノコギリクワガタは、今にも木の根っこから這い出してくるように・生きているように見えました。
写真 神武天皇陵
初代神武天皇の陵「畝傍山東北陵」は、橿原市大久保町にあり博物館から北西に歩いて5分ぐらいです。南面する円丘で方形の濠が巡っています。陵前の鳥居は黒木を用いた神明形の鳥居です。
写真 綏靖天皇陵
2代綏靖天皇の陵「桃花鳥田丘上陵」は、神武天皇のすぐ北側橿原市四条町にあり、俗称を塚根山とゆう南面する円丘です。1878年以前は、神武天皇陵と言われていたそうです。
写真 安寧天皇陵
3代安寧天皇の陵「畝傍山西南陰井上陵」は、橿原市吉田町にあり、東西に長い楕円形の丘状をしています。畝傍御陵を西に回り南に歩いて約10分で御陵の正面に出ます。
写真 懿徳天皇陵
4代懿徳天皇の陵「畝傍山南繊沙溪上陵」は、橿原市西池尻町にあり、畝傍山南の谷間にある小円丘で字名は丸山といわれています。
写真 橿原神宮
橿原神宮の祭神は、初代神武天皇「神日本磐余彦火火出身天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」と、媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后、古事記では、皇后の「ひめたたらいすずひめ」は大物主の娘神とされていますが、大物主は、ニギハヤ匕
であり、その末娘の「御歳」のことで、名前の踏鞴とか五十鈴は産鉄に関係のある名前で、あきらかに出雲系ですね。
畝傍御陵の周辺は、皇紀2600年(昭和15年)に記念行事の一環として大々的に整備され現在の様子になりましたが、その陰では泣く人達も多かったそうです。
コースは、10時にJR王寺駅に集合ー近鉄畝傍御陵前駅ー橿原考古学付属博物館ー神武天皇陵ー綏靖天皇陵ー安寧天皇陵ー懿徳天皇陵ー橿原神宮ー近鉄畝傍御陵前駅 徒歩15000歩、約8.5kmでした。
畝傍山を博物館の方向(東側)から見ると、ピラミット状の綺麗な姿ですが山の西側からでは、ダラダラした南北に広がった丘の姿に変わります。
博物館では、縄文時代の『橿原遺跡』出土品などと、最近発見された御所市の『秋津遺跡』縄文遺跡(2500~2800年前)の完形に近いノコギリクワガタが特別展示されていました。
ノコギリクワガタは、今にも木の根っこから這い出してくるように・生きているように見えました。
写真 神武天皇陵
初代神武天皇の陵「畝傍山東北陵」は、橿原市大久保町にあり博物館から北西に歩いて5分ぐらいです。南面する円丘で方形の濠が巡っています。陵前の鳥居は黒木を用いた神明形の鳥居です。
写真 綏靖天皇陵
2代綏靖天皇の陵「桃花鳥田丘上陵」は、神武天皇のすぐ北側橿原市四条町にあり、俗称を塚根山とゆう南面する円丘です。1878年以前は、神武天皇陵と言われていたそうです。
写真 安寧天皇陵
3代安寧天皇の陵「畝傍山西南陰井上陵」は、橿原市吉田町にあり、東西に長い楕円形の丘状をしています。畝傍御陵を西に回り南に歩いて約10分で御陵の正面に出ます。
写真 懿徳天皇陵
4代懿徳天皇の陵「畝傍山南繊沙溪上陵」は、橿原市西池尻町にあり、畝傍山南の谷間にある小円丘で字名は丸山といわれています。
写真 橿原神宮
橿原神宮の祭神は、初代神武天皇「神日本磐余彦火火出身天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」と、媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后、古事記では、皇后の「ひめたたらいすずひめ」は大物主の娘神とされていますが、大物主は、ニギハヤ匕
であり、その末娘の「御歳」のことで、名前の踏鞴とか五十鈴は産鉄に関係のある名前で、あきらかに出雲系ですね。
畝傍御陵の周辺は、皇紀2600年(昭和15年)に記念行事の一環として大々的に整備され現在の様子になりましたが、その陰では泣く人達も多かったそうです。