「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

母と百合

2010-06-10 22:26:00 | 生活
母は百合の花(特にテッポウユリ)が好きで毎年咲かせていた。
昨年の秋、球根を母に頼まれて買いにいったところ、少し時期が遅かったのかテッポウユリは売り切れていた。仕方がないので、売れ残っていた球根を適当に買い求めて母と一緒に植えた。それから半年あまり、「百合に水やってくれた?」「芽が出てきた?」「つぼみが何個ついた」などと毎日百合のことを気にしない日はほとんどないくらいだった。
今まで咲かせた百合も、たいがいは「奇麗ね」といってくれたり、気に入った人にプレゼントしてしまうのだった。気前がいいところは、私とは違う。私は奇麗ねなんて言われると、あげるのが惜しくなるのだが…。
3月、4月と調子を崩した母はもう入院はいやだというので、在宅医療に切り替えた。その主治医の先生は、83歳で母のお気に入りである。元気になってからも週に一回、定期的に往診してくださるのを半ば楽しみに待っている。先週来られたときに、「百合が咲いたら、先生に差し上げます」とニコニコして言っていた。
その百合が咲き始めてきた。母は咲いた百合が黄色だったのにがっかりしたようだった。次に咲き始めたのに希望を託していたようだが、それもオレンジだった。テッポウユリと違う、と悲しそうな様子だった。しかし、黄色の百合があまりに見事なので気を取り直して、先生に百合をあげるから切ってきてと朝から何度も言われていた。
そして、「遅いね」と繰り返し、先生を待ちわびていた。「まるで、小娘みたいや!」と私がからかっても気にもしない。
先生もその母のプレゼントに喜んでくださり、リボンで結んだ百合を抱えて帰られた。
母のいつもの「花を見て怒る人はいない」のとおり、私も和やかなホットな気持ちになれ、母を可愛い人だなと思った。
花や野菜をつくり、いつも人にあげてしまう母の優しさもいいなぁ~、と思った。

最初に咲いた黄色い百合、診療所で患者さんを和ませていることでしょう。


次に咲き出したオレンジの百合


お食事中!

2010-02-14 23:34:00 | 生活
仏壇に供えたご飯を、捨てるのには忍びないので庭の石の上に置いていると、いつも雀が食べにやってくる。そして横の石臼の水たまりで派手な水浴びをする。その様子が、何とも可愛いい。ちょうど、遭遇すると母と私は大喜びである。見ていると、癒される。母は時々来るカラスがご飯を横取りすると怒っている。どうして鳥を差別するのという質問に、雀は可愛いがカラスはいやらしいという答え。
子供の頃、どういう訳か鳥かごに入れてカラスを飼ったことがあるのを思い出した。たぶん父が捕まえたのだと思う。父は動物好きで、いろんな動物をペットにしてしまっていた。動物嫌いの母は、そんな父にいつも怒っていた。子供だった頃の私は、そのカラスも可愛がっていた。今の私はというと、カラスやのっそりと家の庭を横断する太った野良猫はどうしても追いかけ回して追い払ってしまう。やっぱり可愛くない。
雀の食事や水浴びの写真を撮りたいと思っても、人の気配を感じるとすぐに飛び去ってしまう。やっと撮ることが出来た。




久しぶりの登場

2010-02-01 21:35:00 | 生活
昨年あたりから生活が一変してしまった。
山にはほとんど行けていない。
今はそれが一番悲しい。
そして、2010年を迎えてからもう一ヶ月が過ぎてしまった。
今年こそは、ブログもちゃんと書きたいと思っていたが、それもなかなかその気になれなかった。
だからといって、今の生活が悲観的かというとそんなことはない。
特に今年なってからは、母との生活もそれなりに落ち着き、限られた自分の時間もエンジョイできるようになってきた。やっといろんなことを、ありのまま受け入れることができるようになったようだ。

今日は、今年になって始めた2回目のピアノのレッスン日だった。15年ぶりに再開した。教則本は以前に何回かやったことのある「ツェルニー30番」で、曲はショパンの「子犬のワルツ」を弾いている。
曲は新鮮みがないのだが、新たな発見があり面白いと思える。やっぱり自己流でやっていると、いいかげんな弾き方をしていたようだ。先生とは親子ほどの年の差があるが、なるほどと思うアドバイスを受け、次回への課題となる。まだ自分に進歩する可能性があったことは嬉しいことだ。
昔、子犬のワルツを弾いたときにうまく弾けず、「子犬のワルツと言うよりは子豚のワルツや!」と思っていたのを思い出してしまった。今度は、可愛い子犬が駆け回っているように弾ければ嬉しいのだが…。

星田のクライミングは続けているが、こちらはもうあまり進歩はない。以前のように回数が行けないのでしかたがない。母がデイケアにいっている短時間に、平日クライミングが出来るようになった。
久しぶりの星田で、病気を克服して何年ぶりかでクライミングを再開したNさんに再会できたのは嬉しかった。76歳になられていた。
Nさんの年齢まで、私にはまだ16年あるという当たり前のことに気がついた。そして、Nさんがクライミングを始めた年齢に私はまだ到達していないことも。十数年前に星田に通い始めたときに、当時63歳のNさんに驚きと尊敬の念を抱いたことを思い出した。
星田のシルバー隊(日だまりクラブともいう人もいる)に、私はまだ若いと入れてもらえないでいる。私にとってシルバー隊は、希望でもある。まだまだ、やれるんだという…。

昨年は山に行けなくなってちょっと落ち込んだりしていたが、最近はまた新たな希望の光が少し見えたようだ。これから始めたことでも20年後は80歳。体力的には下降していくのだが、気持ち的には上昇していたいと思えるようになった。素敵な80歳でいたいものだ。

ささやかな喜びを見つけて、もう少しブログも書きたいものだ。






新生活

2009-06-21 15:21:00 | 生活
引っ越してから、20日が過ぎてしまった。そして母との同居を考えてから、一年以上が過ぎてしまった。忙しさも峠を過ぎた。ということは、母との生活も落ちついて来たことになる。
思いもよらなかったことがトントン拍子に決まり、このような形で落ちつくとはその頃には考えられなかったことだった。
しかし私もそろそろ活動を開始しないと、ストレスがたまって来そう。来月は,対面読書を始めることにした。ホシダにももう少し行きたい。前のようにはいかなくても、中断していることを少しでも出来ることから復活したい。
新居での生活は母にとってもストレスかも知れないと時々思う。何もかも新しい生活にとまどうのか,私に頼り切ってしまってる。何もしない。言えばお茶でも何でも出て来ると思ってる。これはいけないなぁ~と思う。
いろんなことに慣れて、自分で出来ることを増やして行ってもらわないといけない。
年寄りと暮らすのは、また子育ての頃に戻ったようだ。だが違うのは成長して行く子どもの逆を行っていること。それでも、出来るだけ自分で出来るように、過保護にならず自分で出来るように仕向けて行かねばならない。
当面の目標は、夜の留守番を母が出来るようにすること。まずは、日帰り山行の間の留守番から始まって1泊2泊と山行日数を増やせればいいのだが…。
こんなことを考える私は,身勝手なのだろうか?

超多忙

2009-05-14 21:35:00 | 生活
とにかく忙しい日々は続いている。
そしてとうとう、風邪をひいてしまった。もう10日ほどになるが、すっきりしない。新型インフルエンザが日本にも上陸したようだが,私には関係ないのだ~。病院で「失礼ですが、海外旅行にいきましたか?」と看護士に聞かれる。「いいえ」と答えながら、内心「そんな暇ないわ。山にも行けてへんのに。」と心の中でぼやいてしまった。
顔半分をマスクで隠して、入院中の母の洗濯物を取りに行くと「来んでもいいのに、家で寝とき。」と労られてしまった。
母との同居まであと2週間になった。それまでに、母も元気になってほしいものだ。新しい家での新しく迎える生活がどのようなものかはまだわからないが、楽しくやって行きたいものだ。
そして、出来るだけ病院には戻ってほしくないと思う。病院でただ死を待っているだけしか思えないお年寄りを見ると悲しい。家に帰らせてと懇願して、叶わないまま病院で亡くなった叔母を思い出す。
私の祖母や祖父がかつて家で死を迎えたのを見ている。ちょっと前までは、それが当たり前だった。往診してくれる医者がいなくなって、すぐに入院するようになったのはいつからだろうか。
年寄りが,住み慣れた家で家族と最後を静かに過ごしたいというのはそれほど難しいことなのだろうか。病院に通うたびに考えさせられた。
母は早く良くなって、私と一緒の生活を出来るだけ長く過ごしてほしいと願うのだが…。