「みんぱく」に行ってきた。
大阪の万博で私の記憶に残っているのは、今では岡本太郎の「太陽の塔」と三波春夫の「今日は~、今日は~、世界の国から…」という歌のみ。1970年ということだから、私は20歳。その当時は、行こうと思えば簡単に行けるところに住んでいたが、全く興味がなく行っていない。その頃から、人の沢山集まるところはいやだったようだ。
烏帽子や不動などのクライミングに行くときに、エクスポランドの観覧車や太陽の塔はいつも見ていておなじみの風景でもある。なのに、一度も行っていなかった。考えてみても理由は分からないが、立ち寄ってみようとも思っていなかった。
それが、この民族博物館「みんぱく」で触る展示物が特別展であるから、行ってみようと言うことに朗読関係の友人に誘われた。内容はあまり理解していなかったが、時間があれば誘われたらとにかく断らないのが私の主義でもある。
その特別展は、視覚障害者のための教育教材の展示だった。現在の点字になるまで、視覚障害者の人たちに文字や情報を伝える手段がいろいろ世界中で試行錯誤されてきた歴史がよくわかった。日本でも、明治の頃の点字教材が展示されていた。文字を和紙で浮かび上がらせて触らせるようになっていたり。針で文字の通りに穴があけてあったりしてる物が初期の物だったようだ。
ゴッホの絵や地図も触っても分かるように立体的に出来ていたりしたが、私たち健常者の情報に比べたら、なんとお粗末な情報なんだろうと思える。
私たちの細々とやってる朗読も、その一助にはなっている。少しぐらいは、役に立っているんだなぁ~と思えた。
大阪の万博で私の記憶に残っているのは、今では岡本太郎の「太陽の塔」と三波春夫の「今日は~、今日は~、世界の国から…」という歌のみ。1970年ということだから、私は20歳。その当時は、行こうと思えば簡単に行けるところに住んでいたが、全く興味がなく行っていない。その頃から、人の沢山集まるところはいやだったようだ。
烏帽子や不動などのクライミングに行くときに、エクスポランドの観覧車や太陽の塔はいつも見ていておなじみの風景でもある。なのに、一度も行っていなかった。考えてみても理由は分からないが、立ち寄ってみようとも思っていなかった。
それが、この民族博物館「みんぱく」で触る展示物が特別展であるから、行ってみようと言うことに朗読関係の友人に誘われた。内容はあまり理解していなかったが、時間があれば誘われたらとにかく断らないのが私の主義でもある。
その特別展は、視覚障害者のための教育教材の展示だった。現在の点字になるまで、視覚障害者の人たちに文字や情報を伝える手段がいろいろ世界中で試行錯誤されてきた歴史がよくわかった。日本でも、明治の頃の点字教材が展示されていた。文字を和紙で浮かび上がらせて触らせるようになっていたり。針で文字の通りに穴があけてあったりしてる物が初期の物だったようだ。
ゴッホの絵や地図も触っても分かるように立体的に出来ていたりしたが、私たち健常者の情報に比べたら、なんとお粗末な情報なんだろうと思える。
私たちの細々とやってる朗読も、その一助にはなっている。少しぐらいは、役に立っているんだなぁ~と思えた。