7月13日(木)曇時々晴
昼には”かっ”と太陽が顔をだしたのですが、やっぱりまだのようです。首の手術あとの傷も癒え今日は無事治療終了となりました。今回大きくなりすぎて大げさになってしまいましたので、ついでに、小さなぶちぶちをはさみでみんな取ってもらいました。なんと5ヶ所もです。いっぱいできているのは何かの病気ですかと医師に尋ねたところ「年だからね」ですと。僕はまだ気持ちは若いのですがと言うと「皮膚も年をとってくるとこんな風になるからね」周りで看護婦たちがゲラゲラ笑ってました。何はともあれ一応一安心です。
さて昨日は、物質的に豊かになった日本人のこれからにとって「癒し空間」の創出が必要だと言った話をしてきました。高度欲求レベルに達した我々は、これからの時代においては心のケアとなる「癒し空間」と言うキーワードをベースにビジネスの再構築をすべきだと言う内容だったと思います。高度な欲求には違いないでしょうが、欧米より日本にとって重要なキーワードになると思っています。なぜなら我々の遺伝子と違ったアメリカ型資本主義ベースのビジネス展開が今始まっているからです。論理さえ通れば何をしても良い、資本家が儲かればよいと言ったビジネスは日本古来の文化とはまったく異質のものであり、グローバル化などと言ってまともに戦ってもかなうわけありません。あげくに精神はボロボロになるに決まっていますから。
ここでちょっと横道にそれますが、日本は古来から独特の精神文化を育んできた国です。天皇を中心とする神道をベースに仏教・儒教を組み込んだ集大成の考え方が武士道だったのではないでしょうか。新渡戸稲造さんの「武士道」によれば、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義を重んじた考え方になります。これら一つ一つの言葉を説明しだしたらきりがないので簡単に注釈することとします。
「義」は正義、人間としての正しい生き方や道理を言います。
「勇」は正義を貫く勇気・間違いを諌める勇気のことを言います。
「仁」は慈愛、寛容の心で暖かく見守るやさしさです。
「礼」は相手をいたわりこと、配慮の意味で単に形式的な振る舞いではありません。相手に不快な思いをさせないための礼節を言います。
「誠」は素直な心、正直でうそをつかないことを言います。
「名誉」は武士の目指す最高の目標であり、そのためには”武士は食わねど高楊枝”などと言われていました。要は世間から評価されることを言います。
「忠義」は正しい道に対して忠実であること。決して主君への忠誠心や親への孝行だけにとどまらず、主君が人の道にはずれれば切腹覚悟で諌めることが武士道の忠義です。ここの所は儒教の教えよりさらに高度な忠義です。
武士道は儒教の影響を強く受けていますが、さらに日本人流に咀嚼した上でもっと高い次元で人間の道を示している哲学だと僕は感じています。
このような古来の精神文化を復活させていくことが日本人らしさを取り戻し、心の平静を得る最善の方法のような気がしています。元々我々の先祖が創りだした精神であり、受け容れる素養が遺伝子的にも備わっていることですし、戦後アメリカ的個人主義にかぶれ、より戦闘的なビジネス感を植えつけられたことにより、遺伝子の不符合により生じた結果が「癒し空間」を求めるようになるのですから。そこで僕は「癒し空間ビジネス」には”Return to Japanese Spirit”が必要条件だと言いたいのです。「日本の精神に戻れ」アメリカが何を言おうと我々の心の故郷を今一度思い起こし、リニューアルすれば、これからの新しい社会の骨格ができあがってきます。そしてそれこそが我々日本人の安定した精神を育んでくれると自分は考えています。
それでは今日はこの辺でお開きとします。おやすみなさい。