7月25日(火)曇のち晴
今日は午後から夏の空が顔をだしたけど、また隠れてしまうのかもしれませんがいいかげんにしてほしいものです。
昨日から宗教の話をしたらアクセスビュー数がガクンと落ちてます。日本人は宗教の話をすると極度に嫌がります。無宗教であることが自慢の人の多いことったらありません。実は僕もそうでした。でもよく考えると戦後の教育によってそうされてきた特異の状況なのかもしれません。世界中どこの国に行っても宗教はあります。むしろないと言っている国の方がおかしいと思います。
特に日本で発達した神道・仏教・儒教の融合思想は日本人の柔軟性をよく表していると思います。それぞれのよい面を自分達の生活環境に合わせて取り入れてきたことを考えると、欧米のように自分達の神を押し付けるために戦争をしてきた歴史とは全く違ったすごい文化だと思いませんでしょうか。堺屋太一氏の「日本を創った12人」の最初に聖徳太子の神仏儒習合思想が出てきます。日本人の宗教観・文化観は1400年前に聖徳太子の発想・実践による習合思想が根付いたため宗教が対立軸にはならなくなったと言ってます。だから僕らには宗教戦争などと言うのは多分理解できません。そういう点では極めて柔軟性に富んだ民族じゃないかと思います。
所詮宗教は僕らの生きていく上での心の拠りどころであって、人間社会での心の安定が最終的な目的のための考え方でしかないと思っています。僕達の一年間の生活行事にはあらゆる宗教の儀式が入り込んでいて、しかも何の不都合もありません。そしてその原点がなんであるかさえわからない人が多いのです。でも一応その意図することぐらい知っておくべきではないのかと思い、このブログを書いてみることにしました。僕も正直勉強したてでまだ十分に理解しているとは言えませんが、最近神社やお寺に行くと本来の神道・仏教にはないものが渾然とできあがっていて何の不思議もないのにびっくりすることが多いのです。
たとえば本来の仏教では先祖を祀ることはありません。なぜなら仏教は現世の苦悩から開放するための教えであり、先祖は関係ない宗教です。でもお寺に行くと○○家先祖代々の墓があります。多分これは仏教が中国に伝わり儒教の「孝」の教えが組み込まれたものと考えた方がいいと思います。またお寺によっては「手水舎」がありますがこれはもともと神道の禊のためのものです。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から逃げ帰った時身の穢れを海水で洗い流したと言う神話に基づき「禊」をして神様に祈るためにあるものです。
日光東照宮は列記とした神社ですが中には五重塔があります。でも五重塔は本来仏教の仏舎利塔(仏陀の遺骨を納める塔のこと)が基で空海の真言密教により世界の構成要素である地・水・火・風・空の五大を屋根に表したと言われています。いずれにしても神社に仏教の建物が入っている例です。実は江戸時代までは神社には仏教施設がいっぱい入り込んでいたといわれています。明治政府によって神道が国教となったため、本来の神社にかなり変えさせられたため少なくなったと言われています。
だからどうと言うことでもないのですが、聖徳太子以降1400年間宗教戦争もなく、日本人の生き方の知恵が民族を存続させてきたと思うと、現代人もその意味するところを知っておくことも「国家の品格」として重要なことだと思うようになりました。
今日はここまでですが明日からは神道・仏教・儒教のちょっと知っておくといいことを書いてみます。現代人の教養として僕と一緒に勉強してみませんか。ではまた。