”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2006年08月02日 23時57分46秒 | Weblog
8月2日(水)曇
今日は楽しく飲んできてしまったのでお休みにしたいところですが先週から途中になっている仏像の話の完結編として如来像、菩薩像のあとの四天王等の話をしておきましょう。ちょっと酔っ払っているのでいい加減な話になりそうですが。
まずみなさんご存知の葛飾柴又フーテンの寅さんで有名な「帝釈天」からいきましょう。帝釈天は元はインドの神様で雨を降らせる神様として崇拝されていたようです。その後インドに侵入してきたアーリア人の守護神となります。それが仏教に取り入れられて、釈迦の脇侍として、宇宙の中心である須弥山仏教で言う六道のうちの天道の主として、須弥山の四方を守る四天王を支配する役割を与えられていた慈悲深く柔和な仏法の守護者です。
帝釈天に仕え須弥山の四方を守護する四天王は、東に持国天・西に広目天・南に増長天・そして北に多聞天、俗称毘沙門天です。特に多聞天は単独で祀られるときは毘沙門天と呼ばれ戦いの神とされます。上杉謙信は自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ毘を旗印にしたといわれています。四天王の中でもこの多聞天が特に我々になじみがあるのは、もともと須弥山をヒマラヤにとらえ北方の守護神であったためチベット地方で崇拝されたことから中国経由で伝わりなじみやすかったのかもしれません。毘沙門天は平安時代は都の北方にある鞍馬寺に安置されていました。毘沙門天は日本では元々戦の神様でしたがのちに福をもたらす神としても崇拝されるようになり、大黒天・恵比須天と共に七福神に加えられるようになりました。
大黒天は日本では五穀豊穣・招福開運の神様ですが元々はヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に取り入れられて魔物と戦い仏法を護る軍神とされていたようです。それが時代と共に食糧や財物をつかさどる神となって日本に伝わり天台宗や真言宗の守護神として安置されるようになったそうです。さらに出雲大社の大国主命と混同されて打ち出の小槌を持つあの大黒様がうまれたのです。
次に弁財天ですが、元々インドでは水の女神で、豊かな穀物を実らせ恵みをもたらす水の神とされていました。その名残で弁財天は水辺に祀られている財運をもたらす神となったのです。近江の竹生島・安芸の宮島・大和の天川・相模の江ノ島・陸前の金華山にある弁天様が有名ですがみんな水辺にあることからも想像できそうですね。

ちなみに七福神はいろいろな神様が入り混じっているので、極めて日本的な神様たちかもしれません。恵比寿は神道の神様で、イザナギ・イザナミの子である蛭子命といわれています。
寿老人と福禄寿は共に道教の神様です。あと布袋は唐の時代に実在したと言われる仏僧で弥勒菩薩の化身とも言われていたそうです。こんな所にも日本人の習合思想的特長がよくでているような気がします。
仏教で残るは不動明王ですが、あの恐い顔は古代インドの先住民がアーリア人に侵略され隷属生活の苦悩からあのような顔になって先住民を護ったとされています。日本へは空海によって伝えられ、国家安泰を祈るさいの本尊に昇格したようです。現在では家内安全・交通安全・商売繁盛をもたらす仏として成田山新勝寺・高野山に安置されています。又日本の山岳信仰と結びついて修験者の信仰の本尊ともなっているようです。
以上で仏教の話と言うか仏像の話はおわりです。
お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。酔いがいつのまにかさめてしまいました。
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