”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2006年08月08日 23時14分37秒 | Weblog

8月8日(火)曇
今日は立秋ですね。世の中ではこれから夏本番だと言うのに暦はだんだん早くなっていくような気がします。そう言えば立秋前に梅雨明けすればいいのですが、立秋すぎても梅雨明けしない時もあるそうですね。そう言う時は梅雨明けと言う言葉は使わないそうです。過去に東北地方ではあったそうです。まぁ台風も来ていることですし、秋になってきたのかもしれません。今日はヨットも陸にあげてもらい一応台風対策は怠りなくしたのであとは早く通り過ぎてくれることを祈るだけです。
さて、いままで日本人の宗教観の話をし、仏教・神道の話をしてきたので今日は日本人の宗教観に影響を与えている三番目の儒教について少し話をしましょう。儒教は仏教とほぼ同じ頃に中国から朝鮮経由で日本に伝わってきました。儒教は中国仏教のもかなり影響を与えているので中国で融合した部分と日本で融合した部分とあるように思いますがほとんどが中国で融合して伝わってきたと考えるのが妥当だと思います。
儒教は支配階級にとっては都合のよい考えなので平安時代までは下級貴族の教養として根をおろしていき江戸時代になって武士だけでなく一般階級まで広く伝わっていきます。聖徳太子は仏教と神道の習合思想と言われていますが、実は儒教も含んだ習合思想の持ち主と考えた方が正しいと言えます。その証拠に「冠位十二階の制」ですがその冠名は徳・仁・礼・信・義・智の六つを大小に分けた十二階にしているのですが、これらは儒教の五常と呼ばれる徳目を冠位にした証拠でもあります。ちなみに五常とは仁・義・礼・智・信を言います。また十七条憲法はほとんどが儒教の「論語」や「礼記」の教えだと言われています。一条の「和を以って貴しと為す」は論語の学而編「礼の用は和を貴しと為す」からとられているようです。
また日本に伝わった仏教は祖先崇拝の考えですが、インドの仏教は現世の人の苦悩を救い、輪廻転生の考えですから、中国において儒教の祖先崇拝の考えが取り入れられたと考えられます。
このように儒教の教えは祈りの対象となる仏様や神様はありませんが、日本人の精神的な考え方に強く根付いて
いる思想だと言えます。江戸時代には高貴な武士の思想的背景になるだけでなく、一般階級から義理人情のやくざにいたるまで儒教の影響を受けていると言えます。
従って現代に生きる日本人には伝統的に仏教・神道・儒教の習合思想を併せ持つ遺伝子が埋め込まれているのですから、無理して西洋の思想に合わせようとしても拒否反応が出るのはあたりまえのことです。そしてそれが僕達のアイデンティティなのですから、これを失うことなくグローバル化の波を乗り越えて行きたいものです。
2週間近くあまり企業や学校が触れたがらないテーマをあえて書いてきました。僕は宗教や思想がもっと堂々と言えることが真の自由だと思っているので、早く日本と言う国が自由になってほしいと思います。そうすればエコノミックアニマルなどと言う言葉もなくなるのではないでしょうか?
長い間お付き合いいただきありがとうございました。このシリーズはこれで終わりにします。明日からはまた違ったテーマでブログを展開していきたいと思います。おやすみなさい。

コメント
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