”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年03月24日 21時47分57秒 | Weblog

3月24日(土)曇時々晴

雨もあがって、明日はなんとか2回目の船底塗装ができそうです。そして今日は久しぶりに何もない休日となりました。溜まったDVDを見み、ゴルフの練習に行き、車の6ヶ月点検に行き、あっと言う間に一日が終わりそうです。まぁ何もない休日とはそんなものなのかもしれません。

ところで昨日、人類が狩猟採集生活から栽培植物を見つけ定住生活に入ったことによって植物も原始の形態から人類に合わせるように変化してきたと言う話をしました。そこで今日はどこで、どうして作物を栽培できるようになったのか考えてみましょう。
人類が初めて食物を栽培し定住するようになったのは、およそ9000年前のメソポタニアだと言われています。それではなぜメソポタニアで食物栽培が行われ、インドや中国やアメリカではなかったのでしょうか?少なくともメソポタニアに住んでいた人が特別な人だった訳ではありません。現代の遺伝子工学から世界中の人類はすべて同一種でその起源はアフリカの洞窟だったことが知られています。それでは何だったんでしょうか?

答えは簡単に言ってしまうと気象環境と言うことになります。人類が最初に栽培するのに適していた植物はその生育期間が短くなくてはなりません。そして収穫できる時期が少しずつずれている方が好都合でした。更に食用になる野生種がたくさんあることが必要です。更に定住するには近くにたんぱく質となる魚介類やおとなしい大型の哺乳類が生息していることも必要だったと思います。以上の5つの必要性を考えるとメソポタニアが最初に農耕定住生活に最適の場所だったことがわかります。

まず最初に生育期間の短い植物とは1年草であることになります。その点、麦や豆は一番育てやすい植物だったはずです。原始植物で麦や豆の中でも大粒の実がなる物が栽培に適していたと思われます。そしてこの大粒の原始植物の種類が一番多かったのは実はメソポタニア地方だったのです。ある植物学者の研究によれば世界中に数千種ある野生種のイネ科植物のうち大粒の種子を持つのは56種あるそうですが、そのうち32種がメソポタニア地域を含む地中海気候の地域に分布しているそうです。これに対して南米では2種、東アジア6種、中米5種、オーストラリア2種だったそうです。従って人類が最初に栽培食物を手に入れることができる環境にあったと言えます。またこの地域の気候は穏やかで湿潤な冬と長くて暑く乾いた夏がある点で1年草に適していたと言えるでしょう。またメソポタニアから地中海に抜ける地域の高低差は海抜0mから5000mぐらいまであるので、その実を付ける時期も微妙にずれているため、狩猟採集民族が移動しながら採集するのに適していたと思われます。移動しながらの栽培から徐々に定住する者が出て来たと言えます。
次に魚介類や大型のおとなしい哺乳類についてですが、そのためには大きな川があることが条件になります。川では年間を通して魚が採れますし、潮の干満のある河口の浜も絶好の漁場だったと思われます。メソポタニアにはチグリス川、ユーフラテス川があることからその必要性を満たしています。また野生種の大型哺乳動物として、標高の高い所には山羊、低地には羊、牛、豚、と家畜化が可能な哺乳動物がいたことで狩猟採集から農耕に、早い時期から移行し易かったと言えそうです。ちなみに中米では七面鳥ぐらいしかいなかったようです。

以上のことからメソポタニア地域が人類が食物栽培するのに最も適していたから最初に農耕定住化ができ、そのことが人口を増やし、勢力を拡大していくことに成功したと言えます。ちなみに中米でトウモロコシの栽培が始まったのは紀元前3000年前ぐらいだったそうです。トウモロコシは原始植物から変異を繰り返して現在のような種になるまでに時間がかかったと言うことなのでしょう。
以上でこの話は終わりです。いろいろ書きたいことはたくさんあるのですが、どんどん長くなってこの種の話は好きなだけにエンドレスになりそうです。僕は学者ではありませんからここに書いてあることはいろいろな本を読んだ結果であり、それに若干の想像を加えただけですからどこまで正確かは補償しません。ただ僕自身がそう考えていると言うだけです。
明日は忙しくなりそうです。それではまた。