”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(84)

2006年07月05日 22時00分04秒 | ビジネス
7月5日(水)雨のち曇
朝は久しぶりの雨でしたが、すぐに止んでしまったようです。この調子だとまた週末に天気が悪くなりそうです。今年は骨折で春を棒に振ったので週末にヨットに乗れないといつになったら乗れるのかわからなくなっています。
さて話は昨日に続いて自分株式会社の話を続けましょう。従来の終身雇用・年功序列社会の崩壊と共にこれからの企業と社員の関係は相互拘束型から相互選択型の関係になること。そしてそのような時代には自分創りがまず必要であること。そして自分創りは自分の哲学(自分の信じる道)を持つことの必要性などをこれまで話してきました。
そしてこの「自分創り」をして行く上で自分の信じる道を確認する方法として僕が取り組んできたことを今日は話してみたいと思います。もっとも僕が人に教えられるような人間でもないことは百も承知ですが、僕には自分なりの哲学を持っているつもりなので少しは言わせてもらいます。
自分の哲学だからと言って、自分勝手な感情のことを言っているのではありません。そうならないためにも「本」を読むことです。いろいろな本を読んで先人の考えや教えを受けながら自分が正しいと思う道を形成できるのではないでしょうか。少なくとも本により自分が共感した考え方は先人が信じてきたことなのですから、一人の自分勝手な考え方ではないはずです。ただし世界の誰もがみんな同じ考えになるわけでもないのです。キリストの教えを信じる人もいれば仏陀の教え・マホメッドの教え・孔子の教え・・・まぁ世の中にはいろいろな教えがあるのですから。
そこで自分はエッセイが中心ですがもう二十年近く本を読み続けています。しかもほとんどが通勤電車の中の10分程度の時間や喫茶店でのモーニングタイムぐらいでそのための時間はほとんどとったことありません。でも月に最低でも2冊程度は読めるものです。そして僕の場合は自分が著者に共感したところはシャーペンで印をつけておきます。そして読み終わった時にその印のところだけもう一度読み直しながらレポート用紙にメモをとっておきます。だいたい一冊にレポート用紙一枚、本によっては10枚ぐらいになるものもあります。こうしておくと一応ファイリングはしてありますが、二度読んで書くのでたいがい覚えてしまいます。ましてや自分の共感したことや自分が教えてもらったいい話だけですから自分の身に付きます。こんなふうにしてもう二十年たちますが未だに新しい発見や自分の行動の基準となる新しい考え方を教えられています。
従って今まで僕の書いていることは僕の考えですが、いろいろな著者の教えでもあるわけです。こうして自分はいつもその時点での自分の判断を持てるようになってきました。若い頃は自分の考えに自信がまったくありませんでした。でも今は自分の意見であるとともに先人の知恵でもあるので間違っているかもしれないけどある程度堂々と言える様になっています。自分の哲学を持つと言うことを実現する一つの方法です。あとはこれに経験を重ねながらそれなりの哲学ができあがってくるような気がします。あくまでも本を読んで自分なりの考えをまとめる段階は商品のプロトタイプのようなもので、実際にフィールドでテストを繰り返すように隣人や会社の中で行動することで自分なり哲学として完成して行くのだと思います。ただプロトタイプがなければ日常の経験も何の役にも立ちません。
僕に本を読む習慣をつけさせてくれた人は新入社員の頃の上司でしたが当時はSF小説や歴史上の人物の小説が中心だったような気がしますが、時間細切れ読書法にはエッセイが最適ですし、時代の流れが良くわかります。従って長い時間が取れる時には長編小説、通勤電車等短い時間活用にはエッセイと言う格好で本を読むことをお薦めします。
今日は自分の哲学を持つための一つの方法の話をしました。明日は自分創りのためのヒントとなる考え方について話してみたいと思います。もっとも僕もまだ自分創りができている人間じゃないので答えになっているかどうかは自信ありません。でも努力はしています。
それでは明日をお楽しみに!

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(83)

2006年07月04日 23時18分04秒 | ビジネス
7月4日晴
今日の朝の空をごらんになりましたか?あの青さは夏の空ですよね。一瞬梅雨が明けたのかと思ってしまいました。7月7日の七夕にあんな空だときっと星がきれいでしょうね。織姫と彦星の伝説のロマンに思いを馳せるかもしれません。織姫も彦星も働き者でしたが結婚するとあまりにも仲が良すぎて二人でいるばかりであまり働かなくなってしまったそうです。そこで怒った神様は二人を1年に1度だけ会えるようにしたとか。我が家をみればあまり仲良くないすれ違いばかりだけど、もう30年もいっしょにいるのだからまぁ何事も適度が一番かもしれません。

ところで今日は昨日の続きですが、これからの時代はたとえ企業に所属するサラリーマンであっても個人事業主として生きていく心構えが必要だろうと言った話までしました。その理由はすでに賢明なみなさんのことですから十分わかっていることだとは思いますがとりあえず復習しておきましょう。20世紀にはいってT型フォードの量産から世界は工業社会になり、同じものを大量に生産するために工場で働く人も同じぐらいのレベルの人を長く働いてもらうため終身雇用・年功序列・退職金といったしくみがどこでもとられてきました。そして会社に尽くすことが結果として自分や家族にとってもその恩恵を十分受けられました。ところが今から約50年前にコンピュータが出現し、世の中は序々に情報化社会に向かいます。情報化社会では今迄大勢の人手をかけていた仕事をコンピュータがもっと早くやってしまうようになりました。こうなってくると人間の仕事は知恵を出すことが中心となります。そしてあまり多くの人はいりません。従って企業も社員を囲い込んでおく必要性も限られた人だけとなってきます。そこで我々サラリーマンも限られた人材になるための技を要求されます。自分のできることを企業が必要としている間は企業は手放さないでしょうが、不要になればコスト削減のため、新たな技を身につけて残るか手放されるかどちらかになってしまいます。一方サラリーマンも自分の技を高く買ってくれるところがあればどこにでも行けるようになりました。すなわち企業と従業員の関係は相互拘束型から相互選択型に変わってきているということです。そこで我々従業員も個人事業主として自分の持てる技で給料(=売上)をもらう立場になると考えた方がよさそうです。もっとも現在の資本主義のあり方が変われば話はちょっと変わってきますが。

そこで個人事業主としての心構えとして大切なことは自分の経営戦略(哲学)を持つと言うことが極めて大切なことになってきます。相互選択型の時代ですから自分で判断して自分の責任で決断することが必要だからです。
そこで一昔前は「自分探し」なって言葉がはやりましたが今はそんな甘いことではなく、「自分創り」の時代です。自分を創って行く上でやはり自分流の哲学を持つと言うことがまず最初に考えなくてはならないと思います。
それではどう自分を創って言ったらいいのでしょうか?この正解はありませんが方法論としての参考意見はまた別途述べることにします。その前に一言だけ言っておきたいことがあります。

世の中には変えられるものと変えられない物があります。変えられない物をいくら考えてもあまり意味がありません。でも変えられる物は一杯考えるべきです。たとえば過去と未来、過去はどんなにくやしがったり後悔しても変えることはできません。逆に未来は自分の行動や努力によって変えることができます。とかく我々は過去を見てぼやいてしまいがちですが、過去を客観的にみて「だから将来どうする」と言った思考だけ考えることが大切だと思います。また生理反応や感情は変えられませんが思考や行動は変えられます。世の中には生理的に相性が悪い事だってありますが、思考を変えることににより反面教師になると思えば苦ではなくなります。そして行動を変えることにによりいやな思いもさけられるものです。自分も昔営業をしていた時にどうも苦手なお客様もいました。でもその人に言われることをがまんできるかどうか天に試されているのだと思うことにより、我慢もできるし、よく聞いていると本当は全然思っていたのと違う人だったと言ったことがよくありました。
人を変えることはできないけれども自分を変える事は思考や行動を変えることにより容易にできるものなのです。そのことをまず頭に入れておいてください。
自分が変えられるものを変えていくことが「自分創り」には必要ですから。

ここでも誤解を与えそうなのでちょっと注釈しておくと、物事の本質まで変えろと言っているわけではなく、あくまでも自分が正しいと思う判断基準を持つために先輩や本から学び自分が違っていたと思うことだけ変えていけばいいわけで、あまり自分の判断基準は変えるべきではないと思っています。まさにその判断基準こそが自分流の哲学なのですから。
長くなってしまったので今日はここまでです。
明日は自分流哲学を創る上での一つの方法論を経験に基づいて話してみたいと思います。
それではまたあした。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(82)

2006年07月03日 23時24分47秒 | ビジネス
7月3日(月)曇
今日はこの前書いたブログの内容で精神を集中して物事を解決するための方法論として宗教の話をとりあげたところ安易すぎると言うご指摘をいただきましたので少し注釈をします。僕の言ったことは何も念仏をとなえながら事にあたると言う安易な意味でとりあげたのではなく、修羅場で自分の力を発揮するためには自分の信じた道を貫き通すことであり、そのためには自分の哲学を作る必要があると言うことです。自分の哲学を作っていく上で、宗教は一つの生き方の見本のようなものなので手っ取り早く身に付ける方法として勉強しておくとよいと言うつもりでとりあげました。
我々日本人には古来から神道・仏教・儒教と言う三つの宗教の教えが混在して基本的な考え方ができています。これらの教えの中には我々が生きていく上でいろいろな困難に立ち向かう心のあり方を教えてくれています。自分の哲学を作ると言っても無から有は生まれません。親・友人・知人からの影響・本からの影響・宗教からの影響等を受けながら人生の中で自分の哲学を自分で作っていくことになります。自分の信じる道(哲学)があれば人間迷うことなく精神力を発揮できると思います。
そう言う意味で「日本の三大宗教」河出書房新社、夢文庫、と言う本が最近出ています。日本人として基本的な宗教のことをこの機会に知っておくのもいいと思います。
前置きが長くなってしまいましたので今日の話は手短にします。
前回事業を起こすのに必要なことを書きましたが、これからの時代はたとえ企業に所属するサラリーマンであっても個人事業主としての心構えを確立することが重要だと僕は思っています。少なくとも年功序列の崩壊・終身雇用の崩壊に見られるように大企業に就職したからと言って定年までいられる時代は既に終わったので、自分の力を自分で磨くことが必要ですし、会社のためだけに滅私奉公することもなくなってくると思います。自分がもし会社を経営する立場ならまず同じ仕事をする仲間(=社員)がいっしょにずっと仕事できるようにすることを最優先に考えたいと思うけど現実はまず株主最優先にどんどんなっていくだろうと思います。なぜなら経営者が資本を持っていないからです。経営者と言えどもみんなサラリーマンですから資本家の言うことを聞かないと自分がやめることになっちゃいますからね。そうなると従業員は自分のことは自分で守るために自分の力を蓄えることになっていきます。ただ個人的には小さくても自分達で資本を持って同じ仕事をする仲間のための仕事をしてみたいものです。世の中の流れとはちょっと違いますがそんな企業が増えてくると、次の発展が期待できるような気がします。
そこで個人事業主として企業の中でやっていくために必要なことを書いてみたいと思いますが今日はもうここまでにして、この続きはまた明日書いてみます。それではまた。


しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年07月02日 22時04分40秒 | Weblog

7月2日雨のち曇
今日はヨットに行く予定でしたが朝雨が降っていたので、軟弱にもやめてパチンコ屋に行ってしまいました。最初どういうわけか5回連続でかかってしまいました。ここで止めておけばいいのについ欲をかいてなくなってしまいそうになったところでまた連続でかかったのでちょっと勝たせてもらったけど一番たまった時に止めるのってむずかしいものです。
そう言えば勝負事や賭け事と言うのは引き際が一番難しいのかもしれません。株にしても売り時が一番難しいしですよね。僕には関係ないけど世の中の社長さんたちも引き際がよろしくない人たちが結構いますものね。
僕もいつも痛い目にあいながら、パチンコの引き際はどう言う状態になったら止めるのが確率的にベターなのかだいたいわかっているのですが、それでもその時の勢いでやってしまう時があるのです。株も最近僕はいくらになったら売ると決めていますが、困ったのは全然上がらずにどんどん下がってしまう場合です。下もいくらになったら売ると言う下限値を考えておくべきでした。統計的な確率から考えておけばよかったと思っても、後の祭り。半値になってしまった株は今更売るわけにも行かないので当分塩付けにしています。
自分の反省から株やパチンコ等のたぐいは儲けるなどと言う大それたことは考えず、遊びとして可処分所得の範囲でやるべきものだと思います。もっとも僕はそんなに入れ込んではないので元々遊び程度ぐらいしかできないのでまぁ丁度いいかもしれません。これ以上むきにならなければいいのかもしれません。
今日はヨット編のつもりが番外編となってしまいました。
明日からはまたビジネス編に戻りたいと思います。それではまた。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(81)

2006年07月01日 21時04分17秒 | ビジネス
7月1日(土)曇
雨が降ると言われながらなかなか降らない天気が続きます。どうせなら早く梅雨前線が北に行って夏空になってほしいものですが、南に前線が停滞したままのようです。
さて昨日は事業を始める時に何を商売のネタにするかと言うことについては誰もが考えることですが、もう一つ商売が軌道に乗るまでの収入確保策が考えられているかどうかが大切だと言う話をしました。もっともあんまり考えすぎてなにもできないよりは走りながら考えていくことかもしれません。自分もそうですが崖っぷち頑張っている時はいい結果が出やすいけど、まぁいいやと言う気持ちでやっているとそんな結果しかでないものです。
この崖っぷちで頑張る時の精神状態には二通りのタイプがあって、どちらかにより結果は大きく異なってしまいます。同じ崖っぷちでも、自分のできる最善をただひたすら追い続ける精神状態の時は必ず物事は好転してくるものです。かたや崖っぷちであれもこれもと欲張って一生懸命手を出す時にはまったくすべてがうまくいきませんあれもこれもと考えられるかもしれないけれども自分は今何を懸命にやったら自分の人生に悔いを残さないかと考えられるかどうかが運命の分かれ道のような気がします。
こうなったら自分の信じる道をただひたすらゴールめざして走るだけの時には想像以上の集中力が発揮でき、それゆえ解決の糸口がみえてくることが多いのです。逆に崖っぷちまできても自分のやろうとすることに集中できずいわゆるパニック状態で周りが気になったりしている時は何をやってもダメです。こんな時はもうジタバタせずに、あとは天の神様だけが知っていることだとあきらめて悔いのないあり方だけをひたすら追及することだと思います。
これは仕事だけでなく、何事でもいっしょだと思います。ヨットレースでもゴルフでも、最後は自分の精神力の戦いだと言えます。もっとも僕のゴルフは勝負ではなくて単に楽しければいいと言うものなので、常に目一杯すぎてスコアメイクなんかまったく考えてないのでうまくならないのだと思います。最近ヨットも昔のような勝負に夢中になることがなくなっていかに自然と調和できるかだけが判断基準になっています。ただスポーツの世界も日々トレーニングしているのであるし、最後は精神の持ち方を集中できるかどうかだけでしょう。
それではどうしたら集中力を発揮できるかと言えば、持って生まれた性格によるところが多いような気がします。ただこれも心のケアによってかなり変える事ができると思っています。太古の昔から宗教が栄えていたのは一番簡単な心のケアの方法だからでしょう。日本人はあまり宗教観を出さないよう戦後教育されてきました。そしてそのためにわけのわからないオームのようなものに行ってしまう人が出てきたのだと思います。仏教だろうが神道だろうが儒教だろうが道教だろうがかまいませんがもっと心を磨くための宗教を勉強すべきだと思います。
自分の信じる神とともにひたすら努力することができれば精神は安定するはずです。別に宗教と言うといやだと思う人がいれば、そんな人は自分流の哲学を作ると言うことです。自分の生き方を持てればそれは宗教を持ったのと同じように自分の行動に迷いがなくなると思います。
勝負の世界でのタブーは自分自身が迷うことだと思います。
それではまたあした。あしたはヨットに行ってきます。