”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(95)

2006年08月11日 23時25分20秒 | ビジネス
8月11日(金)晴
またまた飲んで昨日はついに書けませんでした。1時間で帰ろうと言っていたはずなのに飲んでばかな話に盛り上がってしまうといつもの通りの結果です。それに毎日暑い日が続きます。何か毎年暑くなっているように感じるのは僕だけなのでしょうか。自分は森や草木がすごく関係しているような気がしています。高層ビルが立ち並ぶ都会は熱の塊になって周囲の気象に大きな影響を与えているように感じています。地球は何万年もの間植物の緑に支えられてきたのが工業社会が20世紀に出現し、100年あまりの間に砂地の砂漠以外のコンクリート砂漠まで人工的に作ってきたことになるので都会は自然の砂漠とよく似た気候となり、暑いときはより暑く寒いときはより寒くなるのじゃないかなと思います。
ところで少し本来のビジネス観の話に戻して行きたいと思います。最近僕が感じる不満は物事の本質をよく議論しないで、手段や手続きで物事を判断するビジネスマンが多いと言うことです。企業にしても社会にしても成熟期を迎えると従来の手段や手続きだけで物事が進んでいくようになります。そうすると予算が通るとか決裁がどうのとかの手続きだけが判断材料でとなり、よそで成功したものや上位機関が指示したものは何も考えずに決められた手続きどおりに進められていきます。しかし新しい考えや新しい試みは手続きを作らなければならないのですが、この種のものは予算がないとか稟議が通らないとか言って先送りしてしまいます。そんな仕事の仕方をみると自分は今も昔も腹が立ってしまいます。本来新しい考えや新しい試みをなぜやらなければならないのかの議論があまりなされずに、前例があるものだけで事業が成り立って行くのならすべてアウトソーシングで専門家にまかせて安くしていけばいいはずです。しかしながら企業は常に競争により自社の優位性をめざして変貌をとげていくことが社員の勤めでもあります。そうであれば新しい考えや新しい試みに対して本来手段の議論でなく、なぜの議論すなわち本来の目的の議論を徹底的にすべきです。そのうえで必要なことはどんなに従来ないことでもやるべきですし、その目的を達成するための手段としてどんな方法があるのか充分な議論が企業の発展には必要条件だと僕は思っていますが、まぁ波風たてて自分が苦労しなくても給料は同じだし会社がつぶれる時はみんな一緒だからそんなことになるわけないと考えているのでしょう。こんな人ばかりの会社は間違いなく消えていく運命になるのですがすぐには見えない所が責任の所在をわからなくしてしまいいい加減な人がはこびるのだと思う。一人一人のかかえていることはそんなに企業の存続に影響ないかもしれませんが、それが至る所で起こるともう手の打ちようがないのかもしれませんね。でも大概の場合気づいた時は手遅れの場合が多いのですが、そう言う状況を作った人達はいなくなっている場合がほとんどです。
今日は日常起こりうる企業のリスクの話をしてみました。ただそう言う問題を指摘できる見方をする人間を企業がいかにかかえておくかも大事なリスク防止策ですよね。耳に悪い人をとかく排除したがるのが人間ですが。僕もどちらかと言うと他の人からみると耳に悪い人間の部類なのでよく今迄仕事を続けられたか不思議なくらいです。ただ僕の言動を認めてくれていた上司がいたということだと思います。ただそう言うバランス感覚を持ってものを見れる人たちが少なくなってきたなと自分は感じています。自分はまだ言わせてもらっている以上言い続けるしかないことだと覚悟をきめていますが、反応のなんとさびしいことか。
それでは又来週。明日はヨット&BBQなので早く寝ないとね。
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しんさんのよもやま話

2006年08月09日 23時56分46秒 | Weblog

8月9日(水)晴
台風がそれて朝から夏空が戻ってきました。暑かったですね。今週は盆休み前に一杯飲んでと言う飲み会が続きます。そう言う訳であまりまじめな記事は書けません。今日もよれよれです。多分明日もそうなりそうです。
そこでちょっとしたニュースに感想を書いて終わりにします。
昨日東京の板橋の公園で落雷に遭って亡くなった方がおりました。近くに避雷針が在ったのにそちらには落ちずに、すぐ近くの木に落ちて、木の下にいた人を直撃したようです。自然のなせる業は摩訶不思議な世界かもしれません。一般的には雷がなったらできるかぎり広い場所にいないことと木の下などからは距離をとってしゃがむことだそうです。
最近では雷とおやじはあまり怖がられなくなっているようですが、おやじはともかく雷は怖いですよ。僕は海に出ていて雷に遭うと生きた心地がしません。広い海の上で避雷針のようなマストをつけているわけですからあたりまえですが、すぐに避難行動をとることにしています。一番迷うのは帰る方向に雷雲が発生している時です。エンジン全開にして、いち早くハーバーに戻るのですが、過去に一度ありますが、落ちたらどうしようと生きた心地がせず、桟橋に係留して胸をなでおろしました。ほんとは逆方向に逃げてどこかの島に退避すべきでしょうが、時間のことを考えるとつい無理をしてしまいます。こんなニュースを聞くと、時間は考えずにもっとも安全な方法を取ることが大事だと改めて自分に言い聞かせた次第です。

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しんさんのよもやま話

2006年08月08日 23時14分37秒 | Weblog

8月8日(火)曇
今日は立秋ですね。世の中ではこれから夏本番だと言うのに暦はだんだん早くなっていくような気がします。そう言えば立秋前に梅雨明けすればいいのですが、立秋すぎても梅雨明けしない時もあるそうですね。そう言う時は梅雨明けと言う言葉は使わないそうです。過去に東北地方ではあったそうです。まぁ台風も来ていることですし、秋になってきたのかもしれません。今日はヨットも陸にあげてもらい一応台風対策は怠りなくしたのであとは早く通り過ぎてくれることを祈るだけです。
さて、いままで日本人の宗教観の話をし、仏教・神道の話をしてきたので今日は日本人の宗教観に影響を与えている三番目の儒教について少し話をしましょう。儒教は仏教とほぼ同じ頃に中国から朝鮮経由で日本に伝わってきました。儒教は中国仏教のもかなり影響を与えているので中国で融合した部分と日本で融合した部分とあるように思いますがほとんどが中国で融合して伝わってきたと考えるのが妥当だと思います。
儒教は支配階級にとっては都合のよい考えなので平安時代までは下級貴族の教養として根をおろしていき江戸時代になって武士だけでなく一般階級まで広く伝わっていきます。聖徳太子は仏教と神道の習合思想と言われていますが、実は儒教も含んだ習合思想の持ち主と考えた方が正しいと言えます。その証拠に「冠位十二階の制」ですがその冠名は徳・仁・礼・信・義・智の六つを大小に分けた十二階にしているのですが、これらは儒教の五常と呼ばれる徳目を冠位にした証拠でもあります。ちなみに五常とは仁・義・礼・智・信を言います。また十七条憲法はほとんどが儒教の「論語」や「礼記」の教えだと言われています。一条の「和を以って貴しと為す」は論語の学而編「礼の用は和を貴しと為す」からとられているようです。
また日本に伝わった仏教は祖先崇拝の考えですが、インドの仏教は現世の人の苦悩を救い、輪廻転生の考えですから、中国において儒教の祖先崇拝の考えが取り入れられたと考えられます。
このように儒教の教えは祈りの対象となる仏様や神様はありませんが、日本人の精神的な考え方に強く根付いて
いる思想だと言えます。江戸時代には高貴な武士の思想的背景になるだけでなく、一般階級から義理人情のやくざにいたるまで儒教の影響を受けていると言えます。
従って現代に生きる日本人には伝統的に仏教・神道・儒教の習合思想を併せ持つ遺伝子が埋め込まれているのですから、無理して西洋の思想に合わせようとしても拒否反応が出るのはあたりまえのことです。そしてそれが僕達のアイデンティティなのですから、これを失うことなくグローバル化の波を乗り越えて行きたいものです。
2週間近くあまり企業や学校が触れたがらないテーマをあえて書いてきました。僕は宗教や思想がもっと堂々と言えることが真の自由だと思っているので、早く日本と言う国が自由になってほしいと思います。そうすればエコノミックアニマルなどと言う言葉もなくなるのではないでしょうか?
長い間お付き合いいただきありがとうございました。このシリーズはこれで終わりにします。明日からはまた違ったテーマでブログを展開していきたいと思います。おやすみなさい。

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しんさんのよもやま話

2006年08月07日 23時16分16秒 | Weblog

8月7日(月)晴
今日も暑かったですね。昨日のヨットと寝不足がたたって今日は最悪でした。眠いのかだるいのかわからないような状態で2時間年休をいただき早退してしまいました。
毎晩ブログを書くとほとんど夜の時間がつぶれてしまい、やらなければならないことがどんどんたまっていきます。そこで今日は郵便物の整理やら買物やらいろいろかたづけて、書く気力がいまいちなのでお休みにして明日から先週の続きをかたづけて、新しい取り組みをしていきたいと思いますので今日はここまでです。まぁ世の中も夏休みがあるのですから一日ぐらいいいでしょう。だれも僕が書き続けることを望んでいるわけでもないし。ではまた。

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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(28)

2006年08月06日 23時10分47秒 | 趣味
8月6日(日)晴
今日は2週間ぶりにハーバーに行ってきました。とにかく暑かったです。
予備バッテリーの充電をお願いしていたのですが、どうも電圧が安定しないようなので、新品を購入しました。最初は安い自動車用のバッテリーをイエローハットで買おうと思ったのですが、メインのバッテリーと並列回路を組んでいるので内部抵抗の違うバッテリーの組み合わせより、メインと同じバッテリーを購入することにしました。2万4千円はちょっと痛いですがしかたありません。今日は購入したバッテリーがハーバーに届いているので吉田さんと二人で取り付け作業をして、新品をメインバッテリーにし、今までのメインをサブにしてどちらでもエンジンを始動できることを確認しました。ところでバッテリーの見方を知っていますか。バッテリーには○○□○○R/Lと言う表記がされてます。最初の○○の数字はAh(アンペアアワー)容量です。次の□はA~Hの英字でこれにより幅と高さが決められています。そのあとの数字は横の長さを表します。最後はRかLですがマイナス端子が右側のあるものがR、Lは左側です。自動車のバッテリーも同じ表記なので知っておくと便利です。
汗びっしょりになってしまったのでついでにちょっとクルージングをしました。海の上で風を受けて走ると涼しくて最高に気持ちがいいです。沖でヨットレースをしていたので少し見学しながらのクルージングでしたが、トップ艇と最後の船との差があまりにも開きすぎて技量の違いがはっきりとですぎて運営する方は大変だと思いました。もっとも僕らも出ていたらビリ争いだと思いますが。最近ヨットレースから遠ざかっていますが、やはりレースを見ていると自分も参加したくなります。僕の船でレースに出るにはスピンポールの修理が必要なのでなかなかむずかしいのですが、レースをやっていくとセールを新品に替えたりとにかくお金がかかるのでやっぱりこれからは釣り中心に考えたいと思います。
来週の土曜日はクルージングとバーベキューをうちの会社の人達や関係会社の人達とみんなでやる予定です。あまり真夏のBBQはやったことないのだけど、だいじょうぶかな?暑くて多分あまり食べられないような気がします。冷たいお茶をいっぱい用意しておいた方がいいような気がしてます。今日また日に焼けたので真っ黒ですが、世間では僕をみると土木関係の工事をしている人に見られるのかな。去年も間違えられたので。まぁあまり気になることでもないですが。
今日はここまでです。来週ぐらいから、いよいよ夏休みに入る人が多くなってくると思いますが僕はまだいつ休むか決めてませんが天気と満潮の時間をみながらヨットで釣りに行けそうな日を休みにしたいと思います。またブログで報告します。では。
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しんさんのよもやま話

2006年08月04日 22時43分46秒 | Weblog
8月4日(金)晴
今日も暑いです。ヨーロッパで異常に暑いと言うニュースがあったと思ったらアメリカでも暑い日が続いているそうです。日本ではエアコンがほとんどの家庭に普及してますがあっちはどうなっているんでしょうか?
さて日本古来の神様の話をしてきましたが、神道と言うのは宗教といっても経典があるわけでもなく、宇宙観や死後の世界も黄泉の国がある程度の話で、生き方の教えがあるものではなく、ほとんど我々の日常の生活を支える願いの対象でしかありません。教えや経典がない代わりに、季節の節目節目にいろいろな行事によって我々の祈りの対象になってきたので、仏教や儒教が不足していた宇宙観や生き方の教えとして組み込みやすかったと思われます。
神道行事はすでに僕らの生活の中にすっかり溶け込んでしまい、だれも神道行事だとは思っていないところがおもしろいですね。お正月のおせち・鏡餅・おとそ・門松、一年の無病息災の行事である歳旦祭、節分、ひな祭り、七夕、お盆(仏教の行事と習合)新嘗祭、七五三、初宮参りなど一年中ある行事はほとんど神道の行事です。喪中の喪に服すと言う考えも仏教ではなく神道的考えが習合した結果です。神道では穢れを嫌いますので人が死んだりして穢れると禊をしないと移ると考えられたため、喪中は他の人と接触して移すことがないようにと謹慎していたなごりが喪に服する意味なのです。喪中はがきもそのなごりです。

みなさんも神社におまいりに行く人が多いと思いますので、少し知っておくとよいことを補足します。神社には鳥居がありここをくぐって参拝に行きますが、みなさんは鳥居の真ん中を堂々と通って出入りしているんじゃないでしょうか?実は僕も最近までそうでしたが、鳥居は神様が神社から外界に行くときの通り道なので人間はなるべく脇を通って出入りするのが正しい作法だそうです。
鳥居をくぐると次は手水舎で禊として手・口を洗いますが、一般には左手、右手、次に左手の平で水を受けて口をすすぐのが作法のようです。これはイザナギの命が黄泉の国から逃げ帰ったとき身の穢れを海水で洗い流した(禊)ことから、神にお祈りする前に身を清めるために行います。ですから神社で神に祈るときは手水舎で身を清めるのが作法です。
ついでにもうひとつ、神社には必ず一対の狛犬が参道におりますが、これは世界共通かもしれませんが神域に邪気が入らないように守っているのだそうです。エジプトのスフィンクスがそのルーツとも言われています。でこの一対の獅子または狛犬は口をあけている方が「阿」口を結んでいるほうを「吽」と言いこの一対で神域を守っているということです。阿吽の呼吸などと僕らも日常よく使っていますよね。
これで神道の話は終わりとします。我々日本人は日常の祈りの対象となっている神道の神々、我々の死後の世界観や苦悩救済の対象である仏教の神、そして我々の現世における生き方の哲学である儒教の三つがうまく組み合わさって日本人の精神は構成されていると思えます。生き方の哲学となった儒教の影響の話は次回することにします。
それではまた。
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しんさんのよもやま話

2006年08月04日 09時35分22秒 | Weblog

8月3日(木)晴
暑い一日でした。やっと夏って感じですね。なにか体が重く感じるのは、太りすぎがここに来て応えるようになったのかもしれません。やはり体の動かしやすい季節からきちっと節制しておくべきでした。世の中では「勝って兜の緒を締めよ」とかよくいったものです。体調の良いときほど節制すべきなのですね。また飲んで午前様になってしまったので朝から書き出しています。

さて日本人の心を取り戻そうと言うところから、日本人の宗教観を知る話になり、それが仏教・神道・儒教の習合思想であることからそれぞれの根本を知ろうと言う話になって仏教の話が仏像の話になってしまいました。もう風が吹けば桶屋が儲かる話になってしまいました。でもめげずに神道の話に入っていきます。

日本古来の神道の神様は至る所にいるのですが、大きく分けると二つの系統があるようです。元々それぞれの地域に氏神様を祀っていたのが始まりだと思うのですが、最初に日本を統一した大和朝廷の神様達が「天つ神」と呼ばれるようになります。と言うか勝てば官軍で歴史をそのようにしてしまったと言うことですが、イザナギ、イザナミから始まってその子の天照大神を祖先とする天皇家の神々を言います。日本の神話に出てくる高天原に住んでいる神々を「天つ神」と言い、天皇家の祖先と言うことになります。まぁ歴史とはそう言うものかもしれません。
一方地方に勢力を持つ豪族の氏神様は「天つ神」に征服されるていくのですが、いくつかは地方の「国つ神」として残っていきます。その代表格は出雲大社の大国主命ということになります。
これらの神話の話をし始めるときりがなくなりそうなので、ここでは神社の種類と祀られているものを紹介してみたいと思います。
「お伊勢まいり」で有名な伊勢神宮は天皇家の祖先である「天照大神」を祀ってあるのですね。だから正月に天皇や総理大臣が初詣に行く神道の正統派の神社です。伊勢神宮から分家した神社には熱田神宮・明治神宮・・などがあります。
一方出雲大社などは「大国主命」を祀った神社です。大国主命は因幡のしろうさぎで我々にはなじみの深い神様ですが、一般的には地方の豪族の氏神様である「国つ神」の代名詞のようなものだと思います。
神話の時代からの神社以外にも日本人はいろいろな神様をうみだしてきました。それが「お稲荷さん」「八幡さん」「天神さん」など我々になじみの深い神社です。
「天神さん」は元々は違うのですが平安時代に菅原道真の霊を祀る神社になり、現在も学問の神様として多くの受験生がお参りしていますよね。でも元々は「天つ神」として祀られていたようです。菅原道真は平安時代に右大臣までなった実力者ですが敵対する左大臣の藤原時平の陰謀により九州大宰府に左遷されました。道真の死後京では疫病がはやったり、雷による火災が相次いだことから菅原道真の怨霊が災いをもたらしていると言われその霊を鎮めるため北野天満宮が建立されたと言われています。この時なぜか道真の家があった桑原と言う所だけは雷の被害に遭わなかったことから災厄を逃れるときに「くわばら、くわばら」と言うようになったそうです。
「お稲荷さん」は読んで字の通り元々は稲の神様すなわち五穀豊穣をつかさどる神様でしたが農民出身の商工業者が商売繁盛を願うようになったことから現在のような商売繁盛の神様になったと言われています。ちなみに稲荷神社ときつねの関係は狐は昔田んぼの神様の使いとされていたことからのようです。日本で一番数の多い神社で京都の伏見稲荷が総本社になります。
「八幡さん」は源氏の氏神ですね。源義家が京都の石清水八幡宮の前で元服し、八幡太郎と名乗ったことから源氏の守り神であり武道の神様とされています。ただ元々は大分の宇佐八幡宮が発祥で宇佐地方の海の氏神だったそうです。八幡宮は全国で2番目に多い神社で鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮などが有名です。
この他にもいろいろな氏神がありますが、厳島神社はご存知平家の氏神ですし、春日神社は藤原氏の氏神です。

明治になって国教を神道としたため、あまり歴史のないいいかげんな神社がいっぱいできたのと日本人が歴史の中で習合してきたものを強引に分離させて神社を独立させたことがよくわからなくしてしまったような気がします。いい例が靖国神社です。この神社は明治時代に作られた軍人の霊を祀った神社で、歴史もなければ云われもない神社であってなんであんなに小泉さんが固執するのかよくわからないところもあります。要は日本の伝統的な神社とはちょっと違う神社なのですがほとんどの日本人は混同してしまっています。伊勢神宮と靖国神社を混同して神道を論じるのは仏教とオーム真理教をいっしょにして論じるのと大してかわりないような気がします。長い歴史の中では本来のものからかけ離れたものが出てくるのが世の常ですが根本のものの考え方を理解しておくことが政治でもビジネスでも非常に重要なことだと思います。

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しんさんのよもやま話

2006年08月02日 23時57分46秒 | Weblog
8月2日(水)曇
今日は楽しく飲んできてしまったのでお休みにしたいところですが先週から途中になっている仏像の話の完結編として如来像、菩薩像のあとの四天王等の話をしておきましょう。ちょっと酔っ払っているのでいい加減な話になりそうですが。
まずみなさんご存知の葛飾柴又フーテンの寅さんで有名な「帝釈天」からいきましょう。帝釈天は元はインドの神様で雨を降らせる神様として崇拝されていたようです。その後インドに侵入してきたアーリア人の守護神となります。それが仏教に取り入れられて、釈迦の脇侍として、宇宙の中心である須弥山仏教で言う六道のうちの天道の主として、須弥山の四方を守る四天王を支配する役割を与えられていた慈悲深く柔和な仏法の守護者です。
帝釈天に仕え須弥山の四方を守護する四天王は、東に持国天・西に広目天・南に増長天・そして北に多聞天、俗称毘沙門天です。特に多聞天は単独で祀られるときは毘沙門天と呼ばれ戦いの神とされます。上杉謙信は自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ毘を旗印にしたといわれています。四天王の中でもこの多聞天が特に我々になじみがあるのは、もともと須弥山をヒマラヤにとらえ北方の守護神であったためチベット地方で崇拝されたことから中国経由で伝わりなじみやすかったのかもしれません。毘沙門天は平安時代は都の北方にある鞍馬寺に安置されていました。毘沙門天は日本では元々戦の神様でしたがのちに福をもたらす神としても崇拝されるようになり、大黒天・恵比須天と共に七福神に加えられるようになりました。
大黒天は日本では五穀豊穣・招福開運の神様ですが元々はヒンドゥー教のシヴァ神が仏教に取り入れられて魔物と戦い仏法を護る軍神とされていたようです。それが時代と共に食糧や財物をつかさどる神となって日本に伝わり天台宗や真言宗の守護神として安置されるようになったそうです。さらに出雲大社の大国主命と混同されて打ち出の小槌を持つあの大黒様がうまれたのです。
次に弁財天ですが、元々インドでは水の女神で、豊かな穀物を実らせ恵みをもたらす水の神とされていました。その名残で弁財天は水辺に祀られている財運をもたらす神となったのです。近江の竹生島・安芸の宮島・大和の天川・相模の江ノ島・陸前の金華山にある弁天様が有名ですがみんな水辺にあることからも想像できそうですね。

ちなみに七福神はいろいろな神様が入り混じっているので、極めて日本的な神様たちかもしれません。恵比寿は神道の神様で、イザナギ・イザナミの子である蛭子命といわれています。
寿老人と福禄寿は共に道教の神様です。あと布袋は唐の時代に実在したと言われる仏僧で弥勒菩薩の化身とも言われていたそうです。こんな所にも日本人の習合思想的特長がよくでているような気がします。
仏教で残るは不動明王ですが、あの恐い顔は古代インドの先住民がアーリア人に侵略され隷属生活の苦悩からあのような顔になって先住民を護ったとされています。日本へは空海によって伝えられ、国家安泰を祈るさいの本尊に昇格したようです。現在では家内安全・交通安全・商売繁盛をもたらす仏として成田山新勝寺・高野山に安置されています。又日本の山岳信仰と結びついて修験者の信仰の本尊ともなっているようです。
以上で仏教の話と言うか仏像の話はおわりです。
お付き合いありがとうございました。おやすみなさい。酔いがいつのまにかさめてしまいました。
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しんさんのよもやま話・・・番外編

2006年08月01日 23時52分52秒 | Weblog

8月1日(火)曇
もう8月になってしまいましたが過去を見ると早いものです。
さて今日も昨日の続きで、立山・黒部アルペンルートの旅の後編です。29日(土)は黒部ダム・立山と一気に上り、かつ一気に下り宇奈月まで来ました。宇奈月の保養所に泊まり、また夜はマージャンをして翌7月30日早朝から起きて温泉につかり、一度乗ってみたかったトロッコ電車で欅平まで約一時間半のトロッコの旅を楽しみました。天気は快晴多分暑いだろうと想像していたのですが、逆に寒いくらいでした。標高400m程度の宇奈月から標高800m強の欅平までですから暑いだろうと思うのが普通です。しかし黒部渓谷をはるか下方にみながら豊かな森の中を走るこの小さな電車にあたる風はむしろ涼しすぎるくらいです。多分深い森と黒部川の豊かな水が生み出した自然のなせる技かもしれません。途中の渓谷には氷河のような雪がまだ残っているのもすごいです。僕は今回の旅でなぜ富山と言うのかわかったような気がします。これだけ豊かで深い森があるのですから当然と言えば当然ですが実際に自分が旅してよくわかりました。多分日本には他にも深い森はあると思いますが、すごいと思うのは昨日のアルペンルートといい、今日のトロッコといい、僕らが自然に触れられるようにトロリーバス・ケーブルカー・ロープウェイ・トロッコ電車を組み合わせた旅のルートを
開発して、しかも元の自然は最小限の破壊にしかならないよう考えられていることです。乗り物もすべて電気で環境破壊を考慮しているし、トロリーバスやケーブルカーはほとんどトンネルの中で拠点となる所だけ建物があるだけだし、室堂から美女平までのバス区間も一般車両ははいれないので排気ガスの影響も最低限に抑えられています。最近乗鞍も一般車両を規制し始めましたが、いたるところで木が枯れていたのを5年ぐらい前に見ました。多分排気ガスの影響だと思います。そういう点で富山の人は商売と環境保護を両立させているのですから賢いですね。
欅平に着くと黒部渓谷を真近にみる猿飛まで散策し、足湯につかり一時間ほどして、またトロッコ電車で宇奈月まで帰ってきました。写真は欅平で今回のインロートラベルメンバーを撮りました。撮影者の僕だけは写っていませんが。
昼過ぎに宇奈月に戻り、ます寿司を食べて今年のインロートラベルも解散です。関東組、関西・名古屋組・鳥取のG夫妻は信濃大町に戻って車で翌朝7時に着いたそうです。僕は関西・名古屋組とも途中で別れ、高岡の友人の所に寄ってきました。北陸の海の幸までたらふくごちそうになり、名古屋への最終となる電車で無事帰ってきました。
自分は何のとりえもありませんが、いい仲間達といっしょに仕事ができたことやいい友人に親切にしてもらったりで感謝ばかりです。僕がみんなの役に立てることは少ないかもしれないが自分のできる最大限でこれからも努力して行こうと思わずにはいられない旅になりました。みんなありがとう!今日はここまでです。読んで頂いた方もほんとにありがとうございます。
ホームページにも立山黒部アルペンルート宇奈月トロッコの旅は掲載しました。
URL http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/

 

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