昔の映画には必ず「愛のテーマ」なる、かったるいBGMが付き物でして、私はそれが大嫌いでした。きっかけは幼少時に買ってもらった「映画音楽集スペクタクル・アクション編」というカセットテープでした。まだCDが一般的じゃなく、自動車内で聞ける音楽はカセットテープが主流だった時代です。
買ってもらったその日のうちから、帰りの自動車の中でテープを流してもらいました。しかし、どの曲もタイトルのスペクタル・アクションの題名からは程遠い印象のゆったりした退屈な曲ばかりが続きます。しかも収録されてる映画タイトルも全体的に古臭い。「ベン・ハー」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」他にも聞いたこと無い古いタイトルがメインで、そうしたタイトルに限ってどれも収録されているのが「愛のテーマ」ばかり。くっそ退屈でつまらない音楽ばかり、半分以上が聴きたくもないハズレ曲揃いの残念ラインナップでした。
たまに「レイダース(インディ・ジョーンズ)」や「スターウォーズ」に「スーパーマン」など派手に盛り上がる曲も混じっているけど全体的に少数派でした。それで今と違いCDじゃないので聴きたい曲を即頭出しもできず、早送りを手作業で進め、好きな曲の位置まで毎回調節うするのも面倒でな。おかげで私にとって「愛のテーマ」てのは鬼門です。忌避対象です。大好きなメタルマックスの「愛のテーマ」すらかったるくてまともに聴く気になりません。
それでも唯一例外的に好きな「愛のテーマ」が一つだけ存在します。映画「さよなら銀河鉄道999~アンドロメダ終着駅~」で主人公・星野鉄郎くんがメーテルと再会する場面でかかるあの曲。神々しいほどに美しいメーテルと再会した鉄郎の歓喜の表情、そして互いの深い思いが交錯するのにふさわしい盛り上がり。この「愛のテーマ」だけは別格です。
そしてこの「愛のテーマ」は再会場面だけではなく別れの場面でも流れます。当時小学生だった私はこの別れが見ててあまりに辛く、エンディングが流れている間まばたきをしませんでした。だって映画が終わったらもうメーテルに会うことはできません。網膜に焼き付けるつもりで必死に凝視し続けました。そのくらい銀河鉄道999の「愛のテーマ」は私の人格形成の根本に突き刺さったまま、未だに抜ける様子がありません。
使い方といい流すタイミングといい、この「愛のテーマ」は効果が強すぎる劇物です。今でも聴くと、幼少時にトラウマと性癖をひん曲げられた衝撃を思い出します。
この映画、メーテルの登場が半分あたりからのうえ、鉄郎は黒騎士ファウストとの戦いも努めなければならず、どうしてもメーテルの出番と台詞が少ないのですが、本人が出てこなくとも故郷の星ラーメタルの古城に肖像画がかかっているなど、前作では終始謎の女だったメーテルの周辺事情が見えてくるため、本人がいないのに気配はやたらと濃密だったりします。そして999乗車後にはメーテルの方から「どこかの星で死ぬまで一緒に暮らしましょう」とアプローチしてきます。これ前作で鉄郎が機械伯爵を倒した後に「君さえ良かったら・・・いっしょに暮らして欲しいんだ・・・」とメーテルに告白した構図の裏返しになってます。劇場版2作は互いに鏡合わせのように対象的な構図があちこちに見えて、特に顕著なのがラストシーン。前作では999号に乗って去っていくメーテルを見送る鉄郎の姿で終わり、さよならでは鉄郎を乗せて飛び去る999号を見送るメーテルの姿で終わります。そいで、これまでどうにも内面の読めない謎の女だったメーテルが感極まった様子の独白を流します。
「あなたの青春と旅したことを私は永久に忘れない」
- 「さようなら、私の鉄郎」
普段のクールな態度から随分とギャップのある執着が見えます。案外重い女だったメーテルにクソデカ感情をぶつけられて映画は終了、しませんでした。ここからさらにダメ押しの名エンディングテーマ「SAYONARA」が始まります。歌詞に込められたメーテルの悶々とした超特大感情、セピア色の回想場面、故郷へ向けて歩き去っていくメーテルの後ろ姿、私の知る限りでこれほど緊張感みなぎり心休まらないスタッフロールを他に知りません。少年の心をザックザクにえぐり、性癖をがっつり歪ませてあの人は去って行きました。なんつー映画だ。
というわけで、自分にとって「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」は他のアニメ作品などと違い、幼少時のトラウマに直結する特別な映画です。こないだの休日に劇場版「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」を連続で観たので、あの頃の記憶が蘇り、作品についてあれこれ考察してしまいました。999にはTV版・漫画版・劇場版があり、それぞれが3つとも別作品扱いなので、どれが原作だの正史というわけではありません。基本的にどれもが最後の星へ到着後に鉄郎はメーテルと別れて、一人で地球に帰る内容は同様です。
しかし、劇場版だけがその後にもう一度旅立ち、メーテルと再会する展開に続きます。もう2度と会えないと思っていた人と再会できる。それは鉄郎くんじゃなくても再起するさ、言えなかった言葉、伝えられなかった思い、いっぱいあるだろうさ。そして再会したら今度こそ完全に取り返しのつかないような劇的な離別を経て諦めるんだよ。そういう苦い物語なんだよ。999に限らず、もう会えないと思っていた人と再会できる場面は心に刺さるんだよ。脱線するけど「水の森」という漫画で、主人公の兄妹が1年前に亡くなった養親の墓参りしてると、そこに死んだ養親(叔母)がひょっこり現れる場面があります。これは作中に奇跡を起こせるキャラが居て、そのキャラが養親の亡くなる前の1日だけを1年後に飛ばす奇跡を起こした結果で、彼らは生前に伝えられなかった思いを交わし、満足してお別れが出来ました。何が言いたいのかつーと、一度完全にお別れした人との再会は強烈にメンタルを揺さぶられるシチュエーションです。自分にとっては999に植え付けられた性癖です。
そこで再会した後にまた別れるのかよ、メーテルさん。ひでー女だな。幼少時にまぶたに焼き付けるつもりで凝視した彼女の後ろ姿は、今でもありありと思い出せるほど鮮烈でした。
そーいや、コミックス1巻表紙のメーテルは、後のイメージと違って若干幼い顔立ちだったのを思い出し画像検索しました。
「銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー」
なにこれ。
あらすじになんやかやと設定が書いてあり、最後に「そして、鉄郎は3度目の「銀河鉄道999」での旅に出るのだった…」え、3度目の旅立ちですか。そしてメーテルとまた再会するんですか。劇場版「さよなら銀河鉄道999」から続く物語なんですね。
もう会えないと思い、映画のエンディングテーマ「SAYONARA」をまばたきもせずに見つめていた当時の私がバカみたいですね。感動して損しました。