全国民が唖然…「マスク2枚」で完全に露呈した安倍政権の「闇」
安倍晋三総理は4月1日、首相官邸で開いた政府対策本部の会合で、新型コロナウイルスの拡大防止のために洗濯して繰り返し使える布マスクを1億枚配る方針を明らかにした。配布には日本郵便のシステムを使い、全国すべての世帯に、1住所当たり2枚を再来週以降、感染者の多い都道府県から順次配るとしている。
【写真】新型コロナウイルス、実は「マスク着用」より先にやるべきことがある
政府は国民が今必要としている「マスク」を全国津々浦々あまねく届けることで、感染予防と不安解消につながると思ったのだろうが、その思惑とは裏腹に発表以降「#マスク2枚でごまかすな」等、炎上の様相となっている。
そもそも現金給付を望む声に対して「お肉券」「お魚券」と言った案が出てきた段階で、コロナ対策がある一定の業界団体に対する忖度で進められるのではないかと言った声も出ていた。
ここでも「お友だち利権」中心に回っているのではないかという疑念だ。対策本部の面々の中でひとりだけ顔に比して小さなマスクをかける安倍総理の姿は、コロナ対策への足らざる対策を象徴するようで、さらに不安を掻き立てる。
そもそも「再来週以降」に、しかも国民全員ではなく「世帯」に対して2枚という中途半端な配布で新型コロナに対抗できるのであろうか。
時期的にも規模的にも、科学根拠的にも十分なものとは言えないだろう。
一体誰が発案し、どのような会議体を経て、決裁に至ったのか。誰も止めなかったのだろうか?
「マスク2枚」を配る政策決定過程こそが、日本の「闇」そのものとも言えるのだ。 「マスク2枚」の破壊力
もちろん、新型コロナ対策として政府が行なっている政策は「マスク2枚」配布だけではない。
雇用調整助成金を活用した中小企業の支援や、マスクについては2月頭から医療機関等の不足を補うため、また一般個人に行き渡るようメーカーへ増産を呼びかけ見越し、十分な数の確保についての取り組みに言及してきた。
しかし、それから2ヵ月弱。マスクを買うためには薬局等の開店前から並ばなければならないし、ネットでもほぼ「在庫なし」となっていて購入することが難しい。
政府が自信満々で言及していた「確保」という言葉は、どこの、誰のためのものだったのだろうか? という疑念を、国民はマスクの在庫がなくなりつつあったり、すでに最後の1枚を使い切ったりする状況で、外出するたびに感じているのである。
政府がやらなければならないことは、布マスクの配布ではなく、使い捨ても含んだマスクの増産と流通確保であり、それさえ正常に行われれば国民は購入するのである。
もちろん、マスク代もバカにはならない。特に子どもや高齢者のいる家庭では予想外の出費ともなる。
それは現金給付で足りるはずである。もしくは消費税でポイント還元等を行なった仕組みで全額もしくは一部返金システムを組めないはずもない。日本の持てるIT技術や優秀な官僚たちの理系・文系双方の頭脳を集めればあっという間にシステムは組めるのではないだろうか。
「お肉券」や「お魚券」をもらっても国民が今必要としているマスクを購入したり、目減りした給与の補填に十分には機能しない。
「マスク」という全ての国民にとって必須アイテムとなったアイコンを通して、この国の政治家が推進する政策がいかに的外れで、それを立案する官僚も含めた「ベスト&ブライティスト」の脆弱性がいよいよ露わになったということでもある。
危機管理に対応できない登録制度
「マスク2枚」は今の政府が危機管理に対応できないことを端的に露呈させた。
そもそも国民登録制度である「戸籍」「住民票」そして「マイナンバー」は何のためにあるのか。それよりも日本郵便のシステムが優位に立つこと自体がブラックジョーク。しかし、これが現実なのだ。
マイナンバーの利用については個人情報の漏洩も含めて懸念が大きい。「Tポイントカード」は利用している人でも、マイナンバーで国家が個人情報の突合を行うことに抵抗を持つ。こうした現状は国の「情報管理」に関して信頼がないことと同義語でもある。常に悪用されるのではないかという疑念がつきまとうのだ。
一方でこの国の紙ベースの「申請制度」は、IT技術が発達する中で根本的な行政コストを下げることにつながらない。そもそも出生届は手書きである。が、生まれた子どもを実際に確認するわけでもなし、写真の添付があるわけでもなし、ある意味偽造が簡単にできるシステムだ。
ことほど左様に、個人登録やその情報管理が古いOSの中で行われているので、効率が悪い。
東日本大震災の際も、たとえば死亡保険金の申請を行うためには死亡届の提出、受理が必要だったが遺体が見つからない場合は申請ができない。
その際には法務省民事局第1課長名の通知を出し、書面の添付と親族からの死亡届が提出された場合には、市町村の判断で受理し、戸籍に死亡の記載をする取り扱いとするなど、超法規的な措置を行なわれたが、生活支援金の申請等についても局地的なことだったからこそ、他地域の市役所等の行政機関が応援に入り処理することができた。
今回のように全国的全ての自治体が緊急事態に陥るという場合の備えが全くできていないのだ。
「申請主義」からの脱却と「世帯単位」の問題点
「マスク2枚」配布は日本の政策に珍しく「申請主義」を超えたものである。それ自体は画期的なことではあるが、配布される内容が「マスク2枚」で脱力する。
マイナンバー通知の際には同じように「世帯主」にまとめて世帯全員の通知が送られてきた。各種選挙の際も同様である。政府は当然ながら国民の情報を持っているがそれを使わない。「やれない理由」は多々あるのだろうが、梱包代や郵送代も含めて、危機を前にして最優先で行うべき政策なのかは疑問である。
また「世帯」ごとの管理には問題も大きい。「世帯」主義のもとは「戸籍」にあることは明らかである。日本の戸籍制度は家父長制から脱却したと言いながらも、それをさらに核分裂させた「夫婦と未婚の子」という単位で戸籍編成を行っている。
そこにはなぜか「筆頭者」も残った。戸籍の本籍地は当初は居住地だったが、途中から一族郎党をつなぐ「インデックス」となり、実態を現さなくなった。
だからこそ早々に「住民票」という登録制度が必要となり、「筆頭者」の代わりに「世帯主」を置き集団管理体制をひくことにする。それでも国民管理ができないので「マイナンバー」ができたという経緯である。
そうした中で「世帯主」あてに送られるマスク。例えば5人家族であればうち2枚を誰が使うのかを判断するのは送られてきた宛先の「世帯主」の役割となるのだろうか? 宛先が「世帯主」であるならば、そのマスクは横流ししようが、世帯主が独占しようが良いということなのだろうか?
児童手当の時にも議論になるが「世帯主」に給付がされると実際に養育しているDV妻には行き渡らず世帯主である夫が独占し、育児に行き渡らないということも問題となる。
「マイナンバー」には前述通り議論もあるが、少なくとも登録は「個人単位」となっている。マイナンバーは住民票をもとに作られているから、それを辿れば個別に送ることも可能なのである。個別に送るほどの数がないとか、同じ住所に1枚ずつ送るのは非効率もあるだろうが、ならばもっとそもそもも一世帯「マスク2枚」という対応が妥当なものかどうかを問うべきなのである。
税金は「個別」給付は「世帯」。日本では税金の入りと出が必ずしも一致しない。財務省優位がここにも表れているのである。
「世帯給付」という福祉の現場で言われてきた問題点を放置したままでは、危機に直面した時に本当に困っている人を助けられないのである。
政策決定プロセスの開示を
安倍政権の「闇」は、政策決定プロセスが不透明ということに尽きる。
都合が悪くなればそうした資料を改ざんしたり、シュレッターで廃棄さえする。「モリカケサクラ」が国民の中に不信感として沈着していた不信感が、この「マスク2枚」に直結したとも言える。
こうした付け焼き刃の思いつきを絶賛し、日本の最高学府を出たと思われる官僚たちが大真面目にフォローするさまが目に浮かぶ。
滑稽すぎる。しかし、笑ってられない。これこそが日本の「危機」なのだ。
ちなみにこれまでの政策を変更したり、新規に行う場合、通常は官僚が事前に「経緯」を書いたペーパーを用意する。なぜその政策が必要なのか。政策の具体については立案の発起者は誰で、いつどこで発信されたものなのか。それに対してどこでどのような議論がされたか等々――。
「マスク2枚」も短時間ではあろうが同じように国民全体の利益と関わる重要政策として議論されたはずだ。「お肉券」「お魚券」も含め、ぜひ「経緯ペーパー」を国民に開示してもらいたい。
天下の愚策を推し進めた正体を知らねばならない。そこには「マスク2枚」だけでなく、森友、加計、桜を見る会の核心も見えてくるだろう。
それこそがさらに大きな危機に対して、国民ができる最良の危機管理なのだ。