金正恩が死亡したら、誰が権力を引き継ぐのか――。北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の安否についての情報が錯綜する中、関心が集まっているのが、正恩の妹、金与正(キム・ヨジョン、31)朝鮮労働党第1副部長だ。
【画像】金正恩の妹・与正と握手した文在寅大統領が見せた表情とは?
すでに事実上のナンバー2として君臨し、「正恩氏が万一、死亡した場合、全ての権限を与正氏に集中するという内部決定が最近行われた」(読売新聞4月14日)との報道もある。
「金与正」という女性は何者なのか。現地ジャーナリストが緊急寄稿した。
◆◆◆ 「男だったら後継者にした」と父・金正日が嘆いた
「彼女に口ひげがあったなら、与正を後継者にしていただろう」
金与正について、そう語ったと報じられているのが、生前の金正日総書記だ。
高容姫夫人との間に生まれた3人兄弟、正哲(ジョンチョル)、正恩、与正のなかで、金正日が最も高く評価していたのが、この愛娘だった。長男の正哲に対しては「女の子みたい」と評していたという。男尊女卑が根強い北朝鮮で、この評価の“逆転”は異例中の異例といっていい。
しかし与正の素顔については、2人の兄以上に謎に包まれている。
与正は1988年生まれで、今年31歳。彼女の若き日の経歴ではっきりしているのは、96年4月から2000年末まで、兄の金正恩とともにスイス・ベルンに留学していたことだ。
現地では中流住宅街の3階建てアパートで兄と生活し、公立学校に通った。留学中は、少しでも体調が悪いとすぐに病院に連れて行かれるような過保護な環境で過ごしたとされる与正。バレエのレッスンを受けていたこと、アニメのイラストを描くことが趣味だったことも報じられている。当然ながら現地では金正日の娘だということは伏せられ、「チョン・スン」という仮名を名乗って暮らしていた。
興味深いのは、スイス留学時代の兄妹の生活は、対照的だったということだ。
与正は、兄・正恩より成績がよく、現地の学校にも馴染んでいたという。兄よりも4歳若く留学しているため、入学時に学力差が広がっておらず、人種差別もあまり受けずに済んだのがよかったのだろう。
ちなみに、ベルン時代の2人の面倒を見ていたのが、当時の駐ジュネーヴ代表団公使で、金正恩体制で外相などを務めた李洙ヨン (リ・スヨン)前党副委員長だ。李洙ヨンはこの経歴のおかげだろうが、金正恩が権力を継承した後、出世街道を行くことになる。 正恩のヘアスタイルもコーディネート
スイスから北朝鮮に戻った与正を待ち受けていたのは、金正日体制の下、“お姫様教育”だった。
北朝鮮最高峰の大学・金日成総合大学に入学したのは、2007年ごろ。物理学を専攻したというが、一般的な4年の学部課程ではない。与正のために新設された6カ月間の「速成課程」への入学だった。いわば、与正に箔をつけるための教育課程なのだ。
そして2011年12月、父・金正日の葬儀の場に姿を現す。これが、与正が公の場に出た最初の場面だ。
金正恩体制になると、2012年に国防委員会の行事課長に就任。「行事課」とは、兄の金正恩の現地視察や行事などの日程すべてを密着しながら管理する部署だ。与正のアドバイスは日程だけに止まらず、なにかと話題となる正恩のヘアスタイルから、眼鏡のフレームまでコーディネートしていると言われている。
このように韓国においても、与正の幼少期の「子どもらしい」エピソードはほとんど伝わってこない。
数少ない報道の一つが、与正が3歳くらいだった1991年5月、母親である高容姫や兄・正恩とともに東京ディズニーランドを訪れていたというものだ。2012年には、正恩の指示で結成された「モランボン楽団」が、洋楽にあわせてミッキーやミニーを思わせる着ぐるみが登場する“ディズニーもどき”の公演を行っている。これも、2人の兄妹の思い出から発案されたものなのかもしれない。
笑顔の“外交デビュー”となった平昌五輪
彼女の“外交デビュー”は2年前の2018年2月、平昌五輪の開会式のための韓国訪問だった。
当時、長距離ミサイル問題などでアメリカと激しく対立していた北朝鮮。この重要な局面で、与正は平昌五輪の開会式に出席する代表団の特使として韓国に現れたのだ。肩書きは「党中央委員会第1副部長」だ。
到着してまもなく、象徴的なシーンがあった。舞台は、韓国側の関係者が待ち構えていた仁川空港の貴賓室。
専用機を降りて、貴賓室に北朝鮮訪問団の一行が入ってくると、北朝鮮の憲法上の国のトップである金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が中央の上席を与正に譲って、先に座るように勧めたのだ。2人の年齢差は60歳以上。与正が「北のナンバー2」であることを内外に示したのである。
金一族で初めてソウルと大統領府を訪れることになった与正は、文大統領への表敬訪問の席でも、ナンバー2の振る舞いが続いた。文大統領に金正恩からの「親書」を伝達したのも、金永南ではなく与正だった。さらには、彼女の口から文大統領に「大統領と早期に会う用意があります。都合の良いときに来てください」と訪朝を要請した。
2泊3日の短い日程の間、韓国国内の全てのメディアは彼女の一挙手一投足に注目。五輪の開会式では、ペンス米副大統領、安倍首相とともに貴賓席に招待され、韓米日首脳のすぐ後ろの席から北朝鮮選手団に笑顔で手を振る様子が各国メディアに取り上げられた。
報道陣の前ではほとんど発言はしなかったものの、文在寅大統領との会話のいくつかは明らかになっている。
開会式翌日に文大統領と会談した際には、文大統領から「寒くなかったですか?」と尋ねられ、「文大統領に気を遣っていただき、不自由なく過ごしました」と答えたという。さらに滞在中の昼食会でも、与正は笑顔で「大統領が統一の新しい幕を開く主役になって後世に記憶される姿を打ち立てられることを願います」と終始、文大統領をおだてるかのようだった。
これに気を良くしたのか、文大統領は2カ月後の南北首脳会談の席上で、金正恩と与正に向かって、このように与正を持ち上げた。
「金与正副部長は南ではスターです。ファンクラブもできたかもしれません」
確かに、文大統領ほどではないにせよ、多くの韓国国民が、清楚なイメージで笑顔を振りまく与正の姿を好意的に受け止めた。
ちなみに、彼女の訪韓にはこんな逸話が残っている。
彼女はソウルの「グランド・ウォーカーヒル・ホテル」に宿泊したとされるが、退出後の部屋には彼女の髪の毛1本落ちていなかった、というのだ。DNA鑑定に使われることで、兄の正恩氏の体質や病気などが推察されるのを避けたのではないかとされている。 知られざる与正の「金正恩叱責事件」
しかし、「お姫さまの与正」「笑顔の与正」は表の顔でしかない。
注目すべきエピソードがある。彼女の夫は、対外的に元首格とされる最高人民会議常任委員長、崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮労働党副委員長の次男であると言われている。ところが、その崔竜海をめぐって事件が起こっているのだ。
2015年10月30日、金正恩が主催した労働党中央委員会政治局委員会議に出席した崔竜海は、その後のパーティーで酒に酔った金正恩から中国との外交問題や発電所の事故などについて、他の幹部の目の前で「党の責任者として良心があるのか!」と強く叱責されたという。崔竜海はストレスと怒りのあまり、帰宅途中の車中で脳溢血を起こしてしまった。
この直後、金正恩のもとを訪れた与正は、こう言い放ったという。
「あなたは相手が倒れるまで懲らしめなければ、自分の苛立ちを抑えることが出来ないのか」
兄に対して強く抗議し、遠慮なしに物を言う与正は、その後「舅の看病」を理由にしばらく党の業務をボイコットしたという。
2016年から北朝鮮の党中央委員に選ばれた彼女は、その立場をはっきりとさせてきた。ハノイまでの列車での移動中、ホームでタバコを吸う金正恩の隣には灰皿を持った与正が寄り添った。平壌で行われる軍事パレードでも、前日に彼女が兄の動線を確認し、正恩に近づく者にはボールペン一本持たせなかったという。
北朝鮮消息筋はこう語る。
「金与正は、『白頭山血統』と呼ばれるロイヤルファミリー・金一族の血統を継ぐ一方、積極性や判断力、処世術などの高い政治的センスを兼ね備えた存在だ。いまでは、金正恩も信頼を置いている。これまでの2回の南北会談に加え、シンガポールとベトナムで行われた米朝会談にもすべて同席しているのだから。どの会談でも、金正恩は口調を整えるとき、言い淀むときには、いつも与正を見る。妹が横にいることで、彼は精神的に安定するのだろう」
今年に入って、さらに存在感が増しつつある。3月には、北朝鮮のミサイル発射実験に対して深い憂慮を表明し、発射中止を求めた韓国大統領府に対して、金与正名義の談話を発表した。談話には、次のような言葉が並んだ。
「低能な考えで驚愕する」
「よその軍事訓練に口出しするとは居直りの極致だ」
「言葉ひとつひとつが完璧にバカだ」
「3歳児と大して違うようにはみえない」
首脳会談で笑顔を振りまく清楚な姿からは想像もつかない、汚い言葉遣い。韓国に対しても融和的な人物と評価されていた彼女が、韓国を批判する声明を出したのは初めてのこと。韓国国内でも、与正をどのように評価して良いのかと、動揺が広がっている。 彼女のライバルはあの男?
金正恩委員長の健康状態は依然として明らかになっていないが、金正恩に代わる人物は、現時点ではその血筋、能力からいって金与正しかいない。
しかし、党や軍部の幹部らは、30歳を超えたばかりの女性である与正を後継者として受け入れるのだろうか。
元駐英北朝鮮大使館公使だった太永浩(テ・ヨンホ)氏は、「現在の北朝鮮体制を支える60、70代の勢力にとって、金与正は若造だ」として、金平一(キム・ピョンイル)の存在を指摘している。
金平一氏は、金正日の腹違いの弟で66歳。金正恩氏の叔父にあたる。彼は金正日総書記との権力争いの結果、1979年以降ハンガリー・ブルガリアなど海外公館を転々とさせられていたが、昨年、チェコ大使勤務を最後に40年ぶりに平壌に召還された。
金正恩が北朝鮮国内で、彼を管理するために呼び寄せたものとみられ、いまは軟禁状態にあるとされる。
今後、軍部などが金与正を排除し、可能性は低いとはいえ金平一を擁立するような事態になるのか。逆に、そのような動きを察知した金与正が金平一の排除に動くことになるのか。北朝鮮の内部情勢は、今後も予断を許さない。