無精子症で5年治療を続けた夫婦に、「精子提供」でうまれた溝
子どもがいない人生を歩む」という決断を受け入れるのは女性だけでなく、男性にとっても勇気と覚悟が必要です。
現代では「子どもを持たない」という女性の生き方が少しずつ認められ始めていますが、男性に対する配慮はまだ十分でないように感じます。
出産することはなくても、子どもに関する事情や価値観は男性にとってもデリケートな話題。にもかかわらず、男性の苦悩は理解されにくいように思えてなりません。今回は不妊治療を経験した聖司さんの体験談を紹介します。 片道8時間かけて「無精子症」を治療
実は離婚経験がある。そう打ち明けてくれた聖司さん(43)は「子どもが欲しいと思うなら、結婚前に夫婦で検査をしたほうがいいと思います」と語ります。思わず口から漏れた彼の言葉の裏には、自身が経験してきた“ある出来事”が大きく関係していました。
「結婚してから1年くらい経った頃、奥さんから不妊検査をしないかと言われ、病院へ行きました。」そう振り返る聖司さんは大切な記憶を噛みしめるかのように、当時の状況を話してくれました。
病院へ行った聖司さんが直面することになったのは、「無精子症」という受け入れがたい現実でした。それでもなんとか子どもを授かりたいと思い、不妊治療を決意。治療は睾丸(こうがん)周辺の皮膚を少し切り取り、その中から精子になりそうな細胞を探し、排卵誘発剤で10個ほど排卵させたものを顕微授精させるというものでした。毎年1回、片道8時間かけての通院。聖司さんは希望と不安を抱きながら、この生活を5年続けたのです。
周囲の「出産報告」は心を刺すナイフに
夫婦で新たな幸せを手に入れるために始めた不妊治療。しかし、長きにわたる治療は聖司さん夫婦の心に暗い影を落とすようになっていきます。
「自分よりも後に結婚した兄弟や姉妹に子どもができたという話を耳にし、苦しくなりました。」何度頑張っても治療が上手くいかない悔しさと悲しみから聖司さん夫婦は共に落ち込み、次第に夫婦生活もなくなっていったと言います。
自分よりも後に結婚した人たちが子どもに恵まれたという情報は、子どもが欲しくて頑張っている人の心にナイフのように刺さるもの。特に男性の不妊は世間的にまだまだ理解が進んでいないため、無自覚に「子どもはまだ?」といった言葉を向けられることも多いかもしれません。「子どもが欲しいのに授かれない」という苦しみに男女の差はないのだということを、私たちはもっと意識していく必要があるでしょう。
精子提供を拒んで離婚。自分の生きる意味はどこにあるのか
5年に及ぶ不妊治療は最終的に「精子提供」という方法に辿り着くこととなりました。しかし、聖司さんはその子どもを愛せる自信がどうしても持てず、治療を拒否。それが結果的に奥さんとの溝を生む原因になり、離婚に繋がりました。
子どもは自分の分身で、生きる意味。――子どもとはどんな存在かと尋ねた筆者にそう答えてくれた聖司さんは子どもを授かることの難しさを痛感したからこそ、結婚前に夫婦で不妊検査を受けることを勧めると共に、自身は子どもに変わる“生きる意味”を模索しているよう。取材中、聖司さんの言葉の端々からは背負ってきた「罪悪感」が垣間見れました。
「自分は生きている意味があるのか……」そんな思いを抱いている聖司さん。子どもがいないことで聖司さんの生きる意味が損なわれることはないように思いますが、一度心に芽生えてしまった「申し訳なさ」や自己嫌悪を完全に消すことは難しいのかもしれません。しかし、聖司さんの経験はきっと、同じような境遇で悩んでいる男性の拠り所になるはず。
自分に自信はまだ持てない。そう話す聖司さんが「自分も悪くないじゃん」と笑える日が来ることを、心から祈っています。