現役東大生の布施川天馬と申します。学生生活の傍ら、ライターとして受験に関する情報発信などをしています。
「努力は報われる」は本当なのか?
9/27/2020
「努力は報われる」という言葉がありますよね。僕はこの言葉について、「努力すればその成果は自分に返ってくる」というのはその通りであると考えています。 しかし、「いいや、そうじゃない。努力は報われないんだ!」と考えられる方も多いでしょう。これもやはり正しいと思います。この世には報われない努力もありますし、無駄な努力もあるのです。
それでは「報われない努力」と「報われる努力」の違いはいったい何なのでしょうか? 前回の記事「カネさえかければ、東大に入れるのか?」にも協力してくれた『東大式目標達成思考』の著者で東大2年の相生昌悟くんは、著書のなかで「努力は報われるという言葉を鵜呑みにし、ただがむしゃらに努力を続けるのは危険」であると伝えていました。
そこで、今回は「東大生が絶対にやらない無駄な努力」から、どうすれば私たちの努力が報われるようになるのかを考えていきたいと思います。
無駄な努力1「調べてわかることを考える」
まず一つ目は「調べてわかることを考えてしまう」ということです。大前提として、もちろん考えること自体は素晴らしいことなのですが、しかし、「度」があります。調べればすぐにわかることなら、なるべく「ラクして結果に辿り着く努力」に力を注ぐべきです。
たとえば、「エクセルのシートの消し方がわからない!」とか「ワードの図の入れ方がわからない!」のような日常の「わからない」に直面することって意外と少なくないと思います。そんなときに「これってどうやればいいんだろう?」って考え込んだりしていませんか? これはダメな努力の典型です。
これがどれだけ頓珍漢な努力なのかというと「東京駅から千葉駅まで行こう」としたときにさまざまな行き方があると思いますが、どの行き方で行こうかと考え込んだりはしないと思います。
きっと乗り換え案内検索で最適な電車の乗り継ぎを調べるとか、駅員さんに聞くとかするでしょう。まさかイチから全部電車の経路を辿って自力でルートを開拓しようとする人はいないですよね。
たいていの問題はネット上に答えがある
エクセルやワードの使い方の例はこれと完全に同じことです。元から便利な機能があるのに、あえてその利便性の高い道を無視して自分で獣道を切り開くなんて、そんな疲れるわりには得るものが少ない努力をしても意味がありません。 現代ではたいていの問題には解決方法があります。そして、多くの解決方法はネット上に転がっています。もちろん眉唾物の情報も多くあるとはいえ、そんな便利かつ速やかにアクセスできる情報を放っておいて、自力でもがくのはスマートではありませんね。まずは調べてから考えるようにしましょう
無駄な努力2「自分の力だけで問題を解決しようとする」
二つ目は「自分の力だけで問題を解決しようとする」ということです。これは一つ目と少し重なる部分がありますが、つまるところ、どんな問題についても苦労をいとわずに自分の力だけで取り組んでしまうということです。 たとえば、あなたの目の前に川幅が数十メートルほどの大きな川があるとします。左右を見渡しても橋は見当たりませんが、川の流れは穏やかで、深さもせいぜい腰程度までなので、なんとか歩いて渡ることもできます。
無駄な努力3「目的以外のことをしようとする」
最後に紹介する無駄な努力は「目的以外のことをしようとする」ということ。常に目的を念頭に置いて行動しないと、この手のミスを犯してしまいがちです。
たとえば、あなたがTOEICについて勉強するとして考えましょう。TOEICならばマーク形式ですから、記述式の練習を積む必要は基本的にありません。また、メジャーなリスニング&リーディングテストであればスピーキングのテストはないので、英語の発音を鍛えたり、スラスラと話せるようにする必要もないはずです。
ここで「英語の勉強なら全部同じか」と考えて英作文の勉強を始めたり、もしくは英会話教室に通い始めたりしても、それらはまったく意味をなしません。 なぜなら「TOEICのテストで高得点を取る」という目標から大きく外れた努力をしているからです。
「がむしゃらにやる」に価値はない
努力というのはただがむしゃらに行えばいいものではなく、明確な方向性をもって、目的意識のもとに行わなくてはいけません。 目的があって、そのために行うべき練習があって、それをこなしていくことが努力なのであって、闇雲に課題を解決し続けることは一概に努力とはいえません。「自分はいったい何のために何を行っているのか」ということについては常に気を付けなければいけないかもしれません。
「無駄な努力」を「報われる努力」にするために
このように意外と陥りがちな「無駄な努力」の落とし穴というのは数多くあります。悲しいのは「無駄な努力」に対しても、時間と体力は消費されてしまうということです。一生懸命頑張ったのに、空回りしてしまうなんて悲しいですよね? 何かを始める前に「いい方法がないかを調査してみること」。そして、「自分が何のために何を行っているのかについて常に自覚していること」。大雑把にいえば、この二つだけで「無駄な努力」は「報われる努力」に変わります。今日から適切な努力を積んで、チャレンジしていきましょう。
あなたは川を渡って1kmほど行ったところにある隣町に行って買い物をしなければなりません。当然帰りもこの川を渡ることになります。さて、あなたはどうやってこの川を越えるでしょうか?
人によって答えは違うと思いますが、「靴を脱いで川を渡る」といったような答えの方も多いのではないでしょうか。実はこれが不正解なのです。
効率のいい手段の検討に力を注ぐ
僕も含めた多くの東大生はきっと「濡れずに川を渡る手段を探す」と答えるでしょう。今いる場所からは見えないだけで少し歩けば橋が見えるかもしれませんし、川渡しのサービスがあるかもしれません。近くに人家があれば、きっと川の向こうとの交流もあるはずですから、渡河の手段を教えてくれるかもしれません。
つまり「見渡す限りは橋がないから、とりあえず目の前の川を歩いて渡る」というのは無駄な努力です。
なぜなら実のところ、この方法は頭を使わないで力押ししているだけにすぎないからです。川を渡ったあとの道のりや帰りのことまで考えると、ここで一旦苦労してでもラクな渡り方を考えたほうがトータルではずっとラクになるという可能性が高いと考えるべきでしょう。
ひと口に努力するといった時にもさまざまな方法があって、効率よく行ける手段と行けない手段があるということは念頭に置くべきです。