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綺麗に置かれたナイフ」「誰かが遺体を動かした?」木原誠二官房副長官妻の前夫“怪死”事件 被害者の父が明かした「現場の不審点」《遺族が再捜査を求める上申書を提出》

2023年07月24日 22時03分28秒 | 事件と事故

「綺麗に置かれたナイフ」「誰かが遺体を動かした?」木原誠二官房副長官妻の前夫“怪死”事件 被害者の父が明かした「現場の不審点」《遺族が再捜査を求める上申書を提出》(文春オンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース 



綺麗に置かれたナイフ」「誰かが遺体を動かした?」木原誠二官房副長官妻の前夫“怪死”事件 被害者の父が明かした「現場の不審点」《遺族が再捜査を求める上申書を提出》

7/19(水) 16:12配信
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会見する木原官房副長官 ©共同通信社

「捜査は尽くされていない」木原副長官の主張を覆す警視庁捜査一課の再捜査音声  から続く 【写真】ナイフを頭上から喉元に刺し…不審な死を遂げた種雄さん(享年28) 

 小誌が2週にわたって報じてきた、木原誠二官房副長官(53)の妻X子さんの元夫の“怪死”事件。今回、元夫の遺族が警察に再捜査を求める上申書を提出したことが、「 週刊文春 」の取材で分かった

種雄さんの死には不審な点が多数


 2006年に亡くなったのは、安田種雄さん(享年28)。ナイフを頭上から喉元に刺したとみられ、死因は失血死だった。 

 当時は自殺の可能性が高い不審死として処理されたが、12年後の2018年、大塚署の女性刑事がナイフの血の付き方に違和感を覚えたことをきっかけに、再捜査が始まる。真相究明への期待に胸を膨らませた遺族だったが、1年足らずで突如、捜査態勢が縮小。それ以降、遺族への警察からの連絡は途絶えたままだ。

  だが、遺体の第一発見者である種雄さんの父によれば、種雄さんの死には多くの不審な点があるという。

遺体の位置についても疑問が


「変わり果てた姿の種雄を発見したとき、右太腿から20~30センチ離れた場所に細長いナイフが置かれていました。みずからナイフを喉に突き刺すことも難しいのに、ましてや綺麗にナイフを置いてから死ぬ奴がいるのでしょうか」 

 さらに、遺体の位置についても疑問があるという。

「私が部屋に入ったとき、種雄の頭は寝室に繋がるドアのあたりにありました。しかし、後に刑事さんが描いた現場の見取り図は、頭の位置が左右にズレて、倒れている位置すら変わっていたのです。私が去った後、何者かが遺体を動かしたのでしょうか」(同前)


「種雄の死の真相が知りたい」涙ながらに語る遺族


 他にも数々の疑問点があることから、種雄さんの両親と2人の姉は、警察に直接、再捜査を訴えることを決意。警視庁大塚署長に宛てて、7月17日付の上申書を提出した。そこには、遺族の切実な思いが次のように綴られている。

 〈自分が死んだのなら諦めもつきます。でも、亡くなったのは大切な息子なのです。いまでも、ひょんなことから『あいつが生きていたら45歳だなあ』と考えてしまう〉 〈私たちは種雄の死の真相を知るため、捜査を続行していただきますことを、心から望んでおります〉  


涙ながらに「種雄の死の真相が知りたい」と語る遺族。種雄さんの父は近々、上申書を提出した旨を報告する記者会見を予定しているという。  


7月19日(水)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および20日(木)発売の「週刊文春」では、上申書の内容や遺族が語る「現場に残された謎」に加え、種雄さんとX子さんの出会いや結婚生活、木原氏が番記者との懇談会を中止した経緯とその理由、警察幹部が事件について語った内容などについて、4ページにわたって詳報している。

「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年7月27日号







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岸田内閣支持率28% 2カ月で17ポイント下落

2023年07月24日 21時03分33秒 | 政治のこと

【毎日新聞調査】岸田内閣支持率28% 2カ月で17ポイント下落 



2023/07/23(日) 18:55:29.

毎日新聞は22、23の両日、全国世論調査を実施し、岸田内閣の支持率は6月17、18日実施の前回調査(33%)から5ポイント下落し、28%だった。支持率が30%を下回るのは、2月調査(26%)以来5カ月ぶり。不支持率は前回調査(58%)から7ポイント増の65%だった。 

以下はリンクで、


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【速報】札幌の知人女逮捕 ススキノ『首なし』殺人 死体遺棄容疑

2023年07月24日 14時15分25秒 | 事件と事故
札幌の知人女逮捕 ススキノ殺人 死体遺棄容疑(北海道新聞) - Yahoo!ニュース 

札幌の知人女逮捕 ススキノ殺人 死体遺棄容疑
7/24(月) 12:41配信

北海道新聞
遺体が見つかったホテル=札幌市中央区


 札幌市中央区のホテル客室で恵庭市の会社員男性(62)が殺害され、一緒に入室した人物が逃走している事件で、男性の遺体を客室に遺棄したとして、札幌中央署の捜査本部が24日、死体遺棄などの疑いで、男性の知人で、札幌市内の女を逮捕したことが捜査関係者への取材で分かった。


【動画】霧多布のラッコ ベビーブーム 岬周辺で1年に4頭


札幌中央署


 捜査本部は同日午前、同容疑で女の自宅の家宅捜索も始めた。捜査本部は、女が男性の殺害にも関与した疑いがあるとみて、殺人容疑も視野に調べる方針。





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スーツは「洋服の青山」で新幹線は普通席…ビッグモーター・兼重宏行社長の「ドケチ伝説」と2代目「MBA息子」の“傲慢LINE説教

2023年07月24日 14時03分22秒 | 社会のことなど

スーツは「洋服の青山」で新幹線は普通席…ビッグモーター・兼重宏行社長の「ドケチ伝説」と2代目「MBA息子」の“傲慢LINE説教”(デイリー新潮) -
 Yahoo!ニュース 




スーツは「洋服の青山」で新幹線は普通席…ビッグモーター・兼重宏行社長の「ドケチ伝説」と2代目「MBA息子」の“傲慢LINE説教”
7/21(金) 10:16配信




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デイリー新潮
ビッグモーターの兼重宏行社長(ホームページより)


 ヘッドライトのカバーを割る、ドライバーで車体に傷をつける、靴下に入れたゴルフボールで車体を叩く……。顧客から預かった車を故意に破損させ、保険金を水増し請求するという前代未聞の不祥事が発覚した中古車販売大手「ビッグモーター」。いったいトップはどのような人物なのか。元幹部が、社長と、“2代目”として実権を握っていた息子の“素顔”を明かす。


【写真】兼重宏行社長と2代目「MBA息子」のゴルフ写真。マカオ社員旅行のスナップ写真と目黒区の敷地面積450坪の「20億円豪邸」も


 ***


事業計画書に記載されていた「狂ったように出店する」
「息子に社長業を任せるようになってから、どんどんおかしくなっていったと聞いています」


 こう語るのは、数年前までビッグモーターの中古車販売営業部門で幹部社員だったAさんだ。同社が急成長を遂げる最中、創業者である兼重宏行社長(71)の経営手腕を間近で見てきた人物である。


「もちろん、私がいた頃も世間一般に比べれば、長時間労働や上司のパワハラは日常的にありましたし、俗に言うブラック企業でした。ただ、バリバリの営業系企業ではありがちな範疇で、今回のように、顧客を裏切るよう上司が部下に強いるようなことはなかった」


 現在は全国に300店舗以上展開しているビッグモーターだが、Aさんが入社した時はまだ30店舗くらいだった。


「そこから200店舗までは凄まじいスピードでした。実際、事業計画書には、『狂ったように出店する』とそのまんまの表現で書かれていたくらいです。兼重さんは『(同業者の)ガリバーを捉えた。日本一を取る!』といつも社員たちにハッパをかけていました」


マカオ社員旅行で見せた“弱気すぎる”ギャンブル
 経営者としては、「謙虚で自分にも厳しく、部下をやる気にさせることに長けていた」と評価する。


「アイツはダメだと考えたら決断は早くて、1カ月も経たないうちに降格させることもありました。ただ、次のチャンスはちゃんと与える人です。頭ごなしに怒鳴られたことは一度もありません。たまに声を荒らげることはあるのですが、『いけん、いけん』ってすぐに冷静になって、『あんまり怒らせんとってよ、年なんじゃけぇ、死んだら困るじゃろ』などと取りなしてくる。社員には新入社員であっても、必ず”さん”付けで呼ぶ人で、私たちも『兼重さん』と呼んでいました」


 全国の店舗を行脚する時も、一人で電車を乗り継ぎ、最寄り駅から歩いてやってきたという。新幹線も指定席すら乗ろうとしないので、幹部になってもグリーン車は乗りづらかったと振り返る。


「スーツも好んで安物をまとい、『これ洋服の青山で2着セット3万だったんだけど、高く見えるじゃろ』って変な自慢をしてくる。めちゃくちゃケチなんです。ニュースなどで彼が住んでいた東京・目黒区の『20億円豪邸』がクローズアップされ、金満社長のようなイメージがついて回っていますが、私が知っていた頃とは全く別の姿です。車もBMWやベンツの中古車を買う。私たちも『兼重さんがEクラスなら俺らはSには乗れないな』と遠慮していました」


 社員旅行でマカオに行った時も、「みんながカジノ行くなら俺も行く」とついてきた。だが、1万円分しかチップに替えず、2000~3000円分のチップをチコチコとルーレットの赤・黒に賭け、3回くらい連続して外れると、


「『もういい』と言って残りのチップを社員にあげて、先にホテルへ帰ってしまいました。ケチだけどお茶目な人なんです」

高卒でも幹部になれる会社
 ただ、社員にアメを与え、モチベーションを上げることに金は惜しまなかった。このマカオ旅行も、Aさんが店長時代、保険契約1億円を達成したことで、店の社員全員に対して与えられた褒賞旅行だった。


「私が勤め出した最初の頃は、店長会議は福岡で開かれるのが恒例でしたが、会議を終えた後はもつ鍋屋で食事会。その後、ラウンジに連れて行ってくれました。けれど、兼重さんは最初の乾杯だけ付き合って、『後は好きにしんさい』と言って帰ります。古株の先輩は、『昔は遊び人だった』と話していましたが、私がいた頃は女性絡みの話は噂でも聞いたことはありません」


 給料も同様だ。成績を出した者は報われ、ダメな者は一向に上がらない。営業成績の良かったAさんは1~2年で給料が800万円を突破、最終的には2000万円近くにまで到達したという。


「学歴は不問で、高卒の人でも結果を出せば出世できる会社でした。ただ、体育会系のノリについて来られない人はどんどんやめていきます。私も最初の頃はお客さんと商談中に上司に呼ばれ、『あの客帰らせたら、オメーも今日帰れんけーな』ってよく詰められましたよ。発祥の地が山口県岩国市なんで、社長だけでなく社員も上の連中は広島弁を使う人が多いんです」


“2代目”になってノルマが厳しくなった
 離職率が桁違いに高いことを示す「数字」もある。それは社員番号だ。入社順に通し番号で付けられ、00年代に入社したAさんは1000番台。だが、「2、3年前は2万台で、今は4万台だと聞いています」。同社のホームページには社員数6000名(21年12月現在)とあるが、次々と入っては辞めていく会社なのだ。


 兼重氏というカリスマ的ワンマン経営者のもと、急成長を遂げてきたビッグモーターが、おかしくなり始めたのは2018年頃のこと。兼重氏が社長業を息子の宏一氏(35)に任せるようになってからだった。


「宏一さんになって、一段とノルマに対するプレッシャーが厳しくなったと聞いています。私は営業畑だったので、修理工場のことはそこまで詳しくありませんが、私のいた頃、つまり兼重さんが目を光らせている頃は、こんな不正は絶対にさせなかった」


節々で見せてきた「MBA仕込みのガン詰め」
 宏一氏は早稲田大学卒。海外でMBAを取得して入社してきた。小柄な体型から、社内でつけられていたあだ名は「コナンくん」。Aさんも、兼重氏から頼まれ、宏一氏と一緒に現場を回ったことがあるという。


「一言で言うと生意気です。『今の指導ってどういう意味ですか?』『へー。なるほど。効果があると言うことですね』『はい、わかりました』。こんな感じです。低学歴な社員が多い会社で、自分はMBAを取得しているというプライドをどこかしら出す人で……」


 外部での商談でも同様に強気な姿勢で、


「『それじゃダメだと思うんですよ。なぜ用意していないんですか』『つまり、これは準備不足ってことでいいんですね』『それはあなたの権限で言っているということで大丈夫ですよね』と、矢継ぎ早にゴリ詰めしていました。スイッチが入ると止まらないタイプで、MBA仕込みで弁が立つんです」


 周囲はやりにくくてしょうがなかったが、兼重氏は息子を評価していたという。


「1カ月社内を見せた後、レポートを出させたようなんですが、それがめちゃくちゃ良かったと話していました。兼重さんは息子さんに早く継がせて、引退したかったんでしょう。私がいた時は全く手を出さなかったんですが、5年くらい前からゴルフ三昧だったようで……」


“御意”としか言えない雰囲気だった
 だが、宏一氏が副社長になり、現場に激しく数字を求め出したことで、不正が横行するようになってしまったのだ。


「辞めた社員からは共有LINEでの叱責が凄まじかったと聞いています。兼重さんの時からそうだったんですが、あの会社の社内コミュニケーションはLINEばかり使われていて、私も10~20くらいのグループに入っていた。宏一さんは共有LINEの中で、部下をゲキ詰めするようなんです。辞めた社員からLINEを見せてもらったこともありますが、人格否定するような激しい文言で、ああ、あのまま悪化していったんだなと思いました。年上の取締役たちも宏一さんのご機嫌取りに必死で、“御意”としか言えないくらいの雰囲気になっていたと聞いています」


 問題発覚後、兼重氏は現場に復帰し、今も体制の建て直しに躍起になっているというが、ここまで失墜した信頼を取り戻せるものなのか……。


デイリー新潮編集部




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ビッグモーター社長、故郷を捨てた「兄への絶縁宣言」ソニー創業者・盛田昭夫邸跡に「60億円豪邸」建てるまで

2023年07月24日 13時03分15秒 | 社会のことなど

ビッグモーター社長、故郷を捨てた「兄への絶縁宣言」ソニー創業者・盛田昭夫邸跡に「60億円豪邸」建てるまで(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース 







ビッグモーター社長、故郷を捨てた「兄への絶縁宣言」ソニー創業者・盛田昭夫邸跡に「60億円豪邸」建てるまで
7/24(月) 6:00配信




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SmartFLASH
超高級住宅街の大豪邸のなかでも、ひときわ目立つ兼重社長の邸宅(中央)。瓦葺きの茶室も確認できる(写真・桐島 瞬)


 中古車販売大手「ビッグモーター」の自動車保険の不正請求問題で、創業者の兼重宏行社長(71)の責任を問う声が高まっている。


【写真】高さ8メートルの外壁が取り囲む大豪邸


 兼重社長が記者会見をおこなわず、国交省の聴取にも応じていないためだ。一方で、従業員に向けたLINEでは、報道を《世間の関心を集めるため》と批判するなど、内弁慶ぶりを見せつけている。


 売上高5200億円(2022年9月期)の大企業を一代で築き上げた “独裁者” は、いかなる人物なのか――。


 兼重社長は、1951年に山口県岩国市で生まれた。一家は、近くの川でアサリなどを採って生業を立てていた。近隣住民が語る。


「宏行くんの母は、最初の結婚で二男一女をもうけ、その後、夫を亡くしてから再婚した男性との間に、宏行くんが生まれました。両親はきょうだいを分け隔てなく育てていましたが、家が敷地の中に2棟建っていて、成長すると一棟に上のきょうだいが、もう一棟に宏行くんが暮らすようになりました」


 工業高校を卒業した兼重社長は、一時自衛隊に入隊。同じころ、友人が働く自動車修理工場に顔を出すようになり、1976年に「兼重オートセンター」を設立した。


「ガソリンスタンド裏の狭い場所で、だいたい一人で自動車修理をやっていた。客はそんなにいなかったけど、数年で同じ町内に移転して、人を雇うようになった」(別の住民)


 兼重社長に店舗を貸していた大家が、当時を振り返る。


「うちの母親が急に病院に行くことになったとき、『僕が送ります』と車を出してくれましたね。その後、『ここは住宅地なので、近所に騒音で迷惑をかけてはいけないから』と引っ越していきました。でも、騒音で苦情が出ていたわけでもなかったんですよ」


 社名を「ビッグモーター」とし、3店舗にまで拡大させた兼重社長は1986年、岩国市内に自宅を建てた。


「広い庭のある和風建築でした。それまで田んぼだった場所が売り出されたなかで、兼重さんは3区画を購入しました。出勤のときは、国産SUVの運転席から、笑顔で会釈してくれました」(別の住民)


 岩国で話を聞くと、「今回の報道を見て、当時の兼重さんのイメージとまったく違う」と驚きの声が返ってくる。だが、兼重家をよく知る人物は、こんな証言をしてくれた。


「ビッグ社が多店舗展開を始めたころ、宏行くんに頼まれて保証人になっていたのはお兄さんたちでした。ところがある日突然、宏行くんが『これからは俺一人でやる。きょうだいの縁も切って、岩国から出る』と、宣言したんです」


 その理由は定かではない。


「喧嘩したわけでもなく、お姉さんにいたっては経理を手伝っていましたから。当のきょうだいのなかには、『全国展開のためには、大きな借金を背負う必要がある。家族には迷惑をかけられないと、宏行は退路を断ったんだ』と理解を示す者もいましたが……」


 その後、兼重社長は創業期を支えたきょうだいと一度も会うことはなく、岩国にも戻らず、連絡すら取っていないという。


 そして2020年、兼重社長は、都内の超高級住宅地に自宅を建てた。地上2階、地下1階建てで、噴水や茶室もある。


「この地区は路線価で坪600万円前後ですが、実際の取引価格は約1000万円です。兼重邸は470坪あり、土地だけで約47億円です。一方、建物の床面積は約410坪で、坪300万円として外構外壁を含めると、約13億円になります。土地と建物で、最低でも約60億円になるでしょう」(不動産業者)


 この土地にはかつて、ソニーの創業者である故・盛田昭夫氏の4階建ての自宅があった。盛田家から、兼重社長の資産管理会社に所有権が移ったのは2016年。周囲を威圧するかのような兼重邸が竣工したのは、その4年後だ。


 盛田氏の長女である岡田直子氏に電話で話を聞いた。


「ビッグモーターという社名も、兼重さんという方のお名前も今、初めてお聞きしました。実家をお売りするときは、間にいろんな方が入っていましたしね。個人的なつながりでお売りしたわけではありません」


 岡田氏は「私が口を出すことではない」と取材の辞退を申し出つつ、こう語った。


「『今はすごいお家が建っている』という噂は聞いていました。しかし、私にとっては、思い入れのある実家です。跡地を極力見たくなくて、そばを通らないようにしていました。父も愛した、素晴らしい桜の木があったんですけど、切られてしまいましたしね」


 兼重社長の “砂上の楼閣” の崩壊は近い。経済ジャーナリストの松崎隆司氏が語る。


「損保各社は今後、ビッグ社に水増しされた保険金の返還請求をするでしょう。加えて、各社は契約者の掛け金を遡り、再計算するための莫大な経費も請求する可能性があります。今、ビッグ社の利益は急速に減少しているといわれており、今後はさらに資金繰りが悪化していくでしょう」


 兼重社長が捨てた故郷には、現在も「ビッグモーター岩国店」がある。取材時には閑散としていた店内だが、かつては一人の好青年が夢を抱き、忙しく走り回っていたはずだ。


週刊FLASH 2023年8月8日号





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