【広島】カキフライ自販機「評判上々」…電子レンジ併設「カキの食べ歩き文化広めたい
2021/02/16 17:52
カキ養殖会社「ファームスズキ」(広島県大崎上島町)が、広島市中区本通の土産物店「長崎屋」に、カキフライ(4個入り、税込み1200円)の自動販売機を設置した。東京の商業施設「虎ノ門ヒルズ」に続いて国内2台目という。
自販機は、消費者の食卓に並ぶまで商品に責任を持とうと、同社が開発した。瞬間冷凍されたカキフライは、温めれば作りたてと同じおいしさが味わえるという。併設の電子レンジを使い、その場でも食べられる。
広島産カキのおいしさを再認識してもらうために場所を提供する長崎屋の長崎清一社長(40)は「客の評判は上々。カキを気軽に食べ歩ける文化を広めたい」と話している。
自販機では、生食用の殻付きカキ(3個入り、同)、車エビ(2匹入り、同)も販売している。
カキ養殖会社「ファームスズキ」(広島県大崎上島町)が、広島市中区本通の土産物店「長崎屋」に、カキフライ(4個入り、税込み1200円)の自動販売機を設置した。東京の商業施設「虎ノ門ヒルズ」に続いて国内2台目という。
自販機は、消費者の食卓に並ぶまで商品に責任を持とうと、同社が開発した。瞬間冷凍されたカキフライは、温めれば作りたてと同じおいしさが味わえるという。併設の電子レンジを使い、その場でも食べられる。
広島産カキのおいしさを再認識してもらうために場所を提供する長崎屋の長崎清一社長(40)は「客の評判は上々。カキを気軽に食べ歩ける文化を広めたい」と話している。
自販機では、生食用の殻付きカキ(3個入り、同)、車エビ(2匹入り、同)も販売している。
納豆×つけ麺。つけ汁のフワフワ食感が麺に絡みつく幸せの味
こんにちは。ほぼ毎日ラーメンを食べる会社員、麺すすり子です。 今回のラーメン巡礼はこちら、東京都・新宿区西新宿にある「らあめん 満来」です!
“納豆ざるそば”で、脱・定番メニュー!
「納豆ざる」(1150円)
店名:らあめん満来
住所:東京都新宿区西新宿1丁目4−10
オープン日:1961年(移店前より)
営業時間:11:00~23:00
定休日:無休
最寄駅:都営大江戸線「新宿西口駅」から徒歩2分程度
電話番号:03-3340-2727
駐車場:なし
支払い方法:現金
2/26/2020
世の中にあるさまざまな「〇〇ラーメン」。ここには、ラーメンに「それ入れちゃう?」っていう食材も。あるある。でもでも、入れるからには、きっとオイシイ理由がある。 食券機のいつもの「ラーメン」の隣にそんなメニューが鎮座していたら、ちらりと気になりません?でもやっぱりラーメンにしちゃいません??そんな、食券機の前で踏みとどまってしまうラーメンラバーの、あと一押しとなれ!!!ということで、ご紹介したいのが、「らあめん 満来」の「納豆ざる ¥1150」なのです。
納豆×玉子の黄金コンビ。トロトロつけ汁につい笑顔
納豆と卵を混ぜ合わせた、ふわふわとしたつけ汁
納豆。 そう、「それ入れちゃう?」系食材のキングです。単体での主張が著しく激しいという特徴があります。そんな納豆と玉子を混ぜ合わせ、ふわふわに泡立った状態のものをオンザつけ汁。そうして、この未知のビジュアルになっています。
あ、こちらのつけ麺、並盛りで麺が400gあるのでお忘れなきよう。一般的な麺量の、2玉分です。知らずに後半に涙目になるのはお店も自分もアンハッピー……。
最後までおいしく食べてみんなハッピーになりましょう。今回、すすり子は麺少なめ。これがすすり子のハッピーサイズ。 さて、気になるそのお味。麺をつけ汁にくぐらせると、黄色いふわふわが麺に絡みつきます。そうしてパクリ。
ん~!?!ウマ!!!納豆特有のあの味が、玉子&つけ汁でマイルドに仕上がっています。納豆が、ここではネバネバではなくとろみとなってお口を喜ばせてくれます。そのとろみと相まって、スープが一緒に持ち上げられ、麺の小麦感とぴったりマッチするのです。
「麺のモチうる食感」×「納豆&玉子」のふわふわ感までベストです。
納豆本体はつけ汁の下に隠れています。このスープにとっぷり浸かれる納豆が羨ましい。ほどよくスープの味が浸みた納豆もまたイイ。この納豆をレンゲですくいつつ、麺をいただく。「大豆と小麦は合う」という新しい感覚を知ることになるのです。 このつけ汁、中にはゴロゴロチャーシューがたっぷり。中の見えないつけ汁から、チャーシューやネギやらを箸でつかまえてはすくいだす、オトナの宝探し。
食べ終わったあとのお口の納豆感はほぼゼロ。こんなにサッパリ食べられる納豆の食べ方、ほかにあるでしょうか。つけ麺って偉大。 ね、最高でしょう???こうしている間にもまた「納豆ざる」を欲している自分に気づくわけです。この中毒性こそ、次回の快感につながる大事なポイント。大切にあたためて、またすぐ食べに行きましょう。 ごちそうさまです!
石破茂首相、衆院解散を言及で批判殺到「大っ嫌い」と公言した因縁の“兄弟子”との行方
10/3(木) 7:02配信
週刊女性PRIME
石破茂氏(2024年)
10月1日、第102代内閣総理大臣が誕生した。総理となったのは石破茂氏。
しかし、総理就任前に衆議院の解散に言及したことが、問題視されている。
【写真】“新・ファーストレディ”石破佳子さんのお手ふりショット
自分の発言を忘れている
「石破さんは総裁選で“国民の判断を厳粛に受けなければいけない。そのために判断してもらう材料を提供するのは政府の責任”と語ったうえで“世界情勢がどうなるかわからないのに、すぐ解散をしますという言い方を私はしません”とも語りました。にもかかわらず、自民党総裁に就任した直後、会見で“10月27日に総選挙を行いたい”と、解散時期について言及。自分が言ったことを忘れてしまったのでしょうか……」(テレビ局政治部記者、以下同)
発言の変節が問題視されただけでなく、まだ総理でもない人間が解散について言及するのは“国会軽視”との批判も噴出した。
「石破さんとしては、新内閣の考えを国民に示したうえで11月の解散を考えていたようですが、党要職に起用した菅義偉氏や小泉進次郎氏、さらに森山裕氏までもが早期解散を主張したことで折れたよう。石破さんが党内人事を打診しても断る議員が多数出るなど、党内不和の火種はくすぶったまま。
人事を見ると、安倍晋三元首相を崇拝する“安倍派”の色を消そうとしており、反発する議員も少なくない。仮に総選挙で議席を減らせば、求心力を失い、政権運営の継続は難しくなる。国民の自民党に対する不信感は強く、政権交代の可能性も。やっと就いた総理の座を手放す可能性は十分にあります」
政権発足も、いばらの道を歩むことになった石破首相。目前に迫った総選挙に照準を合わせるが、そこに“強敵”が立ちはだかる。
石破茂が大嫌いだと語る人物
「それこそ石破さんが“大っ嫌いだ”と語る、小沢一郎さんです。今度の選挙は、田中角栄元首相の弟子2人の対決でもある」(政治ジャーナリスト、以下同)
9月に行われた立憲民主党の代表選では、野田佳彦元首相が選出された。野田元首相は、小沢氏を党ナンバー2にあたる要職に起用する。
「小沢さんといえば、1990年代に自民党を政権から引きずり下ろし、連立政権を樹立した立役者。まさに“改革者”として剛腕を振るった存在です。立憲の代表選の裏では“小沢詣で”が行われており、今回の総選挙で中心的な人物と目されています。野党の協力体制を築き、再び政権交代を狙っていますよ。立憲が与党になれば、小沢さんが再び権力の中枢へ返り咲く」
小沢氏といえば、2009年には党の代表代行として選挙対策を一手に担い、民主党の政権交代を実現。その政治家としての歩みには、田中元首相の影響が色濃い。
「小沢さんは、1969年に父親の後を継いで出馬、初当選を果たす。田中元首相は、小沢さんを息子のように可愛がっていた。小沢さんは田中元首相を“オヤジ”と慕い、力をつけていくのです」
一方、石破首相は、
「石破さんの父親で鳥取県知事であった二朗さんは、田中元首相の盟友でもあった。二朗さんが他界後、石破さんは田中元首相から父親の後を継いで政治家になるよう説得されたのです。ただ、出馬する選挙区には田中派の現職議員がいたため、“里子”に出された中曽根派から1986年に出馬して当選。国会議員としてスタートします」
因縁がある2人
この田中元首相の直系である2人には、因縁がある。
「1988年のリクルート事件で政治不信が高まっていたことから、政治改革の必要性が叫ばれていた。当時34歳だった石破さんは、1991年に『政治改革を実現する若手議員の会』を結成し、その代表世話人に就任。1993年、当時の首相だった宮沢喜一氏の自宅へと押し掛け、改革の必要性を直訴したこともありました」
国会で宮沢元首相への不信任決議案が提出され、石破氏は賛成票を投じて離党。改革のため“政界の壊し屋”で“兄弟子”の小沢氏が立ち上げた新進党(※入党時は新生党)に参加した。
「石破さんは、減税をする税制改革と憲法改正を訴えていた小沢さんに、かつての自民党が失いかけた光があると思って追いかけた。しかし、小沢さんを中心に、党内では権力闘争が行われるだけ。石破さんが政策を訴えても、それが反映されることはなかった。そうした小沢さんの手法に嫌気がさし、離党します。自民党に出戻って、内部から変革する道を選ぶのです」
石破首相は、当時を自身のブログでこう述懐している。
《小沢氏の本質が見抜けなかった不明を恥じます》
自戒を込めつつ“兄弟子”を批判するが、こうも語っていたという。
「石破さんが初当選したとき、小沢さんは雲の上の人。ある意味、憧れの存在でもあったはず。石破さんは過去にいろいろあって、小沢さんを“嫌い”と言うが“小沢さんと会って、過去のことを話したい”とも言う。過去にあったさまざまな騒動が、現在の政治に影響を与えているから。何があり、何が問題だったのか、明らかにすることが日本をよくするヒントだと考えている。小沢さんにしてみれば“この小僧が”くらいにしか思っていないのかもしれませんが」
小沢氏はSNSで、
《政権交代で石破内閣を「史上最短内閣」にすべき》
と痛烈に批判する。この戦い、制するのは、兄か弟か――。
この田中元首相の直系である2人には、因縁がある。
「1988年のリクルート事件で政治不信が高まっていたことから、政治改革の必要性が叫ばれていた。当時34歳だった石破さんは、1991年に『政治改革を実現する若手議員の会』を結成し、その代表世話人に就任。1993年、当時の首相だった宮沢喜一氏の自宅へと押し掛け、改革の必要性を直訴したこともありました」
国会で宮沢元首相への不信任決議案が提出され、石破氏は賛成票を投じて離党。改革のため“政界の壊し屋”で“兄弟子”の小沢氏が立ち上げた新進党(※入党時は新生党)に参加した。
「石破さんは、減税をする税制改革と憲法改正を訴えていた小沢さんに、かつての自民党が失いかけた光があると思って追いかけた。しかし、小沢さんを中心に、党内では権力闘争が行われるだけ。石破さんが政策を訴えても、それが反映されることはなかった。そうした小沢さんの手法に嫌気がさし、離党します。自民党に出戻って、内部から変革する道を選ぶのです」
石破首相は、当時を自身のブログでこう述懐している。
《小沢氏の本質が見抜けなかった不明を恥じます》
自戒を込めつつ“兄弟子”を批判するが、こうも語っていたという。
「石破さんが初当選したとき、小沢さんは雲の上の人。ある意味、憧れの存在でもあったはず。石破さんは過去にいろいろあって、小沢さんを“嫌い”と言うが“小沢さんと会って、過去のことを話したい”とも言う。過去にあったさまざまな騒動が、現在の政治に影響を与えているから。何があり、何が問題だったのか、明らかにすることが日本をよくするヒントだと考えている。小沢さんにしてみれば“この小僧が”くらいにしか思っていないのかもしれませんが」
小沢氏はSNSで、
《政権交代で石破内閣を「史上最短内閣」にすべき》
と痛烈に批判する。この戦い、制するのは、兄か弟か――。