犬神スケキヨ~さざれ石

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我が国のかたち‥‥壱

2017-11-08 11:00:52 | 草莽崛起
今回は日本人論としての『我が国のかたち』について少し考えてみようと思います。

あくまで数多ある日本人論のうちの一つであります。

今回長くなりますが、よろしければ一読くださり一緒に考えて頂ければ幸いです。

御成敗式目


承久三年(1221)
後鳥羽上皇が台頭する鎌倉幕府に対して兵を挙げたものの、幕府によって鎮圧される事件が起きました。
これを承久の乱と言います。

これにより、朝廷に勝った鎌倉幕府は西日本にも急速に伸びていきます。
つまり武士勢力が近畿を中心に西に急速に拡大することになりました。

これにより、現地人とのいざこざも増え、直属の武士達の土地家屋の相続問題なども生じる事態となります。
その為に仕事や役割分担など明確にする必要が出て来ました。

この様な経緯から北条泰時によりある式目が作られる事になります。

御成敗式目

それまで道理習慣などで行われて来たものを成文法としたものです。

つまり武家の憲法と言えましょう。

この中には武家の道理とされていたものを盛り込み、武士達がこれまで習慣として来た生活様式や約束事が上手く反映されてもいました。
その為、武士の心情に上手く合致するものです。

武士にとっては、土地に関して絶対的な力の源であり、これを守る為に仕事があると言っても過言ではありません。
その上で御成敗式目なるものは、土地、相続、仕事や役割が中心に書かれてあります。
これは武士の生活を守る為の法律とも言えるのです。

これまでにも、飛鳥時代辺りから『律令』なる法律はあったけれども、これは言葉も難しく貴族や役人ぐらいしか理解出来ない。
一般人は勿論、武士にとってもよくわからない曖昧なものであったのです。
『大宝律令』やら色々建前としてお触れは出され続けるですが、一般人や武士からは触れ流しと呼ばれます。
つまり、右から左へ受け流すて事です。

ところが御成敗式目は武家法とも言うべきもの。
武家同士の揉め事と道理で上手く納得させることが出来るのです。
そう言う規約で成立していたのです。

実はこの『道理』に長けていたのは源頼朝であったわけです。
武士にとって争い事を治めるには道理です。
この道理の立て方が上手かったのが源頼朝。
こうした源頼朝のやり方、伝統を継承し、北条泰時が文章化したのが『御成敗式目』であったのです。

北条泰時は朝廷に於ける法律を無くすつもりはなく、『律令』は漢文の様なものだが、此方は仮名書きだと言う様な主旨の事を述べてもいます。

大宝律令などは漢文で書かれている為に、ある程度漢文の素養がなければ読めない、故に形式的な『触れ流し』でもよかった。
けれど『御成敗式目』は血で血を流して出来たもの。
約束事の集大成
そう言うべき条例式目で、充分に武士達の納得を得られるものでなければならないのです。

武士の習慣は長い間の生活様式など様々なことの積み重ねとして出来たものであるから、戦国時代にあっても、大筋では変わりません。

御成敗式目は触れ流しの様にうやむやに流れる事なく、多くの武士に浸透し、確固たる地位を築くことになったです。

鎌倉幕府は『承久の乱』で天皇の軍を制し、武士による独自の条例式目を作りはしましたが、朝廷側の『律令』を廃止したわけではありません。

そもそも『承久の乱』で天皇側に勝利しても、北条家が天皇なろうなどとはしてません。
この争いに大きく関わった後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇の三方を島流しにはしたけれども、将軍家側と最も関係は薄いと言えども後鳥羽上皇の兄である守貞親王の御子を天皇にしています。

ある意味主権在民型と言えるものであるかもしれないけれど、それでも将軍が自ら天皇の地位に就くということは考えていません。

北条氏は元々、桓武平家(かんむへいけ)の出、桓武天皇の末裔です。
つまり、天皇家は本家ということです。
本家の相続争いには口出しするが、自分が本家になるわけにはいかない。
そういう道理があったのです。

実質的な権力を手中にし『主権在民型』となった事は実に革命的であったのですが、権力を持った者が天皇にはならないというと、コレは逆に保守的ということにもなります

国体は変化すれども断絶せず!
この様な『道理』の真髄が御成敗式目にはあったのです。

国体とは『国柄』。
これは実は英語ならば『Constitution』。
これは日本語では憲法と訳されています。

近代立憲主義の始まりであるイギリスには『憲法』としてまとめられたものはありません。
しかし議会が定めた重大な法律があります。
『Constitutional』憲法的、国体に関わるという様な形容詞で示されます。

英語の Constitutionは元来は『体質』という意味があり、国にも固有の体質の様な国柄があるので、それを法律用語に用いた程度の話しです。

その体質(国柄)を壊せば革命、絶命と呼び、しかしながら体質を壊さず上手く変えて行けば伝統と呼びます。

我が国の国体は

変化すれども断絶せず!

そういうことです。

次回へ続く...