今では当たり前の物も、遡れば大日本帝国時代に発明されたものが多数あります。
それは日本人の発明であると言う事です。
芯が無くなれば手元の操作で芯を繰り出す。
機械式鉛筆
早い話しがシャープペンシルです。
使う度にチビた芯をいちいち削らなくてよく、何本もの鉛筆を用意しなくて良い。
普通の鉛筆と比べて便利さこの上ない。
このシャープペンシルの実用的な物を作ったのが大日本帝国時代の日本人な訳です。
発明者は早川徳次と言う男。
早川徳次なる人物は東京日本橋の職人の家に生まれます。
明治26年(1893)生まれ。
父・政吉はちゃぶ台などの製造販売を家業とする職人です。
母・花子の実家は麹町で袋物問屋を営み、大名に公金のご用達をしていた商家です。
しかし徳次はこの両親に育てられてはいません。
明治28年、満2歳になる一月前に母が病気がちと言うことを理由に生家に出入りしていた肥料業を営む出野家に養子に出されます。
出野家は徳次に冷たかったと言います。
貧しい上に、養子に出されて2年後、養母が急死します。
すると出野家は後妻を迎えます。
その後妻が徳次に厳しく当たるのです。
明治33年(1900)、徳次は小学校に入学するも、学校から帰ると後妻である継母に命じられ毎晩遅くまでマッチ箱貼りの内職をさせられます。
学校にも次第に通えなくなり、結局2年で中退してしまいます。
見るに見かねた近所の人が、徳次に年季奉公の口を世話してくれました。
受け入れ先は東京本所・金属細工業坂田芳松でした。
坂田は徳次の腕を見込んで重宝します。
徳次もその恩に報いたいと熱心に働きます。
金属細工の技術をどんどん吸収していく徳次でありました。
細工の技術だけでなく、発明家としての才能も早くから発揮していたようです。
明治45年(1912)
穴を空けずにベルトが締められる
バックル『徳尾錠』と言う物を発明します。
また、洋傘の付属金属に文様を入れる方法なども実用化させています。
同じ年の9月に『徳尾錠』の大口注文をキッカケに本所の松井町に民家を借りて金属加工業として独立します。
翌年、水道自在器も発明、
これはいわゆる蛇口です。
横尾錠と蛇口の2つのヒット商品を生み出し、業績は拡大、一気に事業は軌道に乗ります。
そんな中、徳次に新たな転機が訪れる。
大正4年(1915)
繰出鉛筆の内部部品製造の依頼が舞い込むのです。
繰出鉛筆とは機械的に鉛筆の芯を繰り出す筆記具の事です。
シャープペンシルの原型の様なもの。
部品製造の傍ら、繰出鉛筆の構造を理解した徳次は、その改良型の製作を始めます。
当時の繰出鉛筆は重要な部品が複数の金具の組み合わせにより出来ており、構造も複雑な為に故障が多く、実用的ではありませんでした。
徳次はそれらの部品を一枚の真鍮を加工して作り欠点を克服。
繰出鉛筆に更なる改良を加えたのです。
それまでの繰出鉛筆は、出した芯は指などで抑えないと元に戻すことが出来なかったですが、徳次はそれを繰出し用ネジを逆回転させ自動で芯が納まる仕組みにしました。
芯を最大限にまで繰出すと自然に外れて取れる様にもしたのです。
これが現代のシャープペンシルに繋がる
早川式繰出鉛筆の誕生です。
この発明を契機に、生き別れになっていた兄と共に早川兄弟商会金属文具製作所を設立します。
しかし、早川式繰出鉛筆は思うように売れませんでした。
それでも粘り強く販売を続けました。
ところが海外輸出されていた早川式繰出鉛筆が流行します。
それは、第一次世界大戦で物が少なくなっていたヨーロッパで火がつきます。
その評判を知った三越や白木屋、松坂屋など百貨店から大口の注文が入ります。
徳次は繰出鉛筆に更なる改良を加えエバー・レディ・シャープペンシル(先端が常に尖った鉛筆)と名付け、アメリカなど諸外国でも特許を取得し、数年後『シャープペンシル』と名称変更します。
シャープペンシルの大ヒットを受けて、早川兄弟商会は事業を拡張。
当時としては珍しかった流れ作業を取り入れて効率的に製造出来る様に態勢を作り上げたのです。
業績は右肩上がり、200名の社員を雇うまでになったのです。
しかし、そんな矢先に徳次を不幸が襲うのです。
関東大震災が徳次を襲う。
工場は被災し、妻と二人の子供を失うのです。
さらにシャープペンシルの全ての特許を借金返済の為に手放さざるを得なくなります。
しかしそんな事でめげる徳次ではなかった。
徳次は新たに早川電機を創業すると国産第一号鉱石ラジオの製造で大躍進!
そして早川電機を戦前の時点で国内有数の電機メーカーへと成長させるのです。
早川電機は昭和45年(1970)
社名をSHARPへと変更。
国内有数の家電メーカーへと躍進させました。
不遇な幼少期を経て、技術とアイデアを磨き、努力を重ねて日本を代表する起業家となったのです。
その早川徳次が作った『SHARP』も今や外資企業となってしまいました。
天国から徳次はどう見ているでしょうか。
それは日本人の発明であると言う事です。
芯が無くなれば手元の操作で芯を繰り出す。
機械式鉛筆
早い話しがシャープペンシルです。
使う度にチビた芯をいちいち削らなくてよく、何本もの鉛筆を用意しなくて良い。
普通の鉛筆と比べて便利さこの上ない。
このシャープペンシルの実用的な物を作ったのが大日本帝国時代の日本人な訳です。
発明者は早川徳次と言う男。
早川徳次なる人物は東京日本橋の職人の家に生まれます。
明治26年(1893)生まれ。
父・政吉はちゃぶ台などの製造販売を家業とする職人です。
母・花子の実家は麹町で袋物問屋を営み、大名に公金のご用達をしていた商家です。
しかし徳次はこの両親に育てられてはいません。
明治28年、満2歳になる一月前に母が病気がちと言うことを理由に生家に出入りしていた肥料業を営む出野家に養子に出されます。
出野家は徳次に冷たかったと言います。
貧しい上に、養子に出されて2年後、養母が急死します。
すると出野家は後妻を迎えます。
その後妻が徳次に厳しく当たるのです。
明治33年(1900)、徳次は小学校に入学するも、学校から帰ると後妻である継母に命じられ毎晩遅くまでマッチ箱貼りの内職をさせられます。
学校にも次第に通えなくなり、結局2年で中退してしまいます。
見るに見かねた近所の人が、徳次に年季奉公の口を世話してくれました。
受け入れ先は東京本所・金属細工業坂田芳松でした。
坂田は徳次の腕を見込んで重宝します。
徳次もその恩に報いたいと熱心に働きます。
金属細工の技術をどんどん吸収していく徳次でありました。
細工の技術だけでなく、発明家としての才能も早くから発揮していたようです。
明治45年(1912)
穴を空けずにベルトが締められる
バックル『徳尾錠』と言う物を発明します。
また、洋傘の付属金属に文様を入れる方法なども実用化させています。
同じ年の9月に『徳尾錠』の大口注文をキッカケに本所の松井町に民家を借りて金属加工業として独立します。
翌年、水道自在器も発明、
これはいわゆる蛇口です。
横尾錠と蛇口の2つのヒット商品を生み出し、業績は拡大、一気に事業は軌道に乗ります。
そんな中、徳次に新たな転機が訪れる。
大正4年(1915)
繰出鉛筆の内部部品製造の依頼が舞い込むのです。
繰出鉛筆とは機械的に鉛筆の芯を繰り出す筆記具の事です。
シャープペンシルの原型の様なもの。
部品製造の傍ら、繰出鉛筆の構造を理解した徳次は、その改良型の製作を始めます。
当時の繰出鉛筆は重要な部品が複数の金具の組み合わせにより出来ており、構造も複雑な為に故障が多く、実用的ではありませんでした。
徳次はそれらの部品を一枚の真鍮を加工して作り欠点を克服。
繰出鉛筆に更なる改良を加えたのです。
それまでの繰出鉛筆は、出した芯は指などで抑えないと元に戻すことが出来なかったですが、徳次はそれを繰出し用ネジを逆回転させ自動で芯が納まる仕組みにしました。
芯を最大限にまで繰出すと自然に外れて取れる様にもしたのです。
これが現代のシャープペンシルに繋がる
早川式繰出鉛筆の誕生です。
この発明を契機に、生き別れになっていた兄と共に早川兄弟商会金属文具製作所を設立します。
しかし、早川式繰出鉛筆は思うように売れませんでした。
それでも粘り強く販売を続けました。
ところが海外輸出されていた早川式繰出鉛筆が流行します。
それは、第一次世界大戦で物が少なくなっていたヨーロッパで火がつきます。
その評判を知った三越や白木屋、松坂屋など百貨店から大口の注文が入ります。
徳次は繰出鉛筆に更なる改良を加えエバー・レディ・シャープペンシル(先端が常に尖った鉛筆)と名付け、アメリカなど諸外国でも特許を取得し、数年後『シャープペンシル』と名称変更します。
シャープペンシルの大ヒットを受けて、早川兄弟商会は事業を拡張。
当時としては珍しかった流れ作業を取り入れて効率的に製造出来る様に態勢を作り上げたのです。
業績は右肩上がり、200名の社員を雇うまでになったのです。
しかし、そんな矢先に徳次を不幸が襲うのです。
関東大震災が徳次を襲う。
工場は被災し、妻と二人の子供を失うのです。
さらにシャープペンシルの全ての特許を借金返済の為に手放さざるを得なくなります。
しかしそんな事でめげる徳次ではなかった。
徳次は新たに早川電機を創業すると国産第一号鉱石ラジオの製造で大躍進!
そして早川電機を戦前の時点で国内有数の電機メーカーへと成長させるのです。
早川電機は昭和45年(1970)
社名をSHARPへと変更。
国内有数の家電メーカーへと躍進させました。
不遇な幼少期を経て、技術とアイデアを磨き、努力を重ねて日本を代表する起業家となったのです。
その早川徳次が作った『SHARP』も今や外資企業となってしまいました。
天国から徳次はどう見ているでしょうか。