ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

アテネ2002 ユーロと雪を迎える

2006-01-07 23:46:08 | ヨーロッパ旅行記
衛兵の交代式を見た後、裏の国立庭園を散策し名残を惜しむ。
そろそろ時間が来たので、大通りに行き、空港行きのバスの停留所を探す。
停留所を見つける。すでにバスは止まっていた。
運転手さんに空港行きである事を確認し、乗り込む。
左側の席に座り込む。運転者さんは一旦バスを離れた。
いよいよ街を離れるとなると、たまらなく切ない気分になる。プラハやダブリンでも感じたことだった。
ふと窓の外を見ると、大きな布製のポスターが建物を覆っている。2002年1月1日からユーロが始まりますよ、という内容のポスターだった。
ちゃんとドラクマとユーロの交換レートも書いてある。
EUの主要国に遅れることなく、無事ギリシャもユーロの第一陣に加わる事ができた。
本来、ギリシャはヨーロッパ発祥の地だった。ここから欧州の本流が流れ出していた。
しかし、時代の中で、その本流はよそに移り、ギリシャの地においては地下水のごとく、弱々しく流れているにすぎなかった。
その後、数々の苦難の後、さまざまな文化遺産を復活させ、なおかつヨーロッパの新しい動きにも付いていっている。
長い苦難の歴史を思うと、感慨深いものがある。

さて、バスの中で感傷にひたっていたが、バスが予定の時間になっても発車しない。
最初はこんなものだろうと思っていたが、さすがに少し心配になってきた。
センティメンタルな気持ちが、薄れてしまった。いい所だったのになあ。
やっと運転手さんが戻ってきて、無事発車する。
バスが動き出し、外の風景も動き出す。再び感傷的な気分に戻る。
行きのバスより、街中を通る時間が少なかった。バスはひろーい郊外を走る。遠くにやはり木々の少ないなだらかな山が見える。
空港に到着する。行きはあまり感じなかったが、内部の新しさに驚く。この時空港はできたばっかりだった。簡単な昼食を取る。
ギリシャをさよならを言い、パリ行きの飛行機に乗る。
途中、窓から見た、旧ユーゴの険しい山々が印象に残る。間には雪が残っており、いかにも寒そうだった。

パリに戻り、しばらくしてアテネに関するニュースを見て驚く。
なんと雪が降っていたのだ。パルテノン神殿やイロデイオ音楽堂に雪が積もっている情景を映し出していた。年明け、入れ替わりにギリシャに行っていた同僚は、おかげで足止めを食らっていた。
晴男が去ったからといって、まさかアテネに雪が降るとは思わなかった。
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白い衛兵交代式(アテネ・無名戦士の墓)

2006-01-07 00:03:56 | ヨーロッパ旅行記
シンタグマ広場周辺の無名戦士の墓の前に行く。
周りにはもう既に人が集まっており、兵士が来るのを待ち構えていた。
しばらくして、大勢の銃を担った兵士が広場に来て整列する。
周りではキャラクター風船なども売っており、黄色いピカチュウのバッタもんらしき風船もあった。
「ローマ人が歩いた地中海」(トニー・ペロテット著 光文社発行)の中の表現を引用すると
~この日、軍人たちは各国から来た旅行者のくすくす笑いを超人的な努力で無視しながら、ボンボンのついた靴やミニスカートやバレエ用のタイツをはいて柔らかく大きな帽子をかぶり、なだらかな坂道をぎこちなく行進していた。~
とあった。
自分が見たこの時は、とくにくすくす笑いもなく、不自然にも思わなかった。
異国情緒がありいいな、と思ったくらいだった。国立博物館に行った後だったためかもしれないが。
広場で一通りの儀式を済ませる。
そして広場を出て、脇の車道を行進して帰っていった。(ここがなだらかな車道)
どこまでいくのかとついて行ったら、公園裏の建物までだった。
そこでひとまず、座ってだべっていた。
やはり休んでいる姿は、兵士には似つかわしくない。

(「ローマ人が歩いた地中海」マンハッタン在住のオーストラリア人が、妊娠中の妻と共に、文献に残っていたローマ人が経験した観光旅行を、自分も追体験する話です。古代と現代をオーヴァーラップさせており、楽しく読めました。)
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