ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

「痴愚神礼讃」と「ユートピア」

2007-01-02 23:05:02 | ヨーロッパあれこれ
世界の名著 17
エラスムス トマス・モア
責任編集 渡辺一夫
昭和44年1月20日発行
中央公論社

夜中、たまにNHK教育の「高校講座 世界史」を見ることがある。
高校生のとき、世界史は未履修だった。
もちろん、これは今流行の未履修問題ではなく、単に日本史および地理を加えた3科目から2科目選択するという制度だったからに過ぎない。
しかしたまたまヨーロッパ暮らしを体験できて、世界史の知識があまりに無いことにつくづく後悔する事となった。
そんなこともあり、ヨーロッパに関連する時には、なるべくこの高校講座を見るようにしている。
ある先生が、エラスムスとトマス・モアについて取り上げていた。
いわゆる人文主義(ルネサンスの精神のもと、当時のキリスト教を自己批判し、より血の気のかよった制度・学芸を招来しようとした姿)の代表者である。
エラスムスの痴愚神礼讃は、人間の存在自身や当時のキリスト教を皮肉る。
人間というものが、そんなに崇高なものでないよ、という考えには、同意できる。
痴愚神の仮面をかぶり、人間や宗教の批判をしているのは、さまざまな制約の中、現在とは比べ物にならないほど大変だったんだろうなと思う。
トマス・モアの作品は、少なくとも名前はよく知られた「ユートピア」である。
いわゆる共産主義の思想のもとという認識しかなかった。
しかし、以前パリで「ユートピア展」なるものを見に行った時、アメリカの独立宣言まで展示されていて、違和感を持った思い出がある。
でも、よく考えると、共産主義的なものだけでなく、アメリカの独立においても、やはり起草した人々にとっては、「ユートピア」を目指していたのには変わりは無いんだろうなと思う。

トマス・モアはその後、ヘンリー8世により、大逆罪でロンドンにて死刑となり、友人であったエラスムスも後を追うように、バーゼルで病死する。
彼らの不幸な晩年を思うと、人間の横暴さ、貪欲さ、更にそれこそ「神をも恐れぬ所業」などなどを思い悲しくなってしまう。
当時と比べて、今、そういった面が少しは改善されているかは、改めて疑わしい。

バーゼルの大聖堂には、エラスムスの記念碑があるらしい。
ライン河の渡し舟を渡った後、その大聖堂を見学した思い出があるが、エラスムスのことは当時まだ知る由も無かった。
世界史を勉強しておけば、彼の地にて彼らを偲ぶ事ができたのになあ、とあらためて反省する。

(写真はバーゼル市内を流れるライン河の渡し舟から見た大聖堂です。)
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ブルガリアのEU加盟を祝して

2007-01-02 01:56:42 | ヨーロッパあれこれ
この1月1日でブルガリアとルーマニアがEUに加盟した。
2004年の5月1日には、10カ国が加盟し、結構大きなニュースとなり、NHKのBSで特別番組までしていたが、今回は2カ国だけで、なおかつ正月という時期でもあり、日本ではほとんど取り上げられていなかった。
両国にとってはとりあえず喜ばしい事で、大々的な式典なども行われていたようだが、問題はこれからである。
補助金などの利益が期待される一方、経済などの格差にもかかわらず、EU基準に近づけなければならないので、国内での混乱も予想される。
記事を見ただけでもEU圏への人材の流出や、国境警備の問題などが危惧されていた。
それ以外にも、否応なしにいわゆるグローバリズムの波が来るわけだが、上手く乗り切り、両国及びEUにとって、本当に実のある加盟となることを願っています。

この両国には、残念ながら行った事はなく、海外向けの英語ラジオ放送を聞いた程度だった。
それでも、ブルガリアの方は、結構英語放送を聞いており、手紙を送ったり、コンテストなどに応募した思い出がある。
英語の勉強ができ、ブルガリアについて知ることができ、なおかつ賞品までくれるので(旧共産圏はサービスがよい)、ありがたかった。
ブルガリアのテーブルクロスや装飾用の銅の皿は、さらにはカラーの歴史書(写真の中にあります)などをいただいた。
また94年のアメリカでのワールドカップサッカーの時は、ブルガリアも出場していたので、ブルガリア海外放送の他の言語のリスナーも含め、優勝チーム及び予選の順位をあてるクイズがあり、それにも応募した。
残念ながら全問正解にはならなかったが、一番正解に近い予想が出来たので、英語放送ではイングランドの人と共に、写真のような二等賞のカレンダーとペナントをもらった。
この時は、Jリーグにも少しだけ在籍した、ストイチコフの活躍(華麗なフリーキックを思い出す)もあり、ドイツを破り、準決勝まで進出していた時で、自分も嬉しくなってしまった。
このようなことだけでも、その国に愛着を持ってしまう。
今や日本における、ブルガリアの象徴である琴欧州のますますの活躍を願うとともに、今後のブルガリアの発展を祈っています。
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