ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

内乱と皇帝セヴェルス(ローマ人の物語ⅩⅠより)

2007-07-16 22:35:21 | ヨーロッパあれこれ
コモドゥスが暗殺された後、ペルティナクスが皇帝を引き受ける。
それには彼自身の野望があった訳でなく、近衛軍団の長官レトーが説得した結果であった。
ペルティナクス、このとき66歳、次の皇帝へのショートリリーフ的な役割だった。
もともとは元奴隷の子が、軍隊での実績を重ね、皇帝まで登りつめる。
しかし彼を擁立したレトーに報いる事は、「小事」であり、他の多くの難問を解決する事を優先した結果、レトーに裏切られ、たった87日間の皇帝在位を死をもって終える。

その後、レトーは、ディディウス・ユリアヌスを皇帝に担ぎ上げる。
しかし、それに異議を唱えた、各地の属州総督たちが皇帝に名乗りを上げる。
そして激しい内戦の結果セプティミウス・セヴェルスが皇帝となる。
内戦という、国家にとって、消耗しかならない結果による皇位収奪だった。

元老院会議により、そこが一度は決議したコモドゥス帝の記録抹殺刑の撤回を要求したり、26人の議員をほぼ冤罪で粛清したりした。
そのような行動により、非ローマ的な専制君主として、軍事政権下への道を歩んでいく。
その後パルティア東征に成功するものの、長男カラカラと近衛軍団長官との対立が激しくなっていき、結果カラカラは長官を殺す。

更にセヴェルスはブリタニアへの遠征を決行するが、健康を害し死亡する。
真冬の北イングランドでの、憂鬱な死だった。

その直後、皇帝となったカラカラは、さっさとローマに引き揚げる。
そしてその一年後には、弟のゲタを殺す。
あちこちにあったセヴェルスの家族の肖像から、弟の顔だけが消されてしまった。
そしてローマは「三世紀の危機」に突入していくのであった。
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オンフルールが生んだ画家 ブーダン

2007-07-16 00:18:04 | フランス物語
印象派の画家に対し、先駆的な役割を果たしたウジューヌ・ブーダンは、ここオンフルールで、1824年に生を受けた。
パリでの3年間の修行の後、彼は空の研究に専心し、それを新しい絵画として表現した。
彼の絵は果てしない空と、ノルマンディの海岸、そしてそこに憩う人々を描いたものが多い。
モネは1858年にブーダンと出会い、その絵に興味を持った。
そしてモネに「私が画家になれたのは、ウジューヌ・ブーダンのおかげである」とまで言わせた。

そんな彼の名がついた美術館を訪問したが、入り口で止められてしまった。
どうやら昼休みだったらしい。
フランスではよくある事なのだが、やはり残念な事である。
今回は団体旅行なので、再開の時間まで待つことはできない。
その腹いせというわけでもないが、海のほうを歩いてみる。
「また来たらいいじゃないですが」と慰められたが、結局フランス滞在中に、再びオンフルールを訪れることはできなかった。

駐車場に戻り、最後の予定地ルーアンに向かう。

(内容は先ごろ日本で開かれたオルセー美術館展の作品集を参考にしました。写真はオンフルールの観光パンフレットにあった美術館内部の写真です。絵画のほかに、ノルマンディ地方特有の衣装なども展示されているそうです。)
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