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鴎外・ドイツ青春日記

2022-01-02 09:14:07 | ヨーロッパあれこれ

 

鴎外・ドイツ青春日記
著者 森鴎外
訳者 萩原雄一
発行 未知谷
2019年6月10日 初版発行

鴎外のドイツ留学時代、1884年(明治17年)鴎外22歳から1888年(明治21年)25歳までの日記の現代語訳です。
最初読み始めたところ、一人称がおれで書かれており、文体も軽くて違和感があったのですが、読み進めるにしたがって、慣れてきました。
鴎外のドイツでの活動、そして活躍がイキイキと描かれています。
ちなみに、おれという一人称は、鴎外の作品「沈黙の塔」でも使われていました。

1885年4月26日
「脚気」はその予防法で陸軍と海軍とが激しく対立している。
海軍では「脚気は微量栄養素の欠乏説」を基に、イギリス海軍の経験知に倣って麦飯を食わせている。
だが、わが陸軍では「白米を食わせる」を宣伝文句に、農家の次男坊や三男坊をかき集めては入隊させている。 
このため陸軍軍医部では「米食中心説」をどうにも譲れない。
この結論が先にあって、鴎外にその学問的根拠を求めている。
(結局海軍の方が正しいということになり、鴎外の汚点となってしまうのですが、このような背景があったのですね。)

 

1885年5月13日
ドレスデンの画廊は、世界の名画を集めている。 
なかでも、ラファエロの「システィーナの聖母」は、おれが本物を観たくて仕方なかった油絵である。
それがここドレスデンで、現実に観られるなんて、至福の時を過ごした。
(鴎外さんいいご趣味ですね)

1886年3月6日
ナウマンの「日本」というタイトルの講演を聞きにいく。
ナウマンの日本に対する失礼な講演内容に怒る鴎外さん。 
講演後の酒席で仏が女性には心がないと言った、とナウマン。
それに対し、女性が成仏する例がたくさん挙げられていると反駁する鴎外さん。

1887年4月15日
「ミュンヘン」という土地名は「僧侶」が語源であり、ビールの名産地として有名。
「ベルリン」の語源は「抜け落ちる羽毛」の意である。昔は土着の人々が牛や羊を飼う牧場であった。

 

あとがきに代えて
ベルリンでの日記の中に、「友侶」(つれ)などという、不思議な普通名詞が出てくる。
1887年12月31日
友侶と除夜の宴を開いた。元日の朝まで肩を寄せ合って過ごした。
とある。やはりこの友侶はエリーゼではないのか
しかし12月24日、クリスマス・イヴには
江口、片山などと石君の家で会った。日本料理のもてなしがあった。友侶はクリスマス・イヴやクリスマスには関心がない。
と書いてある。
恋人が耶蘇教徒ではなくて、ユダヤ人であるならば、クリスマス・イヴは単にケの日の晩である。

 



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